リード(読み)りーど(英語表記)Carveth Read

デジタル大辞泉 「リード」の意味・読み・例文・類語

リード(lead)

[名](スル)
うまくできるように相手を導くこと。また、先頭に立って集団を導くこと。「リードのうまい捕手」「団員をリードする」「流行をリードする」「時代をリードする」
競技・競走などで、相手に差をつけて優位に立つこと。「五馬身のリード」「赤組が3点リードしている」
野球で、走者が次の塁をうかがって塁から進み出ること。「リードが大きすぎる」
リレーで、前の選手からバトンを受け取るときにあらかじめ走っておくこと。
社交ダンスで、男性が、体重の移動や手のサインなどによって女性を導くこと。
クレー射撃で、標的の移動を計算に入れて、移動方向の先を撃つこと。狙い越し。
カーリングで、1投目と2投目を担当する選手。
リードクライミング
新聞・雑誌で、見出しの次におかれる、記事の内容を要約した文章。前文。前書き。
10 犬などに着ける引き綱。
11 電気の引き込み線。導線。
12 ねじを1回転したときに軸方向に進む距離。
13セールスリード
[類語](2)(3)(4先行先立つ先んずる先んじる先駆ける先走る先に立つ先頭を切る先導主導誘導率先音頭取り先駆前駆先回り抜け駆け

リード(Herbert Read)

[1893~1968]英国の詩人・批評家。文芸批評・美術批評のほか、政治問題にも言及。詩集「戦いの終わり」、評論「芸術の意味」「芸術と社会」など。

リード(reed)

リード楽器の発音源となる、アシ・竹・金属などでできた薄片。空気を吹きつけることによって振動させ音を出す。した

リード(Carol Reed)

[1906~1976]英国の映画監督。ドキュメンタリータッチの緊迫感あふれる作風で知られる。作「邪魔者は殺せ」「第三の男」など。

リード(Thomas Reid)

[1710~1796]英国の哲学者。常識学派(スコットランド学派)の代表者の一人。

リード(read)

読むこと。また、コンピューターで、読み込むこと。

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共同通信ニュース用語解説 「リード」の解説

リード

壁の高さは12メートル以上で、制限時間内に到達した高さを競う。ルート途中にある金具にロープをかけることで安全を確保しながら登る。長い距離を登る種目のため持久力が求められる。手掛かり、足掛かりとなるホールド(突起物)には下から順番に番号が振られ、何番目まで到達できたかの数字が記録となり、最も上のホールドのそばにある金具にロープをかけると完登となる。数字に+(プラス)が付くケースがあり、次のホールドを取りにいく動きを出せた場合に記録され、プラスがない記録より上位になる。

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精選版 日本国語大辞典 「リード」の意味・読み・例文・類語

リード

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] lead )
  2. ( ━する ) 導くこと。指揮・統率すること。〔外来語辞典(1914)〕
  3. ( ━する ) 社交ダンスで、男子が手や足の動きで、女子を次のステップへと導くこと。
    1. [初出の実例]「恭吾のリードで、ステップを踏み始めると」(出典:帰郷(1948)〈大仏次郎〉触手)
  4. ( ━する ) 競技などで、優勢であること。先んじていること。勝ちこすこと。〔日本野球史(1929)〕
  5. ( ━する ) 野球で、次の塁をねらって塁から進み出ること。〔ベースボール(攻撃篇)(1927)〕
  6. 新聞・雑誌記事で、見出しの次におかれる内容を要約した文章。概要文。前書き。前文。
    1. [初出の実例]「リード(書き出し)はもうちょっと、工夫したらどうかね」(出典:鉛筆ぐらし(1951)〈扇谷正造〉新聞学校カリキュラム)
  7. 音楽で、主となる部分を奏し、全体を導いていくこと。「リードギター」
    1. [初出の実例]「ワン・コーラスは俺のリードで行く」(出典:さらばモスクワ愚連隊(1966)〈五木寛之〉三)
  8. 機械で、ピストンの行程より弁の行程が進んでいること。進み。先開き。
  9. 電気の引込線。導線。
  10. ねじの隣接した山(または谷)の間の距離。一条ねじではピッチに等しい。二条ねじではピッチの二分の一となる。

