狂文(読み)キョウブン

デジタル大辞泉 「狂文」の意味・読み・例文・類語

きょう‐ぶん〔キヤウ‐〕【狂文】

江戸中期、狂歌に対して起こり、明治初期まで行われた、諧謔かいぎゃく風刺を主とする戯文

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精選版 日本国語大辞典 「狂文」の意味・読み・例文・類語

きょう‐ぶん キャウ‥【狂文】

〘名〙 滑稽な文章。江戸中期以後、狂歌に対して起こったもので、諧謔(かいぎゃく)、風刺を主としたもの。風来山人(ふうらいさんじん)四方赤良(よものあから)手柄岡持(てがらのおかもち)らの「風来六部集」「四方あか」「あづまなまり」「我おもしろ」などの文集が有名。戯文。
滑稽本浮世風呂(1809‐13)四「地口を交て狂文(キャウブン)を書たり、狂歌を咏だりする者があるから」

きょう‐もん キャウ‥【狂文】

〘名〙 種々の模様をまぜて表わしたもの。また、その織物
庭訓往来(1394‐1428頃)「家文・当色等色色狂文、尽色節

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改訂新版 世界大百科事典 「狂文」の意味・わかりやすい解説

狂文 (きょうぶん)

ふざけた文章の意で,江戸中期以降に盛んに行われた滑稽文学の一種。漢文体和文体に大別される。漢文体の狂文は漢詩を滑稽化した狂詩に対応するもので,堅苦しい漢文口調で卑俗な素材を論じ,形式と内容の矛盾を通して滑稽味を出そうとする。《古文真宝》のパロディである《古文鉄砲前後集》(1761)などが早い例であるが,そこにみられるパロディという趣向は滑稽であっても,文法・語法面では正規の漢文法を守っている。狂詩と同様狂文でも,画期的な作品は大田南畝の《寝惚(ねぼけ)先生文集》(1767)であって,その文章の部分は滑稽な当て字やこじつけの訓読によって滑稽味を徹底させ,漢文体の狂文の様式を確立した。これ以後刊行された狂詩集には,狂文を付載したものがいくつかある。明治に入っても,狂詩同様10年代までは盛んに作られた。和文体の狂文は俳文を卑俗滑稽に崩すという形で始まった。江戸の山崎北華の《風俗文集》(1744)や大坂の田中友水子の《風狂文草》(1745)は,俳文集ではあるが,風雅に縁遠い卑俗な素材をふざけた調子で記述する文章に託して,知識人らしい強い自我を表しており,通常の俳文の枠を越えている。これらの作品が先駆となって,和文体の狂文が定着し,やがて平賀源内の《風来六部集》(1780)のような,自虐と社会批判に満ちた作品が生まれた。
狂詩
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「狂文」の意味・わかりやすい解説

狂文
きょうぶん

江戸中期から明治にかけて知識人戯作(げさく)者の間に行われた一種の美文。その源は享保(きょうほう)(1716~36)末から宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろに流行した漢文体狂文にさかのぼる。発生期狂文はすなわち「狂者の文」といえる。「狂者」とは『論語』に出て細事にかかわらぬ志の大きい進取の精神をもつ者をいい、それが陽明学の伝統のなかでとくに重んじられた。日本では江戸中期、陽明学の流行を背景に、当時の文人たちが「狂者」の精神にのっとり、自己内心の憤激を直接的に表現する文章として「狂者の文」が定着した。こうした狂撃、憤激の文章は往々にして文章の正しい格調を乱して「狂体の文」を生み出していく一方、「狂者」の精神はいつのまにか忘れ去られ、文体の「狂」のみを喜びもてあそぶ風潮が定着したところに「狂文」があり「戯作」の発生の端緒があった。「戯作」は知識人の余技にすぎないが、それが当時の社会に容認されるためには、狂者の文の伝統をもつ「狂文」の存在が大きな役割を果たしている。戯作精神の典型的な具現者が天明(てんめい)期(1781~89)の狂歌人であったところから、やがて「狂文」は狂歌の精神を散文化した「狂歌の文」の意味をそのすべてとするようになった。狂文作者としては、早く増穂残口(ますほざんこう)、志道軒(『元無草』1748)、自堕落先生(『風俗文集』1744)があり、平賀源内(『痿陰隠逸伝(なえまらいんいつでん)』1768)に大成され、万象亭(まんぞうてい)、大田南畝(なんぽ)(蜀山人(しょくさんじん))に展開していったといえよう。

[中野三敏]

『中野三敏著『戯作研究』(1981・中央公論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「狂文」の意味・わかりやすい解説

狂文
きょうぶん

江戸時代中期の明和,安永 (1764~81) 頃,江戸を中心に流行した狂体の文。おもに狂歌師によって書かれた。風刺や諧謔を含んだ戯文で,漢文調,雅文調,口語調など種々の文体をもつ。内容は痛烈な社会時評,風俗時評から序文,広告文にまで及び,韜晦の気味の強いものも多い。風来山人 (平賀源内 ) が祖とされ,狂歌の衰退とともに精彩を失った。風来山人の『放屁論』 (74,77) ,蜀山人 (大田南畝 ) の『四方 (よも) のあか』 (81) ,宿屋飯盛 (石川雅望 ) の『都の手ぶり』 (1809) などに代表される。

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