デジタル大辞泉
「生の松原」の意味・読み・例文・類語
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いき‐の‐まつばら【生の松原】
福岡市西区、姪
(めい)の浜の
松原。神功皇后征韓の際、松を植えたという。歌枕。
※
拾遺(1005‐07頃か)別・三三七「昔見しいきの松原事とはばわすれぬ人も有りとこたへよ〈橘倚平〉」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
生の松原
いきのまつばら
今津湾に面して東西に続く海浜。下山門地区の地先にあたり、東端は十郎川河口となっている。浜名の由来については、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した際この浜で松の枝を逆さに差し、勝利して帰国できるのならこの松の枝が生きるであろうと祈ったところ、松が生きたことから生の松と名付けられたとも、壱岐直真根子社(生社、現壱岐神社)にちなむとも伝える(続風土記)。寛弘二年(一〇〇五)二月、大宰大弐藤原高遠が筑紫へ下向するにあたり(「小右記」同月二九日条)、その弟藤原実資は装束と歌を贈った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
生の松原
いきのまつばら
福岡市西区、博多湾(はかたわん)に臨む弓状海岸で、長垂(ながたれ)海岸に続く白砂青松の景勝地。地名は神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅(しらぎ)遠征の際、戦勝を祈って挿した松の枝が根づいたという伝説によるが、歌枕(うたまくら)の地としても有名である。西の長垂海岸との間にある国指定天然記念物の含紅雲母(がんこううんも)ペグマタイト岩脈や、国指定史跡の元寇防塁(げんこうぼうるい)跡などがあり、夏は海水浴、釣りなどの行楽客が多い。近くに九州大学の演習林、生の松原海岸森林公園、JR筑肥(ちくひ)線下山門(しもやまと)駅がある。
[石黒正紀]
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生(いき)の松原
福岡県福岡市西区、十郎川河口部から西へ延びる博多湾に面した海岸沿いに面積約40ヘクタールにわたって広がるクロマツを主体とした松林。神功皇后が三韓出兵の際に植えた松が起源と伝わる。「日本の白砂青松100選」にも選定された景勝地。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報