リード

  1. [ 一 ] ( Sir Herbert Read サー=ハーバート━ ) イギリスの詩人、批評家。詩作活動と同時に、現代芸術に関するすぐれた芸術理論を展開させた。詩集「戦いの終わり」、評論「芸術の意味」など。(一八九三‐一九六八
  2. [ 二 ] ( John Reed ジョン━ ) アメリカのジャーナリスト、詩人。社会主義に共鳴し、メキシコ、ロシアの革命を報道した。代表作は「世界をゆるがした十日間」。(一八八七━一九二〇
  3. [ 三 ] ( Thomas Reid トマス━ ) イギリスの哲学者、倫理学者。観念がただちに実在する外的対象をさし、観念によって外的対象を知覚できるという実在論、つまり常識の哲学を展開した。常識には、偶然的真理と必然的真理とがあるとし、また、道徳的原理は良心により直覚されるとした。(一七一〇‐九六
  4. [ 四 ] ( Carol Reed キャロル━ ) イギリスの映画監督。ドキュメンタリー風の、緊迫感のある作品で知られる。「邪魔者は消せ」「第三の男」「オリバー!」など。(一九〇六‐七六

リード

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] reed 「葦」の意 ) 木管楽器やリード‐オルガンなどの有簧(ゆうこう)楽器の発音源となるもの。それぞれの楽器に応じて、葦・金属・木・竹その他種々の材質から作られるが、おおむね弾力性のある薄片で、空気を吹きつけることで発音する。した。

リード

  1. 〘 名詞 〙リート

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百科事典マイペディア 「リード」の意味・わかりやすい解説

リード

アシ(葦)の意。そこから転じて気鳴楽器(楽器)を鳴らすための振動体のこと。空気を吹き込むと振動し,発音源となる。オーボエクラリネットなどではアシなどの茎を薄く削ったもの,(しょう),ハルモニウムなどでは金属片を使用。クラリネットやサクソフォーンなどはリードが1枚だけで機能する〈シングル・リード〉で,リードが歌口の背と触れ合って振動,一方オーボエやファゴットなどは〈ダブル・リード〉で,2枚のリードが互いに触れ合って振動する。また,笙やハーモニカなどの場合は〈フリー・リード〉といい,通路すれすれの大きさの振動体が付けられ,周縁にはふれずに通路をくぐって振動する。いわゆる〈らっぱ〉の類は奏者の唇自体がリードに似た役割を務めるため,〈リップ・リード〉という表現が用いられる。
→関連項目アウロスイングリッシュ・ホルン管楽器管子クルーアン・サーイケーンコントラファゴットサリュソホーンスルナイ電気楽器バッグパイプフラジョレットフルート木管楽器

リード

英国の映画監督。1935年監督となり,《邪魔者は殺(け)せ》(1947年),《落ちた偶像》(1948年),O.ウェルズ主演で世界的ヒットになった《第三の男》(1949年),《文化果つるところ》(1951年)で知られる。心理的サスペンスにあふれた作品を発表した。
→関連項目メーソンロンドン・フィルム[会社]

リード

米国のジャーナリスト。社会主義的な雑誌《ザ・マッセズ》の編集に参加。第1次大戦中に特派員として渡欧,ロシアに入り十月革命を目撃して《世界をゆるがした10日間》を執筆。帰国後アメリカ共産党結成に活躍し,機関紙《労働者の声》の主筆。再度ロシアへ渡り客死,クレムリンに葬られた。

リード

英国の詩人,批評家。《イギリス散文》(1928年),《感情の真正な声》(1953年)などの文学批評を書きながら,他方《芸術の意味》《芸術と社会》《芸術による教育》その他によって現代美術の理解のために活発な活動をした。詩人としては第1次大戦従軍の体験の詩集《裸の兵士》(1919年),《戦いの終り》《詩集》などがあり,ユートピア的寓話《緑の子》(1935年)も佳品である。

リード

英国の哲学者。A.スミス後任のグラスゴー大学教授で,スコットランド学派(常識学派)の創始者。初めロックやバークリーの影響を受けたが,ヒュームが懐疑論に赴くに及び,経験論的立場を批判,真偽判定の根源的能力としての常識を基本原理とし,理性論的直覚説を主張した。著書《常識哲学の原理にもとづく人間精神研究》(1764年)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リード」の意味・わかりやすい解説

リード(Jimmy Reed)
りーど
Jimmy Reed
(1925―1976)

アメリカのブルース・シンガー、ギタリスト、ブルース・ハープ(ハーモニカ)奏者。本名マティス・ジェームズ・リードMathis James Reed。ゆったりと揺れるスロー・ブギ・ウギ・ビート、けだるそうなボーカル、シンプルなブルース・バンド・サウンドに乗せたポピュラー・ソング的歌詞で1950~1960年代に大人気を博した、ヒット・チャートの常連だったブルースマン。

 ミシシッピ州南部のダンリースで生まれる。のちにジミー・リード・サウンドを決定づけることになるエディ・テーラーEddie Taylor(1923―1985)とは幼なじみで、ギターとブルース・ハープも少年時代にテーラーに教わった。1943年にシカゴに移住直後海軍に入隊、1945年に故郷に戻るものの、すぐにインディアナ州のゲーリーに移り、ジョン・ブリムJohn Brim(1922―2003)、またこの当時ドラマーだったアルバート・キングAlbert King(1923―1992、のちにギタリストとしてビッグ・ネームになる)らと活動するようになる。

