百科事典マイペディア「真継家」の解説
真継家【まつぎけ】
→関連項目天明
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…諸国鋳物師は守護の課役・棟別銭の免除を得るために,なお京の年預の力を必要とし,河内,和泉の鋳物師も本座の立場から諸国の新座の鋳物師に統制を加えており,紀氏を年預とする左方,右方,大仏方の供御人組織は形骸化しつつも,室町期を通じて維持された。
[戦国期・近世――真継家の支配]
しかし戦国期に入り,戦国大名は武器・鉄砲等の生産を把握すべく鋳物師をその支配下に置いたので,供御人組織は解体,紀氏も借銭のため没落寸前となったが,柳原家の家臣真継久直(真継家)は紀氏の家を乗っ取り,1543年(天文12)後奈良天皇綸旨を得て鋳物師組織再興にのり出す。今川氏を手始めに,久直は49年以後,大内氏の領国を遍歴,鋳物師公事役徴収を保証された。…
…その行動範囲は,下野はもとより関東一帯に及び,さらに畿内にまで広がり,15世紀中ごろには和泉・河内の鍬鉄鋳物師の営業権を脅かすほどにもなっていた。天正10年(1582)8月18日付の天明鋳物師にかかわる正親町天皇女房奉書写が真継文書にあり,戦国末期には天明の鋳物師が真継家と関係をもっていたことは確実であろう。【佐藤 和彦】 中世以来の当地の豪族佐野氏は,豊臣秀吉の関東制圧後も旧領を安堵されたが,徳川家康は1602年(慶長7)唐沢山城から春日岡への移転を命じた。…
…しかし室町時代以後,この特権を保証していた天皇の実質的な力が弱化するとともに,この由来はしだいに伝説化し,不正確になり,正確な文書にも〈天照大神〉〈神武御門(みかど)〉などが登場するとともに,こうした伝説に基づく由緒書が書かれ,偽文書(ぎもんじよ)が作成されるようになってくる。灯炉供御人の全国的組織解体の事態に直面した鋳物師を再組織した真継家が,供御人の伝統を背景にしつつも,戦国時代,諸国にそれぞれ商圏をもつようになった鋳物師の実情,当時の習俗に即しつつ,鋳物師に伝わる伝承を取り入れた由緒書を作成,さらに正確な文書を下敷きにしつつ偽文書を作ったのは,その好例である。惟喬(これたか)親王を職能の祖とする木地屋(きじや)の由緒書と偽文書も,神祇官を通じて天皇に属した轆轤師(ろくろし)の伝統を背景に,江戸時代に入ってから全国の木地屋を組織するために作られたものと思われる。…
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