地震に耐えて抵抗する構造。抗震というほうが意味は正確である。
地震によって揺れ動く地面にのっている構造物は,上下,前後,左右に三次元空間内で揺れる。しかし,構造物は元来地球の重力に抵抗して建つように設計されるので,上下方向の揺れに対しては比較的強い。そこで,耐震構造では水平動に対して構造物が抵抗することをまず第1に考える。
構造物は地震動に対して強さと粘りで抵抗する。強さとは荷重に対して抵抗する構造物の力,つまり強度のことである。一方,粘りとは抵抗力が限界に達しても直ちに破壊せず,正負両方向に繰り返し曲げてもあめのように粘る性質をいう。粘りがある構造物は,地震で揺れている間にエネルギーを吸収し,地震が終わるまで建っていることができる。つまり地球の重力に負けて倒壊するのを防ぐことができる。そこで耐震構造の設計では,粘りには期待しないで十分の強度をもたせる(強度設計)か,強度はある程度低い代りに十分の粘り能力をもたせる(変形設計)かの二つの方向が考えられる。
もう一つ,構造物の振動の周期(固有周期)の大小によっても地震に対する抵抗のしかたが変化する。地震の揺れは複雑だが,その中で強い波の周期は0.3~1.0秒程度なので,固有周期がそれよりずっと長い構造物には大きな地震力は作用しない。これは,いわゆる柔構造の考え方である。しかし柔構造では地震力が小さい反面,地震時の変形が大きくなってしまう。固有周期と地震力(加速度),あるいは変形(変位)の関係を見ると,例えば固有周期3秒程度の建物には,震度V(強震)の上限程度の地震によって,約30cmの変形が生ずる。2階建ての建物が30cm変形すれば確実に破壊するが,30階建てなら1階について1cmの変形にすぎず,建物はまだ弾性範囲にとどまっている。
このように,中・低層建築で意図的に周期を長くすると大変形を生じて危険になるが,自然に周期が長くなる高層建築では長周期であることによって地震力が小さくなるので,中・低層建築より小さい地震力で設計することが可能になる。その代り地震時の変形を動的解析によって予測し,過大な変形が生じないことを確認する必要がある。日本の高層建築第1号の霞が関ビル以来,日本の60m以上の高層建築は,すべてこのような考え方によって動的耐震設計が行われている。
日本の伝統的な構造方式である木造建築は,柱と柱の間になげしや貫(ぬき)の横架材をかけわたし,さらに土壁を設けるなどにより,世界の伝統的建築の中では比較的地震に強いものであった。明治以後,とくに第2次大戦以後,屋根の軽量化や壁の中に筋かいを設けるなどの改良が加えられ,非常に耐震性の高いものになった。耐震構造の方向としては強度設計を目ざしたものであるが,仕口に金物を多用するなど,粘りにも配慮している。現在の建築基準法に従って建てられる木造建築は,平面的なねじれを生じないように,また2階建ての場合上下階の強度に不つりあいが生じないように,壁や筋かいの配置に十分の配慮が払ってあれば,地震に対する不安はほとんどないといってよい。
五重塔は古来地震で倒れたという記録がない。その耐震性は第1に,心柱が上から下まで貫通していて,五つの層に同じような変形を強制し,どこかの層が局部的に倒壊するのを防止しており,同時に周期を長くしていること,第2に塔を構成している柱,なげし,斗肘木(ますひじき)などの部材が相互に緩く結合されていて,いわゆる〈ガタ〉によってエネルギーを吸収していることと考えられる。つまり長周期であり,かつ粘り(この場合正確には減衰)も大きい構造物であるといえる。
明治に日本がヨーロッパから輸入した煉瓦造が地震に弱いことは,1891年の濃尾地震と1923年の関東大地震で実証され,以来日本ではほとんど作られなくなった。しかし,煉瓦は世界的には重要な建築材料であり,設計によってはかなりの耐震性を与えることもできる。煉瓦造の耐震設計は今後の世界の課題である。
関東大地震以来の日本のビル建築は,鉄筋コンクリートと鉄骨鉄筋コンクリートが主流を占め,最初工場建築や大スパン建築が中心だった鉄骨構造も,60年代半ばころからは中・低層のビル建築にも多用されるようになった。これらの構造の耐震設計は,静的震度法によって行われてきた。これは建物の重量のある比率(例えば0.2倍)の水平力を作用させたときに,建物の各部分が安全であるように設計するという方法で,1916年に佐野利器が提唱し,24年改正の〈市街地建築物法〉に規定された。これは世界最初の耐震法規である。第2次大戦後,50年に制定された〈建築基準法〉でも,この設計法の考え方は踏襲された。しかし68年の十勝沖地震,78年の宮城県沖地震などの被害を教訓として,耐震構造学は急速に進歩した。そして80年の〈建築基準法〉の改正では,粘り能力に応じた保有耐力の増減,長い固有周期に対する設計地震力の低減など,新しい考え方がとり入れられた。
