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田崎草雲 たざき そううん

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美術人名辞典の解説

田崎草雲

幕末・明治の南画家。江戸生。名は芸、草雲は字及び号、晩年には三白翁と号する。足利藩士として尊王運動に奔走、維新後は画業に専念する。谷文晁・春木南溟らに師事。また沈石田・徐熙に私淑し、格調ある独自の画風を確立した。小室翠雲は門下。帝室技芸員。明治31年(1898)歿、84才。

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デジタル大辞泉の解説

たざき‐そううん〔‐サウウン〕【田崎草雲】

[1815~1898]日本画家。帝室技芸員。名は芸(うん)。幕末には足利藩士として尊王運動に奔走したが、明治維新後は画業に専心。文人画の指導的な役割を果たした。作品に「蓬莱仙宮図」など。

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百科事典マイペディアの解説

田崎草雲【たざきそううん】

日本画家。江戸生れ。足利藩士として幕末変動期の国事に奔走,維新後は足利の〈白石山房〉に隠棲(いんせい)。画は加藤梅翁,谷文晁らに学び,平明で骨格の大きい画風を展開。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田崎草雲 たざき-そううん

1815-1898 幕末-明治時代の武士,日本画家。
文化12年10月15日生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)足利(あしかが)藩士。父に文人画をならい,のち金井烏洲(うしゅう),春木南溟(なんめい)らにまなぶ。藩の絵師となり,幕末には尊攘(そんじょう)運動にくわわる。維新後は画業に専心し,内国勧業博覧会などで受賞。明治23年帝室技芸員。明治31年9月1日死去。84歳。名は芸。通称は恒太郎。別号に梅渓。

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朝日日本歴史人物事典の解説

田崎草雲

没年:明治31.9.1(1898)
生年:文化12.10.15(1815.11.15)
明治期の日本画家。江戸神田の足利藩邸に生まれる。名は芸,諱は明義,字を崇徳,通称恒太郎。安政1(1854)年以降,名の「芸」字を上下に分けて「草雲」を号として用いた。谷文晁らに師事して南宗画と北宗画を合わせた南北合派を学び,渡辺崋山に私淑,また中国画も研究する。嘉永6(1853)年から足利藩のお抱え絵師となったが,幕末は練武館の建設,誠心隊の組織など,むしろ国事に奔走した。明治維新後,万博や内国勧業博覧会で高賞を受賞,上京を求める声も強かったが,足利で隠棲的生活を送りながら制作を続けた。明治23(1890)年帝室技芸員となっている。

(佐藤道信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たざきそううん【田崎草雲】

1815‐98(文化12‐明治31)
幕末・明治の文人画家。名は芸,幼名瑞白また頼助。号は梅渓,白石山房,七里香草堂,蓮岱山房,後楽堂などあり,晩年に字の草雲を号とした。下野足利藩士で,江戸小石川の藩邸に住したが,21歳のとき藩邸を脱して流寓,加藤梅翁の家僕となって絵を学んだ。谷文晁や渡辺崋山の画風を慕い,また沈南蘋(しんなんぴん)や盛茂燁(せいもよう)をはじめ,さまざまな中国絵画にも深い関心を示した。生来俠気にあふれ,剣道をたしなんで剣客とも往来したが,皇室の衰微を嘆いて梁川星巌藤本鉄石らと交わって国事を議した。

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大辞林 第三版の解説

たざきそううん【田崎草雲】

1815~1898) 幕末・明治の南画家。名は?うん。足利藩の武士。谷文晁らに師事。幕末には尊王運動に奔走。作「蓬萊宮図」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田崎草雲
たざきそううん

[生]文化12(1815).10.15. 江戸
[没]1898.9.1. 足利
明治初期の南画家。父は足利藩士。名は芸 (うん) ,幼名は瑞白,恒太郎。号は梅渓,草雲,硯田農夫など。幼少から画事を好み金井烏洲に師事。絵画研究のため脱藩,諸国を歩き明の図巻や沈石田,徐煕 (じょき) に私淑,独力で花鳥山水画家として大成した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田崎草雲
たざきそううん
(1815―1898)

幕末から明治の南画家。名は芸(うん)。初め字(あざな)を草雲としたが、32歳以後はこれを号とする。足利(あしかが)藩江戸藩邸に下級武士の長男として生まれる。父から南画の手ほどきを受け、8歳のころ谷文晁(ぶんちょう)門下で姻戚(いんせき)にあたる金井烏洲(かないうしゅう)につき、のち加藤梅翁のもとで和歌や四条派の画風を習得。春木南溟(なんめい)にも学んだ。39歳のとき足利藩に絵師として仕えたが、幕末には藩校の設立、また勤皇家として民兵誠心隊を組織するなど国事に奔走。維新後は足利に住んで画業に専念し、第1回内国勧業博覧会ほかの展覧会に出品して賞牌(しょうはい)を受け、1890年(明治23)には第1回帝室技芸員となっている。代表作に『秋山晩暉(しゅうざんばんき)図』などがある。[星野 鈴]

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