仏教各宗派において,祖師の伝承にもとづく正統説と異なった見解,領解(りようげ)をいう。異流,異義,異計,邪義ともいう。とくに浄土真宗では,正統の安心を重んじ,異安心の排除に熱心であった。真宗における異安心は,すでに親鸞の在世中,その門下に〈一念・多念〉〈有念・無念〉の論争があり,〈誓名別執〉〈造悪無碍(むげ)〉〈専修賢善〉等の異義があった。本願寺を開創した覚如は,親鸞の正意の発揮につとめ,仏光寺系の〈知識帰命〉や唯善の〈無宿善往生〉の異安心を排した。同じころ,越前の如道は,〈入親鸞位唯授一人口訣(くけつ)〉と称し,秘密口伝の法門を張行した。〈十劫安心〉〈一念覚知〉など観念系異安心に真言密教の形式をとり入れたもので,北陸を中心に広く普及した。これを秘事法門という。本願寺中興の祖蓮如は,北陸開教に当たって,如道系の異義と対決し,西国布教に際しては,仏光寺系の異義を対破しなければならなかった。そのほか,浄土宗(鎮西派)の影響を受けた〈口称(くしよう)募り〉や時宗の影響下の〈高声念仏〉を破した消息が残っている。江戸時代になっても異安心問題はあとを絶たず,西派では,1653年(承応2),初代能化西吟と肥後の月感の論争があり,64年(寛文4)には紀州黒江に〈無帰命安心〉の異義があった。東派では,延宝年中(1673-81)越後に〈称名・信心〉の願体論争があり,1802年(享和2)に裁断をうけた出羽酒田の公巌や09年(文化6)に糾断された尾張五人男(霊瑞,秀山,海,了雅,任誓)の〈法体(ほつたい)募り〉の異義があった。秘事法門では,1767年(明和4),江戸市中に土蔵秘事があり,幕府の取締りをうけた。63年(宝暦13),西本願寺7代能化功存が著した《願生帰命弁》を発端として起こった〈三業(さんごう)惑乱〉は,教団を二分する大紛争に発展し,幕府寺社奉行の糺問により1806年(文化3)ようやく決着をみたが,異安心史上,最大の紛乱であった。このように真宗において異安心問題が頻発したのは,他宗派にくらべて同宗が教権の確立と信仰の純粋化を強く希求したからといえよう。異安心問題が,教学の精緻な発達を否定的に促進した側面も見逃すことはできない。明治以後も真宗教団では,野々村直太郎の《浄土教批判》(1923)をめぐる問題,金子大栄の《浄土の観念》(1925)をめぐる問題が起こった。これらは真宗教学と西欧近代思想との接点に生じた安心論争といえるであろう。
執筆者:薗田 香融
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
正統説とは異なった見解、異端説をいう。安心とは心が安定し不動を得た境地。ことに親鸞(しんらん)を開祖とする真宗で使う語。親鸞在世中すでに、一念か多念か、有念か無念か、信の一念か行の一念かなどのいさかいがあり、蓮如(れんにょ)のころには、秘密裏に教えを伝授する「秘事法門(ひじぼうもん)」、この世で成仏(じょうぶつ)できるとする「一益(いちやく)法門」、「施物頼(せもつだの)み」などが異端として指摘されている。1763年(宝暦13)に起こった三業惑乱(さんごうわくらん)は異安心の事件として著名である。
[松野純孝]
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…すなわち教会からの追放は呪われた存在になることであり,破門は同時に〈宗教上の公式の呪詛(じゆそ)〉(アナテマanathema)を意味したのである。日本ではヨーロッパのそれに対比できる破門の事例は少なく,わずかに15世紀以降,異安心(異端の信仰)の者を追放に処した本願寺教団においてみられるにすぎない。なお破門には,師弟の縁を切って門弟を追放する意味もある。…
※「異安心」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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