たけもと‐そめたゆう【竹本染太夫】
- 義太夫節の太夫。
- [ 一 ] 初世。大坂の人。宝暦(一七五一‐六四)期の義太夫節中興の祖。「伝法屋風」の一流を残した名人。天明五年(一七八五)没。
- [ 二 ] 六世。嘉永四年(一八五一)六世襲名。幕末に活躍した。自叙伝「染太夫日記」を残す。寛政一〇~明治二年(一七九八‐一八六九)
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竹本 染太夫(8代目)
タケモト ソメタユウ
- 職業
- 義太夫節太夫
- 本名
- 津田 熊次郎
- 別名
- 前名=竹本 染子太夫,竹本 梶太夫(6代目)(タケモト カジタユウ)
- 生年月日
- 弘化1年
- 出生地
- 大坂(大阪府)
- 経歴
- 5代染太夫の実子、6代目に師事。慶応3年玄人となり、2代目津太夫、染子太夫を経て、明治3年6代目梶太夫を相続、12年8代目染太夫を襲名した。
- 没年月日
- 明治17年 6月18日 (1884年)
- 家族
- 父=竹本 染太夫(5代目)
竹本 染太夫(9代目)
タケモト ソメタユウ
- 職業
- 義太夫節太夫
- 本名
- 秋山 滝蔵
- 別名
- 初名=竹本 登勢太夫,前名=竹本 谷太夫
- 生年月日
- 嘉永6年 11月15日
- 出生地
- 讃岐国(香川県)
- 経歴
- 明治8年4代目竹本染太夫の門に入り、9年竹本登勢太夫を名乗って文楽座に初出演。谷太夫を経て、22年5代目竹本弥太夫門下となり、30年9代目染太夫を襲名。大正2年引退。
- 没年月日
- 大正5年 2月17日 (1916年)
竹本 染太夫(7代目)
タケモト ソメタユウ
- 職業
- 義太夫節太夫
- 本名
- 播磨 新三郎
- 別名
- 初名=播磨 美名太夫,前名=竹本 浪太夫,竹本 梶太夫(5代目)(タケモト カジタユウ)
- 生年月日
- 文化9年
- 出生地
- 大坂(大阪府)
- 経歴
- 播磨大掾に入門、次いで5代目竹本染太夫に師事。美名太夫、浪太夫、5代目梶太夫を経て、明治3年7代目染太夫を襲名した。
- 没年月日
- 明治16年 6月11日 (1883年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
竹本 染太夫(9代目)
タケモト ソメタユウ
明治期の義太夫節太夫
- 生年
- 嘉永6年11月15日(1853年)
- 没年
- 大正5(1916)年2月17日
- 出生地
- 讃岐国(香川県)
- 本名
- 秋山 滝蔵
- 別名
- 初名=竹本 登勢太夫,前名=竹本 谷太夫
- 経歴
- 明治8年4代目竹本染太夫の門に入り、9年竹本登勢太夫を名のって文楽座に初出演。谷太夫を経て、22年5代目竹本弥太夫門下となり、30年9代目染太夫を襲名。大正2年引退。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
竹本染太夫(初代)
没年:天明5.8.11(1785.9.14)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節の太夫。摂津伝法村(大阪市)出身。元は木綿商の田穂屋源七。通称源七染太夫。義太夫節中興の祖といわれる。2代目竹本政太夫の門弟。宝暦4(1754)年,人形浄瑠璃の竹本座初出座,のち江戸や京にも出勤。渋い西風線上の芸風で,その語り口は「染太夫風」といわれ,さらさらしたなかに産字(カアアのように別にいう母音)は格別の運びで,低い音で揺らずに角をつけ男性的に表現したようで,「本朝廿四孝」の「景勝下駄の段」,「妹背山婦女庭訓」の「背山の段」「芝六住家の段」,「伊賀越道中双六」の「饅頭娘 の段」「平作内の段」,「往古曾根崎村噂」の「教興寺の段」などに特色を示し,顎を遣った武張った表現は今も伝承される。
竹本染太夫(6代)
没年:明治2.5.1(1869.6.10)
生年:寛政9.8.4(1797.9.23)
江戸末期の義太夫節の太夫。本名金屋新兵衛。幼名美吉郎。大坂の生まれ。早くから浄瑠璃に親しんだようで,金物屋の経営をしくじった文政9(1826)年,30歳近い身でプロを志し,5代目染太夫(のちの越前大掾)へ入門。2代目竹本実太夫,4代目同梶太夫を経て,嘉永4(1851)年6代目を相続。慶応1(1865)年文楽座2代目紋下となり,「新薄雪物語」の「兵衛館の段」で披露した。同時代の生活を克明に記録し,自叙伝を残した。<参考文献>6世竹本染太夫稿,井野辺潔・黒井乙也校註『染太夫一代記』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
竹本染太夫(初代) たけもと-そめたゆう
?-1785 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。2代竹本政太夫(まさたゆう)の弟子。宝暦4年竹本座で初出演し,明和8年「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」で大当たりをとる。伝法屋風とよばれる語り口をのこし,義太夫節中興の祖といわれた。天明5年8月11日死去。摂津西成郡(大阪府)出身。通称は源七の染太夫,伝法屋源七,田穂屋源七。
竹本染太夫(6代) たけもと-そめたゆう
1798-1869 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政10年生まれ。義太夫節。5代の弟子で,2代竹本実太夫,4代竹本梶太夫をへて嘉永(かえい)4年6代を襲名。慶応元年文楽座の櫓下(やぐらした)となった。時代物を得意として実太夫の染太夫といわれた。明治2年5月1日死去。72歳。大坂出身。通称は金屋美吉郎,新兵衛。著作に「染太夫日記」。
竹本染太夫(7代) たけもと-そめたゆう
1812-1883 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化9年生まれ。義太夫節。竹本播磨大掾(はりまのだいじょう)の弟子で,前名は浪太夫。のち5代染太夫の弟子となり,5代竹本梶太夫をへて明治3年7代を襲名した。明治16年6月11日死去。72歳。大坂出身。本名は播磨新三郎。
竹本染太夫(8代) たけもと-そめたゆう
1844-1884 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
天保(てんぽう)15年生まれ。5代竹本染太夫の子。義太夫節。6代の弟子で,津太夫,染子太夫,6代梶太夫をへて明治12年8代を襲名した。明治17年6月18日死去。41歳。大坂出身。
竹本染太夫(9代) たけもと-そめたゆう
1853-1916 明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
嘉永(かえい)6年11月15日生まれ。義太夫節。4代竹本住太夫の弟子で,初名は登勢太夫。明治30年9代を襲名した。大正5年2月17日死去。64歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。
竹本染太夫(4代) たけもと-そめたゆう
1756-1823 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
宝暦6年生まれ。義太夫節。3代竹本咲太夫の弟子で,重太夫をへて文化2年4代を襲名した。文政6年11月17日死去。68歳。通称は和泉屋孫兵衛,石屋橋。
竹本染太夫(2代) たけもと-そめたゆう
?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。初代の弟子で,三根太夫をへて天明6年(1786)2代を襲名し,8年引退した。
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竹本 染太夫(6代目) (たけもと そめたゆう)
生年月日:1797年8月4日
江戸時代;明治時代の義太夫節の太夫
1869年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の竹本染太夫の言及
【染太夫一代記】より
…義太夫の6世竹本染太夫(1797‐1869)の自伝。原題は彼の屋号・本名に基づく《金屋新兵衛一代記》。…
※「竹本染太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」