稲敷(市)(読み)いなしき

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

稲敷(市)
いなしき

茨城県南部に位置する市。2005年(平成17)、稲敷郡江戸崎町(えどさきまち)、新利根町(しんとねまち)、東町(あずままち)、桜川村(さくらがわむら)が合併して市制施行、稲敷市となる。市名は郡名による。市域は北を霞ヶ浦(かすみがうら)、南を利根川に挟まれ、中央部に広がる稲敷台地のほかは、霞ヶ浦や利根川、また霞ヶ浦に流入する小野(おの)川や新利根川に面した低地である。首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の稲敷インターチェンジがあり、北部を国道125号が北西―南東に走り、東部を51号、西部を408号が縦断する。台地上には縄文時代の土器製塩遺跡である広畑貝塚(ひろはたかいづか)(国指定史跡)はじめ貝塚が多い。古代―近世、市域はおおむね北西部が常陸国信太(しだ)郡、中央部が河内(かっち)郡、南東部は下総(しもうさ)国香取(かとり)郡に属した。古代の信太郡域に、中世には信太荘、東条(とうじょう)荘が成立。南北朝期には交通上の要地としての重要性が高まり、海夫(海民)が根拠地とした古渡(ふっと)津、馬渡(まわたし)津などが開けていたとみられる。この頃、東国経営をめざして伊勢を出発した南朝方の北畠親房らは東条荘に漂着、同荘内の神宮寺(じんぐうじ)城(跡地は県指定史跡)、阿波崎(あばさき)城を拠点としたが、北朝方の鹿島氏一族らの攻撃を受け落城。南北朝末期に信太荘に移住した土岐原(土岐)氏が拠った江戸崎(えどさき)城は、天正年間(1573―1592)佐竹氏に攻撃されて落城した。江戸時代、小野川下流左岸に位置する江戸崎村の浜河岸は、霞ヶ浦水運の物資集散地として賑わった。また江戸崎村の北東、小野川の河口にあたる古渡津は、江戸時代を通じて霞ヶ浦四十八津の南津頭としての地位を保った。
 香取海(かとりのうみ)といわれた内海跡の低湿地は、1590年土岐氏の旧家臣団による新田開発、1666年(寛文6)幕府による新利根川開削などで干拓が進んだ。大正末期―昭和初期から大規模な干拓事業が始められ、1948年(昭和23)には甘田入(あまだいり)、1952年には野田奈川(のだながわ)、1966年には浮島(うきしま)の西の洲などの干拓事業が竣工。あわせて防水堤なども整備され、干水害も改善、現在は県下最大の米作地帯となっている。特産はレンコン、カボチャ、ブロッコリーなどで、酪農も盛ん。阿波の大杉神社は「あんばさま」の通称で知られ、海上安全の神として信仰が厚い。例祭に奉納される「あんば囃子」は国の選択無形民俗文化財。元禄頃建立の広間型民家である平井家住宅、利根川改修に伴って大正期に建設された横利根閘門は国指定重要文化財。逢善寺(ほうぜんじ)の本堂、仁王門などは県指定文化財。霞ヶ浦の和田岬や妙岐の鼻などは釣りやキャンプ、バードウォッチングの拠点となっている。また平地林も残る台地には多くのゴルフ場がある。面積205.81平方キロメートル、人口4万2810(2015)。[編集部]

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