西国寺(読み)さいこくじ

精選版 日本国語大辞典 「西国寺」の意味・読み・例文・類語

さいこく‐じ【西国寺】

  1. 広島県尾道市西久保町にある真言宗醍醐派の寺。山号は摩尼山。天平年間(七二九‐七四九)行基(ぎょうき)の開創と伝えられる。永保年間(一〇八一‐八四)慶鑁(けいばん)が再興。白河天皇勅願所。総持院。

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日本歴史地名大系 「西国寺」の解説

西国寺
さいこくじ

[現在地名]尾道市西久保町

西寺にしてら小路を登った西国寺山中腹にあり、摩尼山惣持院と号し、真言宗醍醐派。本尊薬師如来鎮守として賀茂神社を祀る。行基の草創と伝え、西国寺由来記(当寺文書)によると、治暦二年(一〇六六)焼亡、宝性親王の弟子慶鑁僧正が白河天皇の勅を奉じて永保年中(一〇八一―八四)伽藍を再興、院の祈願所となったという。西国寺不断経修行之記写(同文書)には、嘉承二年(一一〇七)勅により不断経の法会を執行、後白河院の宣旨により仁安元年(一一六六)からは例年七月七日より一七日まで執行するようになったとある。のち再び火災に遭い、永享年中(一四二九―四一)再建が進められた。正和元年(一三一二)二月二日付の花園院御綸旨写(「新修尾道市史」所収)によると、尾道浦の寺領を安堵されている。

永享元年三月日付の沙門宥尊西国寺三重塔婆建立勧進帳(当寺文書)に、西国寺の寺号は京都東寺正流之教法を継いだ西国一の寺を意味し、荘園二ヵ所を寄せられ諸堂が完成したとあり、三重塔が未再建なので寄進を求めている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西国寺」の意味・わかりやすい解説

西国寺
さいこくじ

広島県尾道(おのみち)市西久保町にある真言(しんごん)宗醍醐(だいご)派の大本山。摩尼山(まにさん)総持院と号する。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。天平(てんぴょう)年間(729~749)行基の開創と伝える。弘法(こうぼう)大師(空海)が入唐求法(にっとうぐほう)の帰途に当寺に留まり、如意宝珠(ほうじゅ)の奇瑞(きずい)を顕(あらわ)し、摩尼山と称号。1066年(治暦2)火災により焼失し、白河(しらかわ)天皇の勅命により仁和寺(にんなじ)の性信(しょうしん)法親王の弟子慶鑁(けいばん)が復興、1108年(天仁1)勅願寺(ちょくがんじ)となり、仁和寺の末寺となった。南北朝時代にふたたび火災にあったが、永享(えいきょう)年間(1429~41)足利(あしかが)6代将軍義教(よしのり)をはじめ、備後(びんご)(広島県)の守護山名宗全(やまなそうぜん)(持豊(もちとよ))らによって復興され、七堂伽藍(がらん)の偉容を整えた。国重要文化財に金堂、三重塔、薬師如来坐像(ざぞう)、釈迦(しゃか)如来立像(快慶作)、弘法大師将来の五鈷鈴(ごこれい)・二竜錫杖(しゃくじょう)、白河天皇愛用の五鈷鈴などがあるほか、県重要文化財仁王(におう)門、絹本着色弘法大師像などがあり、仏画、文書、経典、仏像など寺宝は多い。

[野村全宏]


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