今日でも,強さと粘りが耐震構造の要諦であることに変りはない。しかしそれ以前の前提条件として,建物は一体として,バランスよく揺れるように計画することが肝要である。床は柱や壁を緊結し,相互にかってな動きをさせないよう十分の強さをもたせる。鉄筋コンクリートなどでは自動的に満足されるが,プレキャストの組立床などでは注意が必要である。また柱や壁はねじれ振動を生じないようつりあいよく配置し,上下方向の剛性や強度の分布もなるべく均等になるようにする。とくに下方の一つの階で剛性の小さい構造を避け,また屋上から突出する塔屋や煙突は注意して設計する。
建物に強さと粘りを与えるには,柱とはりからなる骨組み(ラーメン)をつりあいよく配置し,十分の強度をもつ太い部材を用いるとともに,コンクリート系ではせん断破壊,鉄骨系では局部座屈のような,粘りのない破壊を防ぐように設計する。さらに柱とはりの接合部が十分の強度をもつように,設計・施工に注意する。鉄骨の溶接にはとくに注意が必要である。コンクリート系では耐震壁,鉄骨系ではブレース(筋かいの一種)が,強さを増すためにきわめて有効である。アパートに多用される鉄筋コンクリート壁式構造は全地震力を壁で抵抗させるもので,柱がなく,強さはきわめて高いが,粘りには期待していない。ふつうの建物では柱,はりからなるラーメンの中に,ところどころ壁やブレースを配置して,強さと粘りの両方に期待する。構造的に耐震壁とみなさない間仕切り壁や外壁,窓の上下の垂壁や腰壁なども,実際には耐震壁と同じように抵抗することがある。ただし強さを増すという好ましい効果だけでなく,建物のねじれや柱のせん断破壊の原因になるという悪影響もあるので,設計上十分の配慮が必要である。
執筆者:青山 博之
橋,ダム,鉄道や道路の盛土,上下水道施設,トンネル,各種構造物基礎などの耐震検討は,土木工学の分野で扱われる。土木構造物の耐震問題を特徴づけているのは,多種多様な構造物のそれぞれに適切な耐震化の方法を与えなければならないこと,地中に埋まっている部分が大きかったり,土石でできている構造物が多く,千差万別の地盤条件の影響を強く受けるが,地中における地震動や材料としての土や岩の性質に未知の部分が多く,振動論による計算がむずかしいことなどである。
日本において土木構造物の耐震対策の重要性が強く認識されるようになったのは,1923年関東大地震以降である。当時の橋台,橋脚の多くは無筋コンクリートや石積構造であり,地震により水平に切断されたり,下端近くで折れたりしたものが多かった。地盤が軟弱なところでは,十分な基礎工のない橋台,橋脚が大きく沈下,傾斜する被害が多発した。また良質な地盤中に掘り込んで築造された浄水池,配水池などには被害は少なかったが,地盤条件が悪く施工中に苦労した部分はやはり地震時にも被害が生じた。関東大地震の経験から,地震力を考えた構造物の設計が重要であること,石積みや無筋コンクリート構造が地震に弱いこと,地盤の良否が耐震性に大きく影響すること,耐震性を高めるには良好な施工が重要であることなどが明らかとなった。
関東大地震後,地震時土圧の計算法が物部長穂により提案されるなど,土木の耐震構造への関心が高まり,1926年に制定された〈道路法〉の道路設計示方書で初めて道路橋の耐震設計が規定された。この示方書では,地震の動的な影響を静的地震力に置き換えて考える震度法が採用され,構造物重量の15~40%の水平力を作用させて構造物の耐震性が検討されることとなった。震度法による耐震設計は,必ずしも正式に示方書に明文化されないまでも,その後多くの土木構造物の耐震設計における基本的な考え方として徐々に定着していった。
現在の土木耐震構造にもっとも直接的な影響を及ぼした地震は64年の新潟地震である。新潟地震では,完成まもない昭和大橋の落橋を含む橋の被害,信濃川護岸や鉄道盛土の被害,ガス・水道の地下埋設管の大被害などが目だち,これらは多くの場合,砂質地盤の液状化(クイックサンド)に起因していることがわかった。この経験をもとに71年策定された道路橋耐震設計指針では,従来の震度法に加えて,比較的たわみやすい構造系に対し,地震動と構造物の動的特性を近似的に考慮した修正震度法が導入され,世界で初めて地震時の地盤の液状化に関する簡易な判定法が明文化された。また,耐震計算のみならず,橋台・橋脚上の橋桁がのる場所を広くとるとか,隣接する橋桁を連結するなどの落橋防止装置の設置を含め,震害経験から生み出された構造細目にかかわる条文が規定された。経済の急成長に伴い,60年代から鉄道,道路,ダム,橋などの大型土木計画がめじろ押しに並び,それらのための耐震検討が必要とされた。電子計算機の普及とともに,振動理論に立脚した構造物地震応答の動的解析が多方面で行われるようになり,さらに実構造物の起振機実験,地震応答観測や大型模型を使った振動台実験の結果が多量に蓄積された。日本の土木地震工学が実験・実測結果の貴重な裏づけをもっていることは,ややもすると計算機による解析に偏りがちな諸外国の地震工学と大きく異なる。