 1953年チャンス・レーベルで初のレコーディングを経験、ついで黒人経営のインディー・レーベルとしてはモータウン以前では最大規模だったビージェイ・レコードとの契約に成功。テーラーの参加を得てリリースした「ユー・ドント・ハフ・トゥ・ゴー」が1955年にヒットし、リード特有のシンプルなブギ・ウギ・ビート・サウンドの魅力を広く世に知らせた。ギター奏法は初歩的なものだが、舌が口の中に入りきらないかのように時にろれつの回らない、しかしメロディアスに歌うボーカル、およびテーラーのギターのソリッドなブギ・ウギ・パターン、リードの特徴ある高音主体のブルース・ハープが一体となり、だれもまねできないジミー・リード・サウンドの世界となっていた。ロックン・ロール時代も人気が衰えなかったことが、そのビートの魅力の深さを物語るが、その一方、自分の作った曲さえ覚えられず、アルコール依存、また持病のてんかんに悩まされ録音時も妻のママ・リードMama Reedに耳元で歌詞をいってもらいながら吹き込むといった苦労もあった。「エイント・ザット・ラビン・ユー・ベイビー」「ユー・ガット・ミー・ディジー」(ともに1956)、「オネスト・アイ・ドゥー」「アイム・ゴナ・ゲット・マイ・ベイビー」(ともに1958)、「ベイビー・ホワット・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ドゥ」(1960)、「ビッグ・ボス・マン」「ブライト・ライツ・ビッグ・シティ」(ともに1961)といった曲はいずれもヒット・チャートで上位に登場し、第二次世界大戦後のブルース系ミュージシャンとしては、ヒット曲の数も群を抜いていた。

 リードのブルースはアメリカのメインストリーム社会にも最も抵抗なく入っていくことのできたスタイルでもあった。ビージェイ・レコードが倒産の憂き目をみる1965年まで100曲以上のレコーディングを残し、発表したLPも10枚以上に達していた。ブルースのクロスオーバー時代となった1960年代中期からはABC(現、ユニバーサル)系のブルースウェーにアルバム単位でレコーディング、ユーモラスな感覚の佳曲を残した。ユニークな音世界は広い影響力を持ち、南部のブルースマンたちへの影響力は絶大であった。

[日暮泰文]

『Jimmy Reed Interview(in Living Blues Magazine #21, 1975, University of Mississipi, Jackson)』


リード(Carol Reed)
りーど
Carol Reed
(1906―1976)

イギリスの映画監督。ロンドン生まれ。父親は舞台の名優ハーバート・ビアボーム・トリーHerbert Beerbohm Tree(1852―1917)。舞台活動を経て、1935年『ミドシップマン・イージー』で監督デビュー。『銀行休日』(1938)、『星は見下す』(1939)で新鮮な作風を印象づけたあと、第二次世界大戦中はイギリス陸軍映画班に属し、ドキュメンタリー『真の栄光』(1945)をアメリカのガースン・ケニンGarson Kanin(1912―1999)と共同監督する(アカデミー長篇ドキュメンタリー賞受賞)。戦後はいずれもサスペンス・タッチの『邪魔者は殺(け)せ』(1947)、『落ちた偶像』(1948)、『第三の男』(1949)を立て続けに発表、一躍世界の頂点に登りつめる。3作とも映像演出、話術、雰囲気醸成、いずれをとっても完璧(かんぺき)に近い傑作であった。その後の作品は『文化果つるところ』(1951)、『文なし横丁の人々』(1955)、『鍵(かぎ)』(1958)、『フォロー・ミー』(1972)など。舞台ミュージカルの映画化『オリバー!』(1968)でアカデミー監督賞を得た。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧(日本公開作)

星は見下す The Stars Look Down(1940)
最後の突撃 The Way Ahead(1944)
真の栄光 The True Glory(1945)
邪魔者は殺せ Odd Man Out(1947)
落ちた偶像 The Fallen Idol(1948)
第三の男 The Third Man(1949)
文化果つるところ Outcast of the Islands(1951)
二つの世界の男 The Man Between(1953)
文なし横丁の人々 A Kid for Two Farthings(1955)
空中ぶらんこ Trapeze(1956)
鍵 The Key(1958)
ハバナの男 Our Man in Havana(1960)
逃げる男 The Running Man(1963)
華麗なる激情 The Agony and the Ecstasy(1965)
オリバー! Oliver!(1968)
最後のインディアン Flap(1970)
フォロー・ミー Follow Me!(1972)


