ふざけた文章の意で,江戸中期以降に盛んに行われた滑稽文学の一種。漢文体と和文体に大別される。漢文体の狂文は漢詩を滑稽化した狂詩に対応するもので,堅苦しい漢文口調で卑俗な素材を論じ,形式と内容の矛盾を通して滑稽味を出そうとする。《古文真宝》のパロディである《古文鉄砲前後集》(1761)などが早い例であるが,そこにみられるパロディという趣向は滑稽であっても,文法・語法面では正規の漢文法を守っている。狂詩と同様狂文でも,画期的な作品は大田南畝の《寝惚(ねぼけ)先生文集》(1767)であって,その文章の部分は滑稽な当て字やこじつけの訓読によって滑稽味を徹底させ,漢文体の狂文の様式を確立した。これ以後刊行された狂詩集には,狂文を付載したものがいくつかある。明治に入っても,狂詩同様10年代までは盛んに作られた。和文体の狂文は俳文を卑俗滑稽に崩すという形で始まった。江戸の山崎北華の《風俗文集》(1744)や大坂の田中友水子の《風狂文草》(1745)は,俳文集ではあるが,風雅に縁遠い卑俗な素材をふざけた調子で記述する文章に託して,知識人らしい強い自我を表しており,通常の俳文の枠を越えている。これらの作品が先駆となって,和文体の狂文が定着し,やがて平賀源内の《風来六部集》(1780)のような,自虐と社会批判に満ちた作品が生まれた。
→狂詩
執筆者:日野 竜夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸中期から明治にかけて知識人戯作(げさく)者の間に行われた一種の美文。その源は享保(きょうほう)(1716~36)末から宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろに流行した漢文体狂文にさかのぼる。発生期狂文はすなわち「狂者の文」といえる。「狂者」とは『論語』に出て細事にかかわらぬ志の大きい進取の精神をもつ者をいい、それが陽明学の伝統のなかでとくに重んじられた。日本では江戸中期、陽明学の流行を背景に、当時の文人たちが「狂者」の精神にのっとり、自己内心の憤激を直接的に表現する文章として「狂者の文」が定着した。こうした狂撃、憤激の文章は往々にして文章の正しい格調を乱して「狂体の文」を生み出していく一方、「狂者」の精神はいつのまにか忘れ去られ、文体の「狂」のみを喜びもてあそぶ風潮が定着したところに「狂文」があり「戯作」の発生の端緒があった。「戯作」は知識人の余技にすぎないが、それが当時の社会に容認されるためには、狂者の文の伝統をもつ「狂文」の存在が大きな役割を果たしている。戯作精神の典型的な具現者が天明(てんめい)期(1781~89)の狂歌人であったところから、やがて「狂文」は狂歌の精神を散文化した「狂歌の文」の意味をそのすべてとするようになった。狂文作者としては、早く増穂残口(ますほざんこう)、志道軒(『元無草』1748)、自堕落先生(『風俗文集』1744)があり、平賀源内(『痿陰隠逸伝(なえまらいんいつでん)』1768)に大成され、万象亭(まんぞうてい)、大田南畝(なんぽ)(蜀山人(しょくさんじん))に展開していったといえよう。
[中野三敏]
『中野三敏著『戯作研究』(1981・中央公論社)』
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