中国古代に唱えだされた王朝交代の2つの型。中国の君主は,天帝の命によってその地位にあるものと信じられていた。禅譲は,1王朝1代で,前の王が天命の下りた天下の最有徳者に平和的に王位を譲るという理想型で,禅も「ゆずる」の意。放伐は,世襲王朝の失徳の王を天下の有徳者が武力で討って代る革命。王朝の姓も易 (か) わるので易性革命ともいう。漢以後の王朝革命では,形式的に禅譲に似せるものが少くなかった。
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中国で王朝交代の形式をいう儒教の用語。天命を受けたとされる有徳者に平和的に政権を譲り渡すのが禅譲,武力に訴えて政権を奪取するのが放伐である。尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)の交替は禅譲,夏・殷(いん)・周の交替は放伐とされる。王莽(おうもう)の時代や魏晋・南北朝に貴族権力が強大になると,儒教の易姓革命説によって,政権の授受は内実はともかく,表面的には禅譲の形式がとられた。
→関連項目宋|武帝(宋)
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王朝交代の形式をいう儒教の用語。古代中国では,君主は生前に臣下の中の最も徳の高い者を後継者として指名し,平和裏に位をゆずる禅譲がとられた。尭(ぎよう)がその子丹朱をおいて舜(しゆん)に位をゆずったのがその始まりである。しかし,世襲制をとった夏王朝は桀(けつ)王になるとその徳がまったく衰え,殷(いん)の湯王に放逐された。その殷王朝も紂(ちゆう)が周の武王に誅伐されて滅んだ。これが放伐の始まりである。この理想的形態の禅譲も現実的方法としての放伐も,孟子が放伐を殷周聖王の事跡として是認して以来,ともに儒家の認めるところとなった。
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中国で、帝位を世襲しないで、有徳者へ譲ることと、悪徳の天子を討伐すること。天命が、正しく行われる手段。また、これを行った堯、舜、湯、武の政治。堯と舜は帝位を有徳者へ譲り、殷の湯王は暴君夏の桀王を滅ぼし、周の武王は殷の紂王を討って天下を統一した。
[解説] 「禅譲」は、天使が有徳者に帝位を譲ること。「放伐」は悪徳の天使を帝位から追い、攻め討つこと。
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