リード(Sir Herbert Read)
りーど
Sir Herbert Read
(1893―1968)

イギリスの詩人、批評家。批評活動は社会、美術、文学など諸分野にわたり、イギリス・ロマン主義研究および美術史の業績でも知られる。ヨークシャーの農家に生まれ、郷土の生活は後の戦争体験とともに決定的役割を果たした。リーズ大学に学び、エジンバラ、ケンブリッジなどの大学で美術講座を担当、1953年ナイトを受爵。『詩集』(1926)、唯一の小説『グリーン・チャイルド』(1935)、自叙伝『無垢(むく)と経験の記録』(1940)はいずれも幼年期体験の結晶。戦争体験を反映する詩『ある戦争の終わり』(1933)は、国家と個人、運命と神を論じる注目すべき作品。そのなかの一節、「最終的な神の恩寵(おんちょう)が、一羽の鳩(はと)が/天から降りてきて心を目覚ませるまでは疑う」が彼の根本思想で、自ら「私は政治的にはアナキスト、宗教的には無神論者、文学的にはロマン主義者」と宣言した。美術評論には高名な『芸術の意味』(1931)、『今日の芸術』(1933)、『インダストリアル・デザイン』(1934)、『芸術による教育』(1943)のほか、『モダン・アートの哲学』(1952)、『イコンとイデア』(1955)、『彫刻の芸術』(1956)、『芸術形式の起源』(1965)などがある。

[河村錠一郎]

『相良幸一著『ハーバート・リード研究』(1971・研究社出版)』『北条文緒訳『ハーバート・リード自伝――対蹠的な経験』(1970・法政大学出版局)』『滝口修造訳『芸術の意味』(1958・みすず書房)』


リード(John Reed)
りーど
John Reed
(1887―1920)

アメリカのジャーナリスト、詩人。ハーバード大学卒業後、数冊の詩集を出版。雑誌『ザ・マッセズ』に加わり、メキシコに渡って革命家たちと寝食をともにし、『反乱するメキシコ』(1914)を書き名声を得た。第一次世界大戦中に渡欧し、ロシアでボリシェビキの指導者たちと親交を結び、十月革命を目撃して『世界をゆるがした十日間』(1919)を著す。帰国して共産主義労働党の結成にあたったのち再度ロシアへ。チフスのためモスクワで客死、クレムリンに葬られた。ほかに『赤いロシア』(1919)などの著作がある。

[寺門泰彦]

『小笠原豊樹・原暉之訳『世界をゆるがした十日間』(1977・筑摩書房)』『野田隆・野村達郎・草間秀三郎訳『反乱するメキシコ』(1982・筑摩書房)』


リード(Thomas Read)
りーど
Thomas Reid
(1710―1796)

イギリスの哲学者。スコットランドのアバディーンに生まれ、同市のマリシャル・カレッジに学び、同大学およびグラスゴー大学教授を歴任。イギリス啓蒙(けいもう)哲学の派であるスコットランド常識学派の創始者で、イギリス経験論、とくにヒュームの懐疑的帰結に反対し、常識と伝統的諸学と宗教とを擁護した。彼はまずデカルトからロックが、そしてロックからヒュームが継承した、知識の対象を心の内部の観念だとする根本前提自体を批判する。

 さらに、単純観念でなく判断を知識の基本的単位と考え、感覚作用にも判断は含まれ、イギリス経験論は知覚の論理的単位を認識発生の直接所与と混同していることを指摘する。人間には習慣でなく、本源的な常識の諸原理が共通にあり、それによって観念間の関係や外界存在への確信が与えられ、論理学、数学、形而上(けいじじょう)学、倫理学などの必然的真理が示唆されると考える。主著に『常識の原理に基づく人間精神の探究』(1764)、『人間の知力についての試論』(1785)など。

[杖下隆英 2015年7月21日]


リード(気鳴楽器の発音体)
りーど
reed 英語
Rohrblatt ドイツ語
Blatt ドイツ語
Zunge ドイツ語
anche フランス語
ancia イタリア語

気鳴楽器の発音体の一種。舌(した)または簧(した)と訳される。葦(あし)、竹、木、金属などでつくられた弾力性に富む薄片で、おもに管楽器の歌口にはめ込んで吹奏される。リードは一般に次のように分類される。(1)打簧(だこう)beating r. オーケストラの木管楽器のリードに代表されるもので、これには、1枚のリードが管の内側やベックを小刻みにたたくようにして振動する単簧(シングルリード)と、2枚のリードが相互に打ち合うように振動する複簧(ダブルリード)とがある。クラリネット、サクソフォーン、パイプ・オルガンのリード管などは単簧の代表、オーボエ、ファゴット、篳篥(ひちりき)、チャルメラなどが複簧の代表といえる。これらの多くは葦からつくられるが、その材質や作製、調整は製作者や奏者の重要課題となっており、一般に仕上げの削りは奏者に任される。(2)自由簧(フリーリード) リードが周縁に触れずに自由に往復して振動するリード。金属製のものが多く、それ自体が発音源となるのでかならずしも管を必要としない。笙(しょう)、アコーディオン、ハーモニカ、リード・オルガンなどに応用されている。