70年ころからは,沈埋トンネル,石油パイプラインなどの建設に関連し,地中線状構造物の耐震構造化が問題となった。これらの構造物は地上構造物と異なり,地震によって地盤に生ずる相対変位に大きな影響を受けることから,応答変位法と呼ばれる耐震計算法が用いられ,この考え方はその後水道・ガス管などの地下埋設管の耐震解析に受け継がれている。
従来,土木工学の分野における地震工学は,重要土木構造物の耐震構造化をおもな対象として発達してきたが,最近ではさらに広く都市地震防災を考える立場から,ライフラインと総称される電気,ガス,上下水道,交通,通信などの都市供給処理施設の耐震問題が脚光を浴びており,とくに78年の宮城県沖地震による仙台市の被災以後,多方面で検討が続けられている。
→共振
執筆者:片山 恒雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
地震の揺れに抵抗できる要件(強度と粘り(変形性能))を満たすようにつくられている建物の構造。建築や土木の構造物は、自分自身の重量や、床、梁(はり)、桁(けた)などに積載される荷重を支える以外に、地震や風、雪などによって生ずる自然の外力に対しても安全でなくてはならない。とくに地震の多い日本では、地震時に構造物に生ずる応力が他の外力よりもかなり大きいのが一般的で、したがって大地震に十分に耐えうるように設計・施工される必要があるが、こうした配慮の下につくられる構造を耐震構造とよんでいる。
[小堀鐸二・金山弘雄]
以下、一般になじみの深い建物について述べると、この耐震構造を実現するためには一般的には柱、梁、床、壁(またはブレース)をそのつなぎ目で互いに強剛に緊結して、地震の破壊力に対して建物が一体となって抵抗するようにつくられる。これを構造材料別に分類すると、木造、鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄骨造となる。これらの構造を実現するための設計の考え方としては、以下の二つの構造に大別される。
(1)耐震壁やブレース(筋かい)を設けて、地震力に抵抗し建物の変形をできるだけ少なくしようとする剛構造。
(2)建物に十分な変形能力を与え、建物の揺れの固有周期(建物が1回揺れて戻ってくるまでの時間)を長くして、作用する地震力を建物の規模のわりに全体として小さくする柔構造。
また建物の骨組の耐震設計のもととなる、骨組におこる応力や変形を計算するには、大別して次の二つの手法が用いられている。
一つは静的計算(または解析)とよばれるもので、動力学的にとらえられた地震力を静力学的に置き換えて解くという実用計算法であり、他は、骨組を数学的モデルに置き換えて地震時の挙動を時々刻々追跡するいわゆる動的解析法である。現在では、中低層建物では前者の、超高層建物では後者の方法の適用が一般的である。それぞれの計算法による検証を軸としてできあがっている設計法を静的設計法および動的設計法とよぶ。
耐震構造を実現するためには、地震によって建物に生ずる力や変形の予測のもととなる地震動や支持地盤の性質や、構造材料そのものの強度、変形、粘りの性質を含め、建物が弾性範囲のみならず、その限界を超えた領域(塑性域という)までにわたって地震に抵抗する挙動を把握する必要があり、昔から現在に至る非常に多くの耐震研究が積み重ねられてきている。
[小堀鐸二・金山弘雄]
このように建物の耐震研究は多くの先達の努力によって進歩を遂げてきたが、その背景にはなんといっても過去、幾たびかの大地震の被害の経験とその調査に基づく知見があった。
日本の耐震研究は、1891年(明治24)の濃尾地震を契機として始められ、1923年(大正12)の関東大地震の苦い経験がさらに刺激となり、その後1940年(昭和15)ころまでの耐震研究の興隆期を経て、いまでも中低層建築に使われている慣用法(設計および計算法)の基盤がこの時期に定まっている。この耐震設計法は1950年に制定された建築基準法の前身(市街地建築物法)に反映され、まさに世界に先駆けたものであった。そして、その後に開花した建物の振動学研究の成果に加え、強震計による地震観測記録の分析や、時を同じく発達したコンピュータによる建物の地震応答解析手法の研究成果が相まって超高層ビルも実現するようになったのである。
