律令(りつりょう)官僚制において、親王、諸王および貴族官僚の子孫(蔭子(おんし)、蔭孫(おんそん))に授けられた特典的な位階。唐制をモデルに、701年(大宝1)の大宝律令(たいほうりつりょう)で創設され、同年から適用された。親王の子には従(じゅ)四位下、五世王を含む諸王の子には従五位下、五世王の嫡子には正六位上、庶子には正六位下を授けたが、別勅処分による特例があった。また諸臣には、21歳以上になると、一位官僚の嫡子には従五位下、庶子には正六位上、以下しだいに叙階が下って、内・外(げ)従五位の嫡子には従八位上、庶子には従八位下を授けたが、従三位(じゅさんみ)以上の上級貴族官僚の孫は、子より一階降ろして授ける規定であった。この規定は、別勅特授を除き、厳密に適用されたが、同じく唐制を継受した式部省の官僚採用試験の合格者の叙位の最高が正八位上であったから、蔭位が著しく引き上げて規定されたのは、同じ階級、階層から貴族官僚が再生産されるうえで重要な役割を果たした。そして728年(神亀5)3月、内・外五位の処遇差を設ける一環として、外五位官僚の子への蔭位を引き下げ、従八位上から大初位(だいそい)下にわたる叙位を規定した。ついで800年(延暦19)四位官僚の孫にも蔭位が追加され、嫡子、庶子からそれぞれ四階降ろして叙した。また蔭位は、706年(慶雲3)から、一定年数にわたる大学における就学、あるいは舎人(とねり)としての勤務ののちに授けられることになったが、795年(延暦14)、21歳になれば授けると改変された。
[野村忠夫]
日本古代において貴族官人である父祖の位階に応じて,子・孫に位階を授ける制度。唐制を継受,改変して大宝律令(701成立)で創設された。21歳以上になると,親王の子は従四位下,諸王の子は従五位下を授けられ,一位官人の嫡子は従五位下,庶子は正六位上,しだいに下って内・外五位官人の嫡子は従八位上,庶子は従八位下を授けられた。また従三位以上の上級貴族官人の孫は,子より一階を降ろして叙された。一方,このような蔭位の優遇をうけず式部省による国家試験で官人機構に参加する場合,叙位の最高でも正八位上である。唐制においては蔭階と国家試験の叙品との上限がほぼ同等であるが,日本の蔭位が上限を著しく引き上げて規定したことは,貴族階級を同一階級から再生産するうえで重要な役割を果たした。なお728年(神亀5)に外五位官人の嫡・庶子の蔭位が引き下げられ,800年(延暦19)には,四位官人の孫に蔭位が追加規定された。
→位階 →位子
執筆者:野村 忠夫
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律令制下,父祖の位階によってその子・孫が一定の位階を与えられる制度。初叙の年限は21歳以上で,親王の子は従四位下,諸王の子は従五位下,諸臣は嫡子の場合,一位は従五位下,二位は正六位下,三位は従六位上,正四位は正七位下,従四位は従七位上,正五位は正八位下,従五位は従八位上で,庶子は嫡子より1階下げる。三位以上の場合は孫にも及び,子より1階下とされた。外位(げい)も内位に準じるが,神亀5年(728)格(きゃく)によって内位より1~2階下げられた。蔭位は秀才以下の試験による初叙の最高位が正八位上であるのに比して高く,高位の貴族官人を同一階層で維持するのに役立ったと考えられている。
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…また,三位以上の場合には孫にも,子より1階下の位が与えられた。これを蔭位(おんい)というが,これによって,高位の者の子孫はきわめて有利な昇進が可能であった。また,官吏登用試験の合格者には,その科目・成績によって正八位上~大初位下が与えられた。…
…日本古代の律令官僚制で,人材を選んで官を授け,また毎年の勤務評定にもとづくなどで位階に叙すること。大宝選任令・養老選叙令によると,叙位は,内・外(げ)五位以上に叙する勅授,内八位・外七位以上に叙する奏授,外八位および内・外初(そ)位に叙する官判授の3段階に分かれたが,蔭位(おんい)資格者は21歳以上,その他は25歳以上で叙位された。任官は,大納言以上などの中枢的な高級官僚を任命する勅任をはじめ,奏任,判任,式部判補の4段階に区分されたが,律令官僚の採用・昇進についての基本理念は徳行才用主義とよばれ,本人の徳性を中心にして,才能の高いものを任ずることをたてまえとした。…
…まず奈良時代には,天皇の地位は嫡系継承(嫡子から嫡孫へ)が目指され,そのために間に何人かの中継ぎの女帝を挟みつつ,天武天皇の嫡系の子孫が奈良後期まで続く(皇位継承)。官人層については,継嗣令に明確に嫡系継承が規定されているが,それはもっぱら位階継承(蔭位(おんい))のためであって,中国流の祭祀相続・家長権を伴った実体としての〈家〉の継承を意味するものではない。位階継承の背後に存在した現実の集団としては〈氏〉が想定される。…
…【山田 鐐一】
【歴史】
[日本]
(1)古代 古代の養子は唐令の影響をうけた戸令(律令)聴養条に,子がない場合は4等以上の親で昭穆(しようぼく)に合う者すなわち父子の世代の序列があっている者を養子としてもよいと規定されている。しかし当時の法律家は本条の養子をもっぱら実男子なき場合の蔭位(おんい)継承の観点から論じており,また,《続日本紀》大宝1年(701)7月戊戌条や天平宝字5年(761)4月癸亥条にみえる養子も,実男子なき場合の功封・蔭位継承者として問題にされている。当時は嫡子により継承・相続される家が未成立で,子の継ぐ物は財産を除くと令が規定している蔭位などの貴族的特権しか存在しなかったことから考えれば当然といえる。…
※「蔭位」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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