デジタル大辞泉
「秋保温泉」の意味・読み・例文・類語
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あきう‐おんせん‥ヲンセン【秋保温泉】
- 仙台市太白区秋保町、名取川の中流に位置する弱食塩泉。名取の御湯(みゆ)。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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秋保温泉
あきうおんせん
[現在地名]秋保町湯元
名取川右岸にある温泉。「名取御湯」ともいわれる。「観蹟聞老志」は古くから勅封の地であるので御湯と称され、郷人は秋保温泉とよぶと記す。
「大和物語」五八には陸奥安達原の黒塚の主、「恒忠の君の妻」が名取御湯を「おほぞらの雲のかよひぢ見てしがなとりのみゆけばあとはかもなし」と詠んだのを聞き、平兼盛が同じ題で「しほがまの浦にはあまやたえにけんなどすなどりのみゆる時なき」と詠んだ話を載せる。また「拾遺集」巻七物名では、前の一首を「なとりのみゆ」を題にした平兼盛の歌として「おぼつかな雲のかよひぢ見てしかなとりのみゆけばあとはかもなし」を載せる。しかし当温泉の由来譚は、往昔欽明天皇が瘡症を患った際、勅使を遣わしてこの温泉をくみとらせて湯あみしたところ、日ならずして快癒した。そこで「おぼつかな」の歌を詠んだといい、以来「名取御湯」と名付けられて広まったという。陸奥国の黒塚伝説にかかわる平兼盛の歌物語にちなみ名取川あるいは名取郡にかかわる古い温泉として、その名が広く知られていたと推察できる。「八雲御抄」に歌枕としてあげられる温泉九ヵ所のうち「御湯」とされるのは名取・信濃・犬養(飼)の三ヵ所のみである。
近世における秋保温泉の初見は、元和八年(一六二二)九月に藩主政宗の母御東が山形から仙台に移る途中、「秋保肝煎」の所(湯守長門)に泊まったという記録で(貞山公治家記録引証記)、また寛永一一年(一六三四)には上意によって「湯小屋」が建てられ(「湯御殿建材伐採印判状」佐藤勘三郎家文書)、同一三年五月一日政宗が小瘡を患った時には、秋保と土湯(現福島市)の湯を運ばせて洗浴している(貞山公治家記録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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秋保温泉
あきうおんせん
宮城県仙台市太白区(たいはくく)にある温泉。名取川中流に湧出(ゆうしゅつ)する。飛鳥(あすか)時代から「名取の御湯」として知られたと伝え、飯坂(いいざか)、鳴子(なるこ)とともに奥州三名湯の一つ。藩政時代には藩主伊達(だて)家の入湯場があった。泉質は塩化物泉。JR東北本線仙台駅よりバスが通じる。近くに磊々峡(らいらいきょう)、秋保工芸の里などがある。
[長谷川典夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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秋保温泉
あきうおんせん
宮城県,仙台市南西部の温泉。名取川の渓谷に位置し,仙台の奥座敷として施設の近代化が進んだ。飯坂,鳴子とともに奥州三名湯の一つといわれ,古くから湯治客に利用されている。泉質は硫酸塩泉,食塩泉。泉温は 24~60℃。峡谷美で知られる磊々 (らいらい) 峡や秋保大滝があり,特に紅葉,新緑時は絶景。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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