また、この間に1948年(昭和23)の福井地震、1964年の新潟地震、1968年の十勝(とかち)沖地震、1978年の宮城県沖地震がおこった。これら近年の地震における一部建物の被害から、従来の設計法の不十分な点も明らかになった。それと同時に、前記の地震記録の蓄積と、建物に生ずる力や変形を算定する手段(コンピュータ)の急速な発展という状況を背景に、1972年から5年間にわたる官学民一体となったプロジェクトの成果として得られた知見を、1981年の建築基準法の改正に取り入れられたのが、いわゆる新耐震設計法である。この骨子は、対象とする地震を中小地震および大地震の二段階に設定し、それに対する構造計算の規定を構造の種類や高さに応じてきめ細かく定め、それぞれに対して建物の強さばかりでなく変形性に関しても十分に配慮するよう規定が設けられたことである。この考え方に基づいて設計された建物が、1995年(平成7)の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で被害が軽微であったことから、その考え方および手法の妥当性が広く認識されるに至った。また、2000年には、50年ぶりといわれる建築基準法の大改正があり、それ以前の「新耐震設計法」と並行して、「限界耐力計算法」が導入された。これは「稀(まれ)に起こる地震動」と「極めて稀に起こる地震動」を入力地震動として規定し、動的設計法の概念を簡易化して取り入れた計算法で、減衰(運動する物体に生じるエネルギーを減少させ振幅を小さくさせる働き)の効果や建物と地盤の相互作用の効果を取り入れるのが特徴であるが、建物への要求性能が、強度と変形能力(粘り)が十分確保されていること、という点では変わりはない。
[小堀鐸二・金山弘雄]
地震に対する構造技術としては一般に耐震構造、制震構造、免震構造に分類される。ただし、これらは技術的定義からは異なるものであるが、これらの耐震、制震、免震をひっくるめて耐震と認識されている場合が多いので、ここで、それらの原理すなわち、それぞれのねらいと、それが成立する要件の差異を明確にしておきたい。以下に耐震構造、制震構造、免震構造の原理を記述する。
(1)耐震構造の原理 地震動がそのまま建物に伝わり、上層階に行くにしたがって振動が一般に3~4倍(周期に依存)に増幅する。そのとき生じる慣性力(地震荷重)、変形に耐えられるように柱・梁・壁などを設計する。要件は強さと粘りである。
(2)制震構造の原理 地震動が建物に伝わった後、制震装置で振動エネルギーを吸収し、建物の振動を小さくする。そのため一般に耐震構造より大きな地震に対して安全性を確保することができる。要件は強さと粘りおよび減衰である。
(3)免震構造の原理 免震装置を設置することで、建物の固有周期(建物が1回揺れる時間)を長周期化して、地震動との共振を回避する。それにより建物に生じる慣性力を大きく低減する。ただし、変形は長周期に起因して増大する。周期の延長によって地震動との非共振系を図るという点で、パッシブ制震(電気制御によらない制震)の一つに位置づけられる場合もある。要件は非共振と減衰である。
[金山弘雄]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 リフォーム ホームプロリフォーム用語集について 情報
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【日本の超高層建築】
地震国である日本にとって,超高層建築が成立するためには,地震に対して建物が安全であるための理論的研究が必要であった。1900年代の初め,佐野利器,内田祥三,内藤多仲らによって始められた鉄骨鉄筋コンクリートの骨組みに,鉄筋コンクリートの耐震壁を配置するという耐震構造の研究は,1923年の関東大震災によって初めてその有効性が実証された。翌24年には,市街地建築物法の改正が行われ,地震時に建物に加わる地震力としての水平震度の規定が初めて設けられた。…
※「耐震構造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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