笠懸(読み)カサガケ

デジタル大辞泉 「笠懸」の意味・読み・例文・類語

かさ‐がけ【×笠懸】

馬に乗って走りながら弓を射る競技。平安末期から鎌倉時代にかけて盛んに行われた。もとは射手の笠をかけて的としたが、のちには円板の上に牛革を張り、中にわらなどを入れたものを用いた。小笠懸おがさがけ遠笠懸神事笠懸などの種類がある。

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精選版 日本国語大辞典 「笠懸」の意味・読み・例文・類語

かさ‐がけ【笠懸】

〘名〙 (古く「かさかけ」とも) 中世に行なわれた射芸の一つ。馬上から遠距離の的を射る競技。もと射手の笠をかけて的としたところによる名称。後には革張りの板的で一尺八寸。的間(まとあい)は十丈。弓は塗弓、三所籐(みところどう)の類で、矢は的を傷つけないように鏃(やじり)を除いて鏑(かぶら)を大きく笠懸用に作った蟇目(ひきめ)を用いる。また、小笠懸に対して特に遠笠懸ともいう。別に小笠懸、神事笠懸、鬮笠懸、百番笠懸などがある。《季・夏》
※中右記‐寛治六年(1092)二月八日「仰笠懸之由
※江戸繁昌記(1832‐36)五「而して騎射の三科を笠掛(カサカケ)と曰ひ、犬射(いぬゐ)と曰ひ、流鏑馬(やぶさめ)と曰ふ」
[補注]騎射の中で一番古くからあり、犬追物や流鏑馬(やぶさめ)ほど儀式に厳しくなく、設備も簡単で場所も狭くてすむので、平安・鎌倉時代は盛んに行なわれ、日記類にもしばしば記されている。室町時代になると、騎射の三つ物の一つとして武人の間で盛んに行なわれた。江戸時代には、徳川吉宗が犬追物・流鏑馬などと共に復興した。

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百科事典マイペディア 「笠懸」の意味・わかりやすい解説

笠懸【かさがけ】

騎乗して遠い距離にセットされた的を射る競技。中世武士の武芸鍛練のための射芸の一つ。流鏑馬(やぶさめ)と同じように騎乗して全速力で駆けながら弓を射るが,流鏑馬とは異なり的の位置がはるか遠いところ(約30m)にセットしてある。矢は鏃(やじり)の代わりに鏑(かぶら)を大きくした蟇目(ひきめ)が用いられた。笠懸にはさまざまな種類がある。的の距離により遠笠懸と小笠懸の2種があり,また,神事笠懸(神社の祭祀(さいし)として行われる),鬮(くじ)笠懸(鬮によって敵手を定め競技する),百番笠懸,七夕笠懸などがあった。 名前の由来は,射手の装束のひとつである笠を木の枝に懸けて的にしたことによる。そもそもの始まりは,平安後期に貴族が武士に,特設の馬場ではなくて河原で即興的に騎射を命じたことによるという。その伝統によるのか,源頼朝はしばしば扇や沓(くつ)など身につける物を竹に挟んで的とし,これを射させている。これを〈挟み物〉という。《曾我物語》の曾我兄弟は,伊豆三島神社での仇(あだ)討ち祈願の折に,懐中の畳紙(たとうがみ)を挟み物にして7番ずつ射たという。また,《平家物語》のなかに登場する那須与一の扇の的当ても笠懸の変形といってよい。→犬追物
→関連項目弓道馬術

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改訂新版 世界大百科事典 「笠懸」の意味・わかりやすい解説

笠懸 (かさがけ)

武芸鍛練のために行われた射芸の一つで,馬上より遠距離の的を射る競技。その由来は笠を懸けて的としたことによる。的は檜を裏板に用い,表に牛革を張り,革と板の間に綿を入れ,中央に墨で適宜の大きさの丸を描いた連銭のそれが使用された。的間(まとあい)は10丈(約30m)。矢は鏃(やじり)を除いて鏑(かぶら)を大きく笠懸用に作った蟇目(ひきめ)が用いられた。的の遠近により遠笠懸,小笠懸の別があった。ほかに神社の祭祀に供される神事笠懸,鬮(くじ)によって敵手を定め勝負を決する鬮笠懸,また百番笠懸,七夕笠懸などの種類があった。笠懸はすでに平安時代から行われていたらしく,藤原明衡の《新猿楽記》などの往来物や《中右記》など日記類にも散見する。その後,鎌倉時代になると,犬追物(いぬおうもの),流鏑馬(やぶさめ)とともに武芸習練の騎射三物(きしやみつもの)の一つとして盛行し,室町期には作法も整い多くの故事書が編纂された。
執筆者:

笠懸(旧町) (かさかけ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「笠懸」の意味・わかりやすい解説

笠懸
かさかけ

群馬県東部,みどり市南部の旧町域。笠懸野と呼ばれる渡良瀬川扇状地を占める。 1990年町制施行。 2006年大間々町,村と合体して,みどり市となった。 1975年大間々用水が完成し,米作のほかトマト,ナスなどのハウス栽培が盛んになった。モモを特産する。桐生市の近郊にあるため宅地化が著しい。先土器文化時代の遺跡として有名な岩宿遺跡,縄文時代草創期の西鹿田中島遺跡 (ともに国指定史跡) がある。

笠懸
かさがけ

笠を的にして,馬上から弓で射る騎射武術。1町 (約 109m) の馬場で綾藺笠 (あやいがさ) または1尺8寸 (約 55cm) の的を遠矢で射る。射手は 10騎または 12騎。ほかに4寸 (約 12cm) の的を用いる小笠懸がある。鎌倉時代に武士の騎射訓練のため盛んに行われ,犬追物 (いぬおうもの) ,流鏑馬 (やぶさめ) とともに騎射の三つ物といわれた。古くは天喜5 (1057) 年の平定家の記に名がみえる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「笠懸」の解説

笠懸
かさがけ

馬上の射技の一つ。本来射手(いて)の笠を懸けて的としたための呼称で,馬上から遠距離の対象を射る訓練を目的とした。流鏑馬(やぶさめ)よりも略式で行われ,装束も烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)に行騰(むかばき)だけで,矢も雁股(かりまた)の鏃(やじり)を抜いた鏑矢(かぶらや)を用いた。正式の馬場は直線1町(弓杖51杖)。走路を疏(さぐり)とよび,馬場本から弓杖33杖,疏から8杖の距離に的を立てた。疏を逆行して馬手(めて)側の小的を射ることを小笠懸,通常の笠懸を遠笠懸とよぶ。

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旺文社日本史事典 三訂版 「笠懸」の解説

笠懸
かさがけ

鎌倉時代より武士に愛好された武技の一つ
走っている馬上から笠または的を射る競技で,犬追物や流鏑馬 (やぶさめ) と並んで,武士の子弟の鍛練のために愛好された。

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世界大百科事典(旧版)内の笠懸の言及

【的】より

…草鹿は,草に鹿の伏した形をヒノキの板を心として白革で作り,栗色塗として斑文の星を白く出して矢あてとし,裏に乳を4ヵ所つけて鳥居形にかけた(図)。騎射の的は流鏑馬(やぶさめ)に笠懸(かさがけ)と挟物(はさみもの)がある。流鏑馬の的は径1尺8寸の方形のヒノキの板的で竹串にはさんで立て,笠懸は射手の綾藺笠(あやいがさ)をかけて的としたのを形式化し,1尺8寸円の革的を鳥居形にかけるのを例とした。…

※「笠懸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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