改訂新版 世界大百科事典 「蓬萊山」の意味・わかりやすい解説
蓬萊山 (ほうらいさん)
Péng lái shān
中国,神仙思想で説かれる三神山の一つ。起源的には,戦国時代に渤海(ぼつかい)沿岸に位置する斉・燕2国の方術者たちが,蜃気楼(しんきろう)現象と神仙説とを付会して唱え始めたものである。《史記》などによると,渤海中には蓬萊・方丈・瀛洲(えいしゆう)の三神山があって,仙人が住み不死の薬があり,山上の鳥獣はすべて純白で,仙人の住む宮殿は金銀でつくられている。また,この三神山は遠くから見ると雲のようにみえるが,近くから見ると海中にあり,俗人が近づくと風が引きもどして行きつけないという。後世,この三神山に岱輿(たいよ)・員嶠(えんきよう)を加えた五神山説も唱えられたが,蓬萊山は終始その代表格であった。神仙思想の熱心な信奉者であった秦の始皇帝や漢の武帝などは,実際に徐市(じよふつ)(福)らを派遣してこの三神山を捜し求めさせている。その後,神仙思想が山岳信仰を軸に展開するようになると,五岳をはじめとする名山が中心的位置を占めるようになった。
執筆者:麦谷 邦夫
蓬萊山 (ほうらいさん)
今様の曲名。祝言の内容をもつ曲で,歌詞は〈ヤ 蓬萊山には ヤ 千とせ(歳)ふる ヤ 万歳千秋 かさ(重)なれり ムヤ 松の枝(えだ)には 鶴巣くひ ム 巌がそばには ヤ 亀遊ぶ〉。七五調4句から成り,ところどころに,はやしことばの類が挿入されている。《綾小路俊量卿記(あやのこうじとしかずきようのき)》,東北大本《今様》と《朗詠九十首抄》に曲譜が伝わるが,東北大本には,ム,ヤのことばは入っていない。《御遊抄》清暑堂の項,文正1年(1466)の条に,〈朗詠 徳是(とくはこれ)二反,今様 蓬萊山一反 有之〉と見え,御遊のときに,催馬楽(さいばら)や朗詠と並んで歌われた。また《源平盛衰記》には,祇王・祇女が〈同音に歌ひ澄したりければ,入道興に入給へり〉とある。
執筆者:蒲生 美津子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報