雑色とは本来,種別の多いことおよび正系以外の脇役にあるものを意味し,形容詞としても使われたが,そうした傍系にある一群の人々,すなわち雑色人も雑色とよばれた。古代には四等官の正規の官人に対する準官人,農耕を本業とする思想によって末業の工芸民,諸司に分属して専門技術に従う伴部や使部など,その場所と立場に応じて異なった内容をもっている。古くは公民の最下部に属して賤民に近い品部(しなべ)・雑戸(ざつこ)を指す階級身分の語と解する説が行われたが,それは正確ではなく,書算など才技のある白丁(はくてい)が官人に出身する一つの経路でもあった。
律令制下の雑色としては諸司雑色,諸国雑色,諸家雑色などがある。諸司雑色は四等官の下部に属した判補の職で,課役を免除され,考課によって舎人(とねり),史生(ししよう)に任ずる道も開かれていた。図書寮の写書手,装潢手,造紙手,雅楽寮の倭楽生,唐楽生なども雑色で,寺社の造営に当たった主典(さかん),領などの書記官や仏工,画師,鉄工,木工なども雑色とよばれた。品部・雑戸との関連を思わせる者もあるが,有位者も少なくない。雑色の人数は〈民部式〉に大国60人,上国40人,中国30人,下国20人とみえ,諸省に配属されたが,国衙・郡衙に属して民政の実務に携わる者もあり,平安時代には国衙在庁の構成員となり,給田として雑色田も設けられた。諸家雑色は家司(けいし),帳内,資人とともに主家の家務に従事したが,平安時代には地方の富豪層が王臣家の雑色などとなり,本主の威をかりて国郡司の命に従わない現象も現れた。春宮坊や摂関家の家政機関に属した雑色には,蔭孫や受領の子などのしかるべき家柄の者が任じられたが,とくに蔵人の雑色は,本員数8人で代々蔵人に補せられる名誉の職とみなされていた。
鎌倉幕府の創立期,源頼朝の雑色は政治的にもめざましい活躍をみせ,足立(安達)新三郎清恒のように,物語上での雑色の典型人物も現れる。彼らは御家人とは違って確たる本領をもたぬ者たちであったが,頼朝の身辺に仕えてその信頼は厚く,しばしば御使として機密を要する事に従い,囚人の護送,賓客の護衛,敵情の偵察,合戦の検見や,訴訟事件の調査,御家人の交名(きようみよう)の作成などの要務に当たっている。しかし幕府の官制が整うにつれて雑色の活動分野は狭められ,幕府体制下では,小侍所の指揮下で将軍出御に供奉するほか,朝夕(ちようじやく)雑色は雑色番頭に属して御所内の雑務に当たり,国雑色は召文配布などの雑事を勤めている。室町幕府でも雑色は公人番頭のもとで同様の雑事に当たったが,その衣服料は奉公衆にあて課された。また江戸時代の京都には四座雑色と称する上4人,下8人の雑色があり,京都での諸行事と要人の警固,民衆への布告の伝達,その訴訟の取次ぎ,宗門改帳の取次ぎ提出,牢屋の詰番などに当たった。四条室町を起点に京都を四分し,五十嵐,松村,松尾,荻野の上雑色4家で分担したが,所司代の管轄下で公家・幕府と民衆との中間に介在する半ば自治的な町役人として絶大な権力をもっていた。なお,幕府以外の一般の雑色の身分について《貞丈雑記》は,武家では中間(ちゆうげん)より下で馬屋の者より上,公家では中間を雑色という,と解説している。
執筆者:福田 豊彦
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古代の律令(りつりょう)制に始まる用語で、中世より近世まで用いられたが、いずれも下級の諸種の身分と職掌を表す。
古代では、「諸司雑色人」といって、朝廷の官人や有位者の下にあって、雑使に従う使部(しぶ/つかいのよぼろ)、宮廷の諸門の守衛、殿舎の清掃・管理・修理、乗輿(じょうよ)の調進、供御(くご)の食物の調理、水氷の供進などにあたる伴部(ばんぶ/とものみやつこ)などの職種があった。それより身分が低く、宮廷工房で生産にあたる品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)も雑色に含める解釈もあり、各官司で、写書、造紙、造筆、造墨、彩色、音楽などに従う諸生・諸手もそうよばれた。また造寺司のもとの各所の下級官人や、仏工、画師、鋳工、鉄工、木工、瓦(かわら)工などの工人も、このうちに含まれる。これらは、一般の農民=白丁(はくてい)とは区別され、属吏としての身分をもち、また官位を有するものもあり、課役を免除される点に特色がある。
その後、雑色の概念は拡大され、「諸国雑色人」といって、国衙(こくが)や郡家で、上記に準じた身分のもの、「諸家雑色人」として貴族の家務に従う従者にも適用され、また蔵人所(くろうどどころ)をはじめ政府の諸所が成立すると、蔵人所雑色のような特殊なものも現れる。
中世に入って、武家の従者が雑色とよばれるのは、おもに「諸家雑色人」の系譜を継ぐもので、幕府の番衆の下級役人から、一門以外の従者に及ぶまで用いられた。
[平野邦雄]
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雑色人とも。組織・支配系統のなかで下層に位置づけられた人々をさす。具体的な内容は時代・用例により異なる。古代では(1)品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)の総称,(2)官衙の下級職員,(3)王臣家の下級家務従事者,(4)国家の造営事業に従事した工匠などの総称,といった用例がある。なお(3)の用例は中世以降にもみられる。中世ではこのほかに幕府で雑役を勤めた下級職員をさす場合もある。近世の京都では四座雑色(しざのぞうしき)という町役人的存在がみられる。
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…供御物貢進の体制は,その後11世紀後半以降再び大きく改革され,中世的な御厨と供御人(くごにん)の体制が成立するが,蔵人所はひきつづき供御人に対する裁判権を掌握し,その本家的な存在として,彼らの活動を保護する一方で,彼らの奉仕による収入を重要な経済基盤とした。
[蔵人所の職員]
蔵人所には別当,蔵人頭,蔵人,非蔵人,雑色(ぞうしき),所衆,出納,小舎人(こどねり),滝口,鷹飼等の職員が置かれた。別当(1名)は蔵人所の総裁である。…
…五十嵐,荻野,松村,松尾の4氏が統括したので四座と称した。四座雑色の起源は室町幕府で京都の検断を行った侍所の小舎人雑色にもとめられるが,江戸幕府による京都支配機構の末端に組み入れられたのは1601年(慶長6)板倉勝重が四座に四方内を分担させて以来のことである。もとは荻野,五十嵐の2氏のみであったが,足利義政のころに松尾,松村の2氏が加えられた。…
※「雑色」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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