芝大神宮(読み)しばだいじんぐう

精選版 日本国語大辞典 「芝大神宮」の意味・読み・例文・類語

しば‐だいじんぐう【芝大神宮】

東京都港区芝大門にある神社。旧府社。祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)源頼朝徳川家康。寛弘二年(一〇〇五創建。例祭(九月一六日)は生姜(しょうが)祭として有名。芝神明。飯倉神明。日比谷神明。

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デジタル大辞泉 「芝大神宮」の意味・読み・例文・類語

しば‐だいじんぐう【芝大神宮】

東京都港区芝大門にある神社。主祭神は天照大神豊受大神。寛弘2年(1005)の創建と伝える。芝神明。

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日本歴史地名大系 「芝大神宮」の解説

芝大神宮
しばだいじんぐう

[現在地名]港区芝大門一丁目

増上寺の東、大門だいもん通北側に位置する。飯倉いいぐら神明宮・日比谷ひびや神明宮ともいう。天照皇大神・豊受皇大神を祭神とし、源頼朝と徳川家康(東照宮)を配祀する。旧府社。明治までは神明宮と号した。

縁起などによると、寛弘二年(一〇〇五)九月一条天皇の勅命により伊勢の内外両宮の神(天照皇大神・豊受皇大神)を勧請し創建したという。中世には関東において広く知られた社で、建久四年(一一九三)源頼朝より宝剣の奉納と神願一千三〇〇貫余を寄進され、栄えたという(「再校江戸砂子」「新撰東京名所図会」など)。建武四年(一三三七)足利直義の依頼により戦勝祈願の祈祷を行った文書がある(同年正月七日「足利直義御教書」社蔵)。古くは武蔵国豊島郡日比谷郷飯倉庄あるいは増上寺山際の飯倉山に置かれていたというが、慶長年間(一五九六―一六一五)に現在地に移転した。また三田小山の天祖こやまのてんそ神社は元神明とも唱え、当宮の旧地という説もあるが定かではない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「芝大神宮」の意味・わかりやすい解説

芝大神宮
しばだいじんぐう

東京都港区芝大門(だいもん)に鎮座。祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)の2神で、相殿(あいどの)に倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、源頼朝(よりとも)、徳川家康の3神を祀(まつ)る。1005年(寛弘2)の創立と伝え、もと伊勢(いせ)神宮の御厨(みくりや)、飯倉山(いいくらやま)(いまの芝公園丸山)にあったという。神明宮、飯倉神明宮などとよばれ、源頼朝をはじめ太田、徳川など武将の崇敬厚く、1868年(明治1)准勅祭社に、72年には府社となり、社名も現社名に改称された。例祭は創立の日と伝える9月16日で、その前後11~21日は「だらだら祭」とよばれ、「生姜市(しょうがいち)」が立ち、小伝馬町(こでんまちょう)の「べったら市」とともに著名。

[飯尾直樹]

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事典・日本の観光資源 「芝大神宮」の解説

芝大神宮

(東京都港区)
東京十社」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の芝大神宮の言及

【神明社】より

…近世初期,全国的な土地開発の進展により,在郷町や新田村に神明社が創建され,城下町や商工都市での例と同様めざましい現象であった。なお,東京都の23区内には,芝大神宮(飯倉御厨のゆかりによる創建)を除いて神明・太神宮とよばれるものがほとんどないが,これは明治初年に東京府がいっせいに府域内の神明・太神宮を〈天祖(てんそ)神社〉(天照(てんしよう)の呼称からの発想によるか)と改称させたことによる。【萩原 竜夫】。…

※「芝大神宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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