王粛(読み)おうしゅく

精選版 日本国語大辞典 「王粛」の意味・読み・例文・類語

おう‐しゅく ワウ‥【王粛】

中国三国時代の魏の学者。字(あざな)は子雍(しよう)。山東郯城の人。当時尊ばれていた鄭玄(じょうげん)学説に反対して、多く経書注釈書を作り、またその論拠とするため「孔子家語(けご)」などを偽作した。(一九五‐二五六

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デジタル大辞泉 「王粛」の意味・読み・例文・類語

おう‐しゅく〔ワウ‐〕【王粛】

[195~256]中国、三国時代のの学者。東海山東省)の人。あざな子雍しよう。当時流行していた鄭玄ていげん学問を批判して「聖証論」を著し、「尚書」「毛詩」「三礼」「左伝」「論語」に注を施したが、現在は散逸。「孔子家語」は偽作とされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王粛」の意味・わかりやすい解説

王粛
おうしゅく
(195―256)

中国、三国魏(ぎ)の政策家、学者。字(あざな)は子雍(しよう)。東海郡郯(たん)(山東省郯城県)出身の高官王朗(おうろう)(?―228)の子。しばしば政見を上奏して朝儀に関与し、曹(そう)魏政府の侍中(じちゅう)、太常(たいじょう)、中領軍を歴任、衛(えい)将軍を追贈された。晋(しん)の司馬昭(しばしょう)(文帝)はその女婿(じょせい)。荊州(けいしゅう)の宋忠(そうちゅう)に師事し、後漢(ごかん)前期の賈逵(かき)・馬融(ばゆう)の学に長じ、国家の礼制(諸制度)に新説を提唱し、次の晋代に採用された。『周易(しゅうえき)』『毛詩(もうし)』『三礼(さんらい)』『春秋(しゅんじゅう)三伝』『国語(こくご)』などに注釈し、当時の大儒鄭玄(じょうげん)やその高弟孫炎(そんえん)の学説に反対し、自らが擬作したという『孔子家語(けご)』を引証しては論駁(ろんばく)したのを『聖証論(せいしょうろん)』12巻にまとめた。以後、六朝(りくちょう)期を通じて、経学史のうえで鄭・王両説の論争を引き起こした。

[戸川芳郎 2016年1月19日]


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改訂新版 世界大百科事典 「王粛」の意味・わかりやすい解説

王粛 (おうしゅく)
Wáng Sù
生没年:195-256

中国,三国魏の学者。字は子雍(しよう)。東海(山東省)の人。学者としては父王朗の資質を上回り,学問を基礎に政治にも参与した。賈逵(かき)・馬融の古文学に傾倒し,鄭玄(じようげん)の神秘性をまじえた経学に強く反駁した。《周易》《毛詩》《礼記(らいき)》を始めとする多くの経書に注釈を施し,大儒と仰がれた。孔子の言行を記す《孔子家語(こうしけご)》10巻は,彼の偽作とされる。また《偽古文尚書》を彼の名に帰する説もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王粛」の意味・わかりやすい解説

王粛
おうしゅく
Wang Su

[生]興平2(195)
[没]甘露1(256)
中国,三国時代の魏の学者。字は子雍。浙江省あるいは山東省の人。後漢の賈逵,馬融の訓詁を修め経書の注解を多く書き,鄭玄の説に対抗した。『孔子家語』『古文尚書孔安国伝』は彼の偽作といわれる。

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世界大百科事典(旧版)内の王粛の言及

【偽書】より

…《偽古文尚書》の出現がその典型例となろう。魏の王粛一派は,後漢以来勢力をもっている鄭玄(じようげん)の学説を打ち破るべく,自派に都合のよい《孔子家語(けご)》《孔叢子(くぞうし)》などの仮託の書を偽造した。皇甫謐(こうほひつ)《帝王世紀》も,これは偽書とは呼ばぬが,王粛一派の学説によって書かれた古代史である。…

※「王粛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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