裁判所が裁判をするのに必要な証拠の証明力を裁判官の自由な判断にゆだねる主義をいう。これに反して、証拠の価値を法律において定めておいて、ある証拠が存在するときは、かならず、ある事実を認めなければならない、としたり、また、ある証拠が存在しなければ、ある事実を認めてはならない、とするように、裁判官の証拠に対する価値判断に制限を加えようとする考え方があり、これを法定証拠主義という。そして前者を積極的法定証拠主義、後者を消極的法定証拠主義と名づけている。たとえば、ドイツでは、カール5世皇帝の1532年のカロリナ法典が、この法定証拠主義をとっていた。そこでは、有罪の言渡しをするためには、自白または信憑(しんぴょう)すべき2名以上の有力証人(目撃証人または聞き証人)の証言を必要とする旨の規定が置かれていた。そして一定の条件のもとで、拷問を行って自白を追求することが許されていた。しかし、近代啓蒙(けいもう)思想の発展とともに、拷問の制度が廃止され、この拷問の廃止ということが、証拠裁判主義、自由心証主義の確立を促すことになった。
[内田一郎]
日本でも明治の初めまで自白必要主義がとられていた。すなわち1873年(明治6)6月の改定律例第318条は、「凡(およそ)罪ヲ断スルハ、口供結案ニ依(よ)ル。若(も)シ甘結セスシテ、死亡スル者ハ、証佐アリト雖(いえど)モ、其(その)罪ヲ論セス」と規定して、有罪判決を言い渡すためには、被告人の自白を必要とするとの原則をとっていた。これは、1876年6月10日太政官(だじょうかん)布告第86号によって、「凡ソ罪ヲ断スルハ証ニ依ル若シ未タ断結セスシテ死亡スル者ハ其罪ヲ論セス」と改められ、ここに自白必要主義は撤廃され、証拠裁判主義が採用された。さらに同年8月28日司法省達第64号は、「断罪証拠条件」として、8種の断罪証拠を列挙したのち、「前件ノ証拠ニ依リ罪ヲ断スルハ専(もっぱ)ラ裁判官ノ信認スル所ニアリ」として、自由心証主義を採用することを明らかにした。1880年の治罪法第146条、1890年の旧旧刑事訴訟法第90条、1922年(大正11)の旧刑事訴訟法第337条、現行刑事訴訟法第318条も一貫して自由心証主義を維持している。すなわち証拠の価値判断について、裁判官の合理的な論理法則、経験法則を踏まえた自由な判断に信頼する立場をとってきたのである。ただ憲法第38条3項、刑事訴訟法第319条2項・3項は、自由心証主義に唯一の例外を設けて、万が一にも誤判が生じるようなことのないようにするため、判決裁判所の面前以外でなされた自白、ないし公判廷の自白であると否とを問わず、およそ自白の証明力に制限を設けて、自白のほかに補強証拠が存在することを要求している。
[内田一郎]
民事訴訟法においても、その第247条は、裁判所は判決をするにあたり、口頭弁論の全趣旨および証拠調べの結果を斟酌(しんしゃく)し、自由な心証により事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する、と規定し、自由心証主義をとることを表明している。つまり、この主義は、裁判所が判決の基礎となる事実を認定する際に、その事実の存否の判定を、裁判官が審理に現れたいっさいの資料状況に基づいて自由な判断により到達する心証に任せようとする原則である。しかしながら、自由心証の基礎となる資料は適法に得られたものであることを要するし、いくら心証の形成が裁判官の自由であるといっても、経験法則や論理法則に従ったものでなければならない。そのため、判決の理由中には、いかなる資料からいかなる確信を得たかを、通常人が納得できる程度に示さねばならないとされている。これらの点に不備があると、法令違反の場合と同様に上告理由となる。ただし、この主義の例外として、特別の理由から一定の事実認定につき証拠方法が制限されている場合がある(たとえば民事訴訟規則15条、23条1項、民事訴訟法160条3項、188条など)。なお、民事訴訟において裁判上の自白があると、弁論主義の行われる範囲内では、その陳述の真否を判断することを要せず、またこれに反する認定もできないが、この場合は、当事者間に争いがないためその事実につき裁判官の認定権が排除されるのであって、自白を法定証拠としているわけではない。
[内田武吉・加藤哲夫]
