デジタル大辞泉
「蝉丸」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
せみまる【蝉丸】
- [ 1 ]
- [ 一 ] 平安初期の歌人。伝説的人物で、宇多天皇の第八皇子敦実親王に仕えた雑色(ぞうしき)とも、醍醐天皇の第四皇子ともいう。盲目で琵琶に長じ、逢坂(おうさか)の関に庵を結び隠遁生活をしたと伝えられる。生没年不詳。
- [ 二 ] 謡曲。四番目物。各流。作者不詳。古名「逆髪(さかがみ)」。延喜帝の第四皇子蝉丸の宮は幼少から盲目だったので、帝は清貫(きよつら)に命じて逢坂山に捨てさせる。蝉丸は頭を剃り、琵琶をだいて泣き沈む。一方、髪がさか立つ病気を持つ姉の逆髪の宮は、狂乱の体でさまよい歩いて逢坂山に至り、蝉丸の琵琶の音にひかれて弟と再会する。二人は互いの身の不幸を嘆き、やがて名残りを惜しみながら別れる。
- [ 三 ] 浄瑠璃。時代物。五段。近松門左衛門作。元祿一四年(一七〇一)大坂竹本座での上演は、竹本義太夫が筑後掾(ちくごのじょう)を受領した祝儀として再演されたもので、初演は元祿六年二月以前と推定。謡曲「蝉丸」に題材をとる。琵琶の名手蝉丸の宮は直姫を恋し、北の方の怨念で盲目となり、逢坂山へ捨てられるが、姉宮逆髪の祈祷で開眼する。
- [ 四 ] 横笛の名器の名。
- [初出の実例]「蝉丸 或記云く、保延四年十一月廿四日夜半許、土御門内裏炎上のとき焼失」(出典:続教訓鈔(14C前か))
- [ 2 ] 〘 名詞 〙
- ① ( [ 一 ][ 一 ]が琵琶に秀でていたところから ) 琵琶法師をいう。
- [初出の実例]「蝉丸に似た人をよぶ大法事」(出典:雑俳・柳多留‐二四(1791))
- ② 蝉のこと。
- [初出の実例]「晴天の蝉丸は声ども惜しまずぞ叫びける」(出典:御伽草子・貴船の本地(室町時代物語大成所収)(室町末))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
蝉丸(能)
せみまる
能の曲目。四番目物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)作か。古くは『逆髪(さかがみ)』ともよばれた。盲目に生まれついた皇子蝉丸(ツレ)は、父の帝(みかど)の命令で逢坂(おうさか)山に捨てられる。護送していく臣下の者(ワキ)は嘆き悲しむが、蝉丸は前世の業(ごう)をこの世で果たさせる親の慈悲と、あきらめを語る。剃髪(ていはつ)させられ、ひとり山に取り残されると、さすがに蝉丸も泣き伏すが、博雅三位(はくがのさんみ)(アイ狂言)が庵(いおり)をしつらえて保護にあたる。姉宮の逆髪(シテ)は、狂気の放浪の途中に、この逢坂山に来かかり、蝉丸の弾く澄んだ琵琶(びわ)の音を聞きつけ、弟との対面となる。幸薄い姉弟のはかない逢瀬(おうせ)。やがて姉宮は、またあてどない旅に別れていく。悲痛な宿命を描きながら、舞台に流れるむしろ甘美な叙情性で人気曲の一つ。第二次世界大戦中は、皇室に対する不敬な能として、上演が禁止されていた。典拠は『今昔物語』『平家物語』など。
[増田正造]
蝉丸(歌人)
せみまる
生没年不詳。平安初期の歌人。「これやこの行くも帰るも……」の歌で知られる伝説的人物で、その出生も宇多(うだ)天皇第八皇子敦実(あつざね)親王に仕えた雑色(ぞうしき)とも、醍醐(だいご)天皇の第四皇子とも伝える。盲目で琵琶(びわ)に長じ、逢坂山(おうさかやま)の関に庵(いおり)を結び、隠遁(いんとん)生活をした。源博雅(ひろまさ)はその琵琶に3年間師事をした、と伝える。盲目の琵琶法師たちの座である当道では、その職業の起源を語る蝉丸の伝説は長く重んじられてきた。謡曲『蝉丸』は、盲目のため帝(みかど)から逢坂山に捨てられた蝉丸と、狂い出た姉の逆髪宮(さかがみのみや)の琵琶の音にひかれての再会の物語である。蝉丸伝説は『今昔物語集』巻24や『平家物語』巻10にも記されている。
[渡邊昭五]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
蝉丸【せみまる】
能の曲目。四番目物。狂乱物。五流現行。琵琶の名手ながら盲目のため山に捨てられた皇子蝉丸と,姉宮逆髪(さかがみ)の邂逅(かいこう)を描く。弟の仏教的諦観(ていかん)と,狂乱の放浪者である姉の即興的な性格が描かれ,姉の描写にむしろ甘美な詩情がある。世阿弥の作とされる。これを翻案した浄瑠璃に近松門左衛門の《蝉丸》があり,その詞章の一部を流用した河東節《蝉丸笠の段》(半太夫節からの継承曲)もある。
→関連項目狂乱物
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
蝉丸
せみまる
能の曲名。四番目物 (→雑物 ) 。世阿弥作とする説もある。延喜帝の第4子蝉丸 (ツレ) は,生れながらの盲目ゆえに,勅諚によって清貫に伴われ,逢坂山で髪をおろす (物着) 。蝉丸は前世の業障を現世で果させんとの父帝の慈悲と,琵琶を胸にひとりわら屋に残る。そこへ蝉丸の姉宮逆髪 (シテ) が,髪の逆立つ異形の体で現れ,狂乱して (カケリ) ,わら屋の内の琵琶の音に耳を留め,蝉丸と会う。2人はわが身の不遇を嘆くが (クセ) ,また逆髪はいずこともなく去っていく。本曲を素材として浄瑠璃に移したのが,近松門左衛門作『蝉丸』で,元禄 14 (1701) 年大坂竹本座で初演された。
蝉丸
せみまる
平安時代前期の歌人。宇多天皇の皇子敦実親王の雑色 (ぞうしき) とも,醍醐天皇の第4皇子ともいい,逢坂の関あたりに住んだ。盲僧。『後撰集』以下に4首入集。『今昔物語集』巻二十四,『平家物語』巻十一にみえ,能および近松門左衛門の浄瑠璃に『蝉丸』がある。琵琶の名手で,逢坂関明神に祀られている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
蝉丸 せみまる
?-? 平安時代中期の歌人。
「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」(「小倉百人一首」)で知られる伝説的人物。宇多天皇の皇子につかえた雑色(ぞうしき)とも,醍醐(だいご)天皇の第4皇子ともいう。「今昔物語集」では琵琶(びわ)の名手とされる。謡曲に「蝉丸」がある。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
蝉丸
(通称)
せみまる
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 蝉丸女模様
- 初演
- 享保10.11(江戸・市村座)
蝉丸
せみまる
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 元禄11.11(大坂・岩井半四郎座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報