草葺不合尊・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命。旧称は狭野大権現社。社記では創建の時期は孝昭天皇の時代と伝える(三国名勝図会)。もともとは「三代実録」天安二年(八五八)一〇月二二日条などにみえる「霧島神」で、康保三年(九六六)霧島山に入った性空が山中で修行ののち建立した霧島権現六社の一つ。江戸時代末までは天津彦彦火瓊瓊杵尊・彦火火出見命・
草葺不合尊・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命の六神を祀っていたことから霧島六所権現ともいう。別当寺は
文暦元年(一二三四)一二月二八日の霧島山大噴火により当社・別当寺とも焼失、そのため社寺ともに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
宮崎県西諸県(にしもろかた)郡高原(たかはる)町大字蒲牟田(かまむた)に鎮座。祭神は、神倭伊波礼彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)(神武(じんむ)天皇)を主神に、吾平津姫命(あひらつひめのみこと)、天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を配祀(はいし)する。社伝によれば、孝昭(こうしょう)天皇の代に、神武天皇の降誕の地に社殿が創建されたのが、当社の創祀という。霧島嶽(きりしまだけ)の噴火のたびに遷座されたが、1610年(慶長15)旧狭野の地に遷座、その後、島津氏により社殿の造営改築、また社領の寄進が行われた。1873年(明治6)に県社、1915年(大正4)官幣大社宮崎神宮別宮に指定された。霧島六所権現(ごんげん)の一つ。例祭は10月23日。
[落合偉洲]