[川口明子]


リード(Carveth Read)
りーど
Carveth Read
(1848―1931)

イギリスの哲学者。ケンブリッジ大学、ドイツのライプツィヒ、ハイデルベルク両大学に学び、ロンドン大学教授となる。イギリス経験論、とくにミルの伝統にたって思索。論理を事実にかかわる学と考え、意識を主客の別が相関的にそこから生まれる唯一の実在とみ、絶対的実在も意識を離れてはありえぬ可能的可感体とみる。倫理学では自己完成説と功利主義の折衷的傾向をみせる。著書に『論理学論』(1878)、『演繹(えんえき)的・帰納的論理』(1898)、『自然的・社会的道徳』(1909)、『人間とその迷信の起源』(1920)など。

[杖下隆英 2015年7月21日]


リード(Charles Reade)
りーど
Charles Reade
(1814―1884)

イギリスの小説家。オックスフォード大学のモードリン学寮に学び、特別研究員となった。リンカーン法学院で弁護士の資格を得たが開業せず、最初劇作に手を染め、のち小説に転じ、『改むるにはばかるなかれ』(1856)では監獄の、『現金』(1863)では精神科病院の害悪を攻撃し、『悪だくみ』(1869)では船舶保険を扱うなど、時事的問題や社会批判を取り込んだ作品を書いたが、今日では宗教改革時代の歴史ロマンス『僧院と炉辺』(1861)で記憶される。

[佐野 晃]


リード(William Ried)
りーど
William Ried
(1791―1858)

イギリスの気象学者、陸軍工兵中佐。熱帯暴風の風系について研究し、1836年、反時計回りの渦であることを明らかにした。南半球の暴風についても調査し、北半球とは反対に時計回りの渦になっていることを実証した。また、これらの暴風系がほぼ放物線を描いて移動することも解明している。

[根本順吉]

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改訂新版 世界大百科事典 「リード」の意味・わかりやすい解説

リード
reed

植物のアシ(蘆)の意。またそこから転じて気鳴楽器を鳴らすための振動体のこと。アシやダンチク(暖竹)などの茎には適当な弾力があり,これを加工した小薄片がある種の管楽器の音源に古くから用いられたが,素材の名である〈リード〉がいつか振動体の意味にもなり,材質と無関係に使うこともできる用語になったのである(たとえば金属製,合成樹脂製などの振動体もリードと呼んでいる)。諸型式のものがあるが,普通は管の入口に付けられていて気流の通過で振動し,気流にパルス状の断続を与える。この断続気流と管内の空気との相互作用から,楽器としての音が生まれるのである。クラリネットの場合,リードは1枚の単純な小薄片であって,成人の指ほどの幅に作られているが,吹口の孔よりはひとまわり大きく,孔を覆い隠すように装着される。管内へ向かう気流は,孔の周辺とリードとの紙一重ほどのすきまを通過してリードを振動させ,リードは孔の周辺を小刻みに打ちたたきつつすきまを開閉して,気流を断続させる。これをシングル・リードという。オーボエなどのリードは2枚の小薄片をくくり合わせたもので,間を気流が通ると両者が打ち合うように振動して,やはり気流を断続させる。篳篥(ひちりき)やチャルメラの舌(した)は製法が異なるが,完成品の機能は同じである。これをダブル・リードという。以上のシングルやダブルを総称して,ビーティング・リードともいう。これらと型式の異なるのが笙(しよう)などの場合であって,狭い通路に対してぎりぎりいっぱいの大きさの振動体が設けられている。振動体は通路の周縁などに妨げられることなく,通路をくぐって振動する。これをフリー・リードといい,管に付けなくても楽音を作れるので,ハーモニカ,アコーディオンなどの音源にも用いられている。なお笙などの振動体を意味する簧(した)の字義を拡張して,リード一般の意味にあてている人もある。

 またいわゆる〈らっぱ〉の類では,唇の振動で音を作るので〈リップ・リード〉という表現が用いられる。フルートの類では,吹き鳴らす際の気流それ自体が振動体の役をするので〈エア・リード〉,可視的な振動体がないので〈ノンリード〉といった表現が用いられる。
執筆者:


リード
Herbert Read
生没年:1893-1968

イギリスの詩人,批評家。ヨークシャーの農村に生まれ,リーズ大学を卒業し,第1次大戦に参加。この体験が詩集《裸の兵士》(1919),のちの《戦いの終り》(1933)として結晶している。詩風は,ロマン主義的な傾向を深く蔵しつつ,イマジズム的な断片のきらめきをもつ。批評家としては,当初T.S.エリオットの古典主義の影響が濃く,彼の季刊誌《クライティーリオン》に副編集長格として加わり,数多くの論文を寄稿,大半が《理性とロマン主義》(1926)としてまとまり,またT.E.ヒュームの遺稿《思索集》(1924)を編纂(へんさん)する。しかし,批評においてもロマン主義的傾向が抑えがたく,無形のエネルギーとそれを抑制する形式との対立は彼の生涯の図式となっている。《イギリスの散文》(1928,改訂52),《英詩の諸相》(1928,改訂48),《現代詩の形式》(1932,改訂48)などはそうした拮抗のみごとな成果である。しかし,ロマン主義的傾向はさらに強まり,C.G.ユング,A.アードラーらの現代心理学,精神分析に共感をもち,無意識の領域に解明の手を伸ばして《ワーズワース》(1930,改訂49),《批評家としてのコールリジ》(1949),これらをも含む《感情の真正な声》(1953)などのすぐれたロマン主義研究を生んだ。また美術批評家として《芸術の意味》(1931,改訂1933,51),《芸術による教育》(1943),《芸術の草の根》(1947)など,芸術と社会のかかわりを根底から論じた著書がある。さらに第2次大戦前にはアナーキズムへの傾向を深め,《詩とアナーキズム》(1938),《アナーキズムの哲学》(1940)などを著したが,彼の中心にあるのは,特異な寓意小説《緑の子》(1935),自叙伝《無垢と経験の年代記》(1940)に見られるような産業革命以前の無垢の共同体への憧れであった。
執筆者:


リード
Jane Lead
生没年:1623ころ-1704

イギリスの神秘家。Leadeとも綴る。1670年未亡人となってから宗教生活に専心し,多くのビジョンを見続け,それを霊的日記のように書き留めた《庭の泉》(1696-1700)など多数の著作がある。ベーメの影響を強く受け,神の叡智〈乙女ソフィア〉が重要な役割をはたすそのビジョンにもベーメの神智学が色濃く反映している。ポーディジJohn Pordage,ブロムリーCharles Bromley,リーFrancis Leeらと〈フィラデルフィア協会Philadelphian Society〉を設立し,非党派的な内なる教会の重要性を説き,また万物が(悪魔さえも)救われるという説を唱えた。協会自体はリードの死後まもなく解体したが,この運動のイギリス内外に与えた影響は大きい。
執筆者:


リード
Thomas Reid
生没年:1710-96

スコットランド学派の哲学者。アバディーン大学卒業後,《常識哲学の原理にもとづく人間精神研究》(1764)でA.スミスの後任としてグラスゴー大学道徳哲学教授となる。彼はヒュームの懐疑哲学の逆説を回避し論駁するため,〈知覚〉は外物を直接に認識しうるとしてロック,G.バークリーらの観念表象理論を退けたために,従来は,カントの先験哲学の体系に圧倒されて必ずしも十分な評価を受けなかったが,20世紀になりG.E.ムーアの直観主義以来,改めて評価し直されている。
執筆者:


リード
John Reed
生没年:1887-1920

アメリカのジャーナリスト。オレゴン州ポートランドの富裕な家に生まれ,ハーバード大学在学中から社会主義に関心を持ち,卒業後ジャーナリズム界に入る。1913年から左翼文芸誌《ザ・マッセズ》の編集に参加,メキシコ革命や第1次大戦の報道で認められる。ロシアの十月革命を体験かつ支持し,《世界を揺るがした十日間》(1919)を書く。1919年にはアメリカ共産党を結成し,ロシアを再訪したが,同地で客死,クレムリンに葬られた。
執筆者:


リード
Charles Reade
生没年:1814-84

イギリスの小説家。弁護士としての務めのかたわら,多くの長編小説を発表,一時はC.ディケンズに匹敵するほどの人気を集めた。監獄制度の改革を求めた《改心に手遅れなし》(1856)など,事実を克明に調査・集積し,それを小説に仕立てて社会の矛盾を改める世論を盛り上げようとした。今日でいう〈社会派セミ・ドキュメンタリー作家〉の先駆とでもいうべき存在であった。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リード」の意味・わかりやすい解説

リード
Read, Sir Herbert

[生]1893.12.4. ヨークシャー,カービームーアサイド
[没]1968.6.12. モールトン
イギリスの詩人,芸術評論家。銀行勤めののちリーズ大学に入学。第1次世界大戦に従軍,戦後ビクトリア・アンド・アルバート美術館に勤務し,美術批評を始めた。 1931年エディンバラ大学教授,53~54年ハーバード大学教授。詩人として出発し,『裸の戦士』 Naked Warriors (1919) 以下の詩集を出すかたわら,『ワーズワス』 Wordsworth (30) ,『感情の真実の声』 The True Voice of Feeling (53) などの評論でロマン主義研究に新生面を開いた。美術批評,芸術学の領域ではフロイト,ユング,ウォリンガーの影響を受け,美学的にはクローチェの影響を受けたが,インダストリアル・デザインや芸術教育の領域をも含めて造形美術全般にわたってすぐれた研究を示している。主著『芸術の意味』 The Meaning of Art (31) ,『芸術と社会』 Art and Society (36) ,『詩とアナーキズム』 Poetry and Anarchism (38) ,『芸術による教育』 Education Through Art (43) ,『モダン・アートの哲学』 The Philosophy of Modern Art (52) ,『イコンとイデア』 Icon and Idea (55) 。

リード
Reed, Walter

[生]1851.9.13. アメリカ,バージニア,ベルロイ
[没]1902.11.23. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの陸軍軍医。メソジスト派牧師の子に生れ,1870年ベルビュー医科大学で学位を取得。 75年軍医となり細菌学を研究,93年少佐でワシントンの陸軍軍医学校教授。 98年のアメリカ=スペイン戦争の際には腸チフス防疫団の委員となり,次いで 1900年キューバで黄熱が流行したため,調査団長として現地におもむき,従来の細菌感染説を否定,団員 J.ラジアの自己犠牲による実験でカで伝播されることを証明し,黄熱の防疫法を確立した。また 01年には磁器ろ過器を通る病原の存在を発見した。その業績をたたえて,ワシントン D.C.にウォルター・リード陸軍病院が設立された。

リード
Reed, John

[生]1887.10.22. オレゴン,ポートランド
[没]1920.10.19. モスクワ
アメリカのジャーナリスト,社会主義者。ハーバード大学卒業後,1917年に左翼系雑誌『マッセズ』の編集員となってから社会主義への道を歩み始め,メキシコ革命や第1次世界大戦で優れた報道活動を行なった。 1917年ロシアに入り,十月革命をつぶさに目撃,ルポルタージュ文学の傑作『世界をゆるがした十日間』 Ten Days that Shook the World (1919) を生んだ。レーニンの友人となり,アメリカ共産党の結成に携わったが,アメリカでは歓迎されず,旅行中チフスに感染してモスクワで急死。遺体はレーニンらの哀悼のうちにクレムリンに埋葬された。死後アメリカ各地に左翼の作家,芸術家の団体「ジョン・リード・クラブ」が結成された。

リード
Reed, Willis

[生]1942.6.25. ルイジアナ,ハイコ
アメリカ合衆国のバスケットボール選手,監督。グランブリング州立大学在学中の 1961年,全米大学バスケットボール選手権大会で優勝した。 1964年NBAニューヨーク・ニックスに入団。同 1964年に1試合平均 19.5得点を上げて最優秀新人賞を受賞。 1970年ニックスは NBAファイナルで優勝し,シーズン最優秀選手 MVP,ファイナル MVP,オールスターゲーム MVPを獲得,同一シーズンに三つのカテゴリーで MVPをとった最初の選手となった。生涯通算得点1万 2183点,リバウンド 8414本の記録を残し,1974年引退。 1977~79年ニックスの監督を務めた。 1982年ネイスミス記念バスケットボール殿堂入り。

リード
Reade, Charles

[生]1814.6.8. オックスフォードシャー,イプスデン
[没]1884.4.11. ロンドン
イギリスの小説家。オックスフォード大学,次いで法学院に学ぶ。熱心な社会改革論者であり,『仮面と素顔』 Masks and Faces (1852) などの劇作ののち,『改むるにはばかるなかれ』 It Is Never Too Late to Mend (56) ,『現金』 Hard Cash (63) ,『反則』 Foul Play (69) ,『彼に代われ』 Put Yourself in His Place (70) などのプロパガンダ小説を書いた。代表作は,エラスムスの父を主人公にした歴史小説『僧院と家庭』 The Cloister and the Hearth (61) 。

リード
Reed, Sir Carol

[生]1906.12.30. ロンドン
[没]1976.4.25. ロンドン
イギリスの映画監督。 1936年以後ドキュメンタリー作品を手がけていたが,第2次世界大戦後はサスペンス,ミステリー物が多い。イギリス・ドキュメンタリーの伝統とヒッチコックのサスペンス・ミステリーを継いだ作風が特徴。主作品『邪魔者は殺せ』 Odd Man Out (1947) ,『落ちた偶像』 The Fallen Idol (48) ,『第三の男』 The Third Man (49) ,『オリバー!』 Oliver! (68,アカデミー監督賞) 。

