磐越西線(読み)バンエツサイセン

デジタル大辞泉 「磐越西線」の意味・読み・例文・類語

ばんえつ‐さいせん〔バンヱツ‐〕【磐越西線】

福島県郡山から会津若松を経て新潟県新津に至るJR線。大正3年(1914)全通全長175.6キロ。

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精選版 日本国語大辞典 「磐越西線」の意味・読み・例文・類語

ばんえつ‐さいせんバンヱツ‥【磐越西線】

  1. 東北本線郡山駅から会津若松駅を経由して信越本線新津駅に至るJR線。大正三年(一九一四)全通。全長一七六・三キロメートル。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「磐越西線」の意味・わかりやすい解説

磐越西線
ばんえつさいせん

東日本旅客鉄道の線路名称。郡山(こおりやま)(福島県)―新津(にいつ)(新潟県)間175.6キロメートル、全線単線、うち郡山―喜多方(きたかた)間が交流電化。東北地方の横断鉄道の一つ。郡山盆地より太平洋側斜面の五百(いお)川(阿武隈(あぶくま)川の支流流域をさかのぼり、奥羽山脈分水嶺(れい)を中山峠付近で越えて猪苗代(いなわしろ)湖北岸、会津盆地を経て、阿賀野(あがの)川河谷に沿って越後(えちご)平野に至る。沿線には会津若松、喜多方、五泉(ごせん)などの都市があり、磐梯(ばんだい)朝日国立公園、阿賀野川ライン県立自然公園、五頭(ごず)連峰県立自然公園などの観光地が分布する。

 1898~1904年(明治31~37)岩越(がんえつ)鉄道が郡山―喜多方間を開業し、1906年国有化、1909年線路名称の制定によって岩越線となった。1910~1914年(明治43~大正3)喜多方と新津よりそれぞれ岩越線、信越本線として東西より工事を進めて開業し、1914年の全通とともに岩越線に統一、さらに1917年に磐越西線と改称した。磐梯・猪苗代地区や旧城下町会津若松などの観光客輸送の需要が高まって、1967年(昭和42)前述区間が電化され、スピードアップされた。全線の直通列車はなく、会津若松または喜多方で乗り換えが必要である。1987年、日本国有鉄道の分割民営化で、東日本旅客鉄道に所属。

[青木栄一・青木 亮]

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改訂新版 世界大百科事典 「磐越西線」の意味・わかりやすい解説

磐越西線 (ばんえつさいせん)

東北本線郡山駅から会津若松,喜多方をへて信越本線新津駅に至る175.6kmのJR東日本線。1887年に開業した日本鉄道の郡山駅と日本海沿岸の主要港新潟とを結ぶ鉄道として,岩越鉄道が建設を進め,98年7月郡山~中山宿間が開業,99年7月会津若松まで延長された。その後1904年1月喜多方までが開業,06年11月国に買収されて岩越線と称した。一方,新津側からは国有化後建設が進められ,10年10月新津~馬下(まおろし)間が岩越西線として開業,14年11月の野沢~津川間完成によって郡山~新津間が全通した。17年11月平~郡山間の平郡線が全通したことにより,岩越線は磐越西線,平郡線は磐越東線と改称した。
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百科事典マイペディア 「磐越西線」の意味・わかりやすい解説

磐越西線【ばんえつさいせん】

福島県郡山〜新潟県新津間のJR線。営業キロ176.3km。奥羽山脈を横断して東北・信越両本線を結ぶ。初め岩越鉄道により建設,1904年郡山〜喜多方間全通,1906年国有化。喜多方以西は国鉄岩越線として1914年全通。
→関連項目秋葉[区]若松

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「磐越西線」の意味・わかりやすい解説

磐越西線
ばんえつさいせん

郡山 (福島県) から会津若松を経由して新津 (新潟県) にいたる鉄道。 JR東日本。全長 176.3km。 1914年全通。東北地方を横断する鉄道の1つで,阿武隈川流域と阿賀野川流域を結ぶ。郡山-喜多方間は初め岩越鉄道によって建設され,1966年国有化された。

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