明治・大正期の七宝作家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
七宝作家。京都に生まれ,梶常吉の系統をひく桃井儀三郎英升に七宝技法を学んだといわれる。1871年ころ工場を起こした並河は,75年京都勧業博覧会に花瓶を出品,有功賞をうけた。さらにドイツ人応用化学者G.ワーグナーが伝えた七宝技法に,伝統的な有線七宝技術を加味して改良し,金・銀線を用いた精巧な七宝を制作した。東京の濤川(なみかわ)惣助とともに,明治七宝界の双璧と評せられ,七宝技術の発展に尽くした功により,96年帝国技芸員に挙げられた。
執筆者:郷家 忠臣
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明治・大正の七宝(しっぽう)工芸家。京都生まれ。本姓は高岡で、のちに並河靖全の養子となる。1872年(明治5)尾張(おわり)(名古屋)の桃井儀三郎英升と図って京都で七宝製作を始めるが、その技術は濤川惣助(なみかわそうすけ)の家職人から学んだとみられる。靖之は濤川と異なり、あくまでも伝統的な有線七宝を基本とし、その特色を生かした技法を考案した。光沢の強い華やかな絵の具を用いて真鍮(しんちゅう)の細線で精緻(せいち)な文様を描き、その上に絵の具をのせていく手法は、無線とは違った美を表出し、濤川と並んで七宝界の双璧(そうへき)とたたえられた。90年の内国勧業博覧会に出品して妙技一等賞を受けたのを皮切りにその地歩を固め、96年には帝室技芸員に推挙された。
[矢部良明]
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…現在この付近は七宝町と呼ばれて存在している。梶の出現で七宝工芸は大きく飛躍し,彼の弟子の塚本貝助(1828‐97)は,明治初年来日したドイツ人ワーグナーGottfried Wagner(1830‐92)の指導でその技術を大きく改良させ,さらに東京の濤川惣助(なみかわそうすけ)(1847‐1910)は無線七宝を考案,京都では並河靖之(なみかわやすゆき)(1845‐1927)が日本画風の七宝に特色を出し,名古屋では安藤重兵衛(1876‐1953)らが出て盛況を呈した。【由水 常雄】
[西洋]
古代における七宝については不明な点が多い。…
※「並河靖之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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