リード
Reed, Thomas Brackett

[生]1839.10.18. メーン,ポートランド
[没]1902.12.7. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。 1865年よりポートランドで弁護士を開業し,68年メーン州下院議員となる。 70年同州上院議員。 77年共和党から連邦下院に初当選。以来 99年まで連邦下院議員をつとめた。 86~89年共和党院内総務,89~91,95~99年連邦下院議長。多数党による議会運営,委員会制度の拡充など下院の議事運営について数多くの重要な改革を実施した。多くの反対を押切って改革を推進したため「皇帝リード」とあだ名された。 99年キューバとハワイに対する膨張政策に反対し共和党を離れ,ニューヨークに戻って弁護士業と著述に専念した。

リード
Reid, Thomas

[生]1710.4.26. ストラチャン
[没]1796.10.7. グラスゴー
イギリスの哲学者,常識哲学の創始者。アバディーン大学の道徳哲学教授を経て,1764年 A.スミスの跡を継いでグラスゴー大学教授。ロックやバークリーの影響を受け認識批判から出発し,特にヒュームの認識論を研究。主著『常識の原理に基づく人間精神の研究』 Inquiry into the Human Mind on the Principles of Common Sense (1764) 。

リード
Read, George

[生]1733.9.18. メリーランド,セシル
[没]1798.9.21. デラウェア,ニューカッスル
アメリカ独立革命期の政治家。独立宣言署名者の一人。デラウェア植民地で法律家として活躍。大陸会議代表 (1774~77) 。 1776年デラウェア新憲法を起草,その批准会議議長をつとめた。 87年合衆国憲法制定会議代表として小州のために努力。 89~91年連邦上院議員。 93年以後はデラウェア州最高裁判所長官。

リード
Reed, Joseph

[生]1741.8.27. ニュージャージー,トレントン
[没]1785.3.5. フィラデルフィア
アメリカの軍人,政治家。初めフィラデルフィアで法律家となった。 1774年同市通信連絡委員会メンバーとなり,イギリスとの和解派から独立派へ移行。 G.ワシントンが大陸会議で総司令官に任命されるとその副官として活躍。 77~78年大陸会議代表,78~81年ペンシルバニア行政会議議長。

リード
Reid, Whitelaw

[生]1837.10.27. オハイオ
[没]1912.12.15. ロンドン
アメリカのジャーナリスト,外交官。南北戦争および戦後の南部の報告『戦後』 After the War (1866) を著わした。『ニューヨーク・トリビューン』紙などの編集主幹をつとめ (1872~1905) ,イギリス大使にも任じられた (1905~12) 。

リード
Lead

アメリカ合衆国,サウスダコタ州西部の町。ブラックヒルズ (山地) 北部に位置し,1876年金鉱の発見によってできた町。世界最大の金鉱の一つであるホームステーク鉱山がある。採鉱とそれに関連した産業を主とし,牧畜,林業,観光などが市の経済に貢献している。人口 3632 (1990) 。

リード
Ried, Benedikt

[生]1454
[没]1534
チェコスロバキアの建築家。ボヘミア地方,特にプラハを中心に活躍し,後期ゴシック様式の建築物を多く手がけた。主作品はブラチスラバ・ホール (1493~1502) 。

リード
Reid, Thomas Mayne

[生]1818
[没]1883
アイルランド出身のイギリスの小説家。代表作『首のない騎手』 The Headless Horseman (1866) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「リード」の解説

リード

正式社名「株式会社リード」。英文社名「The Lead Co., Inc.」。輸送用機器製造業。昭和20年(1945)創業。同29年(1954)「岩崎鈑金工業株式会社」設立。同31年(1956)「岩崎電機産業株式会社」に改称。同37年(1962)現在の社名に変更。本社は埼玉県熊谷市弥藤吾。自動車部品メーカー。富士重工向け車両部品が中心。屋外照明器具など自社製品も生産。東京証券取引所第2部上場。証券コード6982。

リード

正式社名「株式会社リード」。英文社名「READ Co., Ltd.」。精密機器製造業。昭和48年(1973)創業。同49年(1974)設立。本社は横浜市西区みなとみらい。ダイヤモンド工具メーカー。磁気ヘッドや半導体などの精密加工用ダイヤモンド工具を製造・販売。コンサルティングから開発・導入・保守まで一貫対応。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

DBM用語辞典 「リード」の解説

リード【lead】

注文や契約に至る前の手がかり、販売見込みのことをダイレクトマーケティングの世界でリードといっている。。例えば商品やサービスに関する問い合わせ、苦情、資料請求など、何らかの興味を示している購入の可能性を秘めた潜在的な