(1)裁判における事実認定に際し,証拠の証明力の評価について法律によるなんらの拘束も設けず,これを裁判官の自由な判断にゆだねる主義。フランス法の証拠の評価を裁判官の内的確信にゆだねる制度système de l'intime conviction,ドイツ法の自由な証拠評価の主義Prinzip der freien Beweiswürdigungに相当する語である。これに対し一定の証拠に特別の価値を認め,その証拠があるときは必ず一定の事実を認定しなければならないとか,一定の事実を認定するには一定の証拠が必要であるというように,法律によって裁判官の判断を拘束する制度を〈法定証拠主義〉と呼ぶ。
法定証拠主義は,歴史的には近世初頭における糾問手続の確立に伴って現れてきたもので,裁判官の資質にばらつきがあり,また社会生活が比較的単純小規模なうちは,裁判官の恣意的判断を防止し,合理的な事実認定を可能にするという利点をもっていた。しかし社会の近代化に伴い,複雑化した社会生活の現実を形式的な判断法則によりとらえることは,かえって真実の発見を妨げることが意識されるようになった。またとくに刑事手続において,法定証拠主義は被告人の自白を有罪認定の条件とするものであったため,必然的に自白を得るための拷問の制度と結びつき,その弊害には著しいものがあった。こうしてフランス革命において法定証拠主義は排斥され,フランス訴訟法に自由心証主義が採用されて以来,これが近代的な訴訟法の基本原則の一つとして諸国の立法に導入され,日本でも民事訴訟法,刑事訴訟法の双方に自由心証主義を宣言する明文の規定がおかれている(民事訴訟法247条,刑事訴訟法318条)。
自由心証主義は,裁判官の識見,判断に対する信頼に立脚するものであり,もとより裁判官の恣意を許すものではない。裁判官はこの信頼にこたえるべく,裁判実務上の経験と証拠の評価に関するさまざまな補助科学の知見を支えとして,論理法則・経験法則に従い合理的な事実認定に努める責務を負っているのである。
(2)民事訴訟法では,(1)で述べた意味のほか,事実認定に用いる証拠の範囲に格別の制限のないことも自由心証主義の内容とされている。特別の事情に基づく例外はあるが(民事訴訟法160条3項,188条),原則としてあらゆる人や物を証拠とすることができ,その取調べの結果が信用できるかどうかも裁判官の判断にゆだねられている。さらに裁判所は証拠調べの結果だけでなく,当事者の弁論の内容,陳述態度,証拠提出の時期など審理の過程に現れたいっさいの資料をも〈弁論の全趣旨〉として斟酌し,事実を認定することができる(例外,208条,224条)。自由心証の範囲内ではどのような認定をしても違法の問題は生じない。しかし判決理由中の説明が通常人の納得を得がたい不合理なものである場合は,適法な事実の確定とはいえないので,判決の法令違背として上告審のコントロールを受けることになる。
(3)刑事訴訟法では,伝聞証拠に証拠能力の制限が設けられる等,事実認定の資料となる証拠の範囲は民事訴訟法よりせばめられているが,これは自由心証主義の直接的な制限ではない。また弁論の全趣旨を斟酌することが正面から認められてはいないが,事実上証明力の判断に際して考慮されることはありうる。不合理な認定が上訴審の審査を受けることも民事訴訟法と同様である。ただし自白の証明力につき重大な制限が法定されており,自白だけで十分に有罪の心証が得られた場合でも,なお補強証拠がなければ有罪とすることができない(憲法38条3項,刑事訴訟法319条2項)。この限度で自由心証主義は直接的に制限されているのである。
→心証
執筆者:酒巻 匡
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…証明は通常,過去の事実に関するものであるため,数学的,論理的,科学的証明に対して歴史的証明といわれる。訴訟上の証明は,何を(証明の対象),何によって(証拠方法),どのように調べ(証拠調べ),どのように認定し(自由心証主義),どの程度で証明があったとするか(証明の程度)が問題となる。 証明の対象は,通常は法規の要件に相当する事実(主要事実)であって,おもに過去の事実の存否であるが,将来の事実の場合もあり,経験則や外国の法規も証明が必要となる場合がある。…
※「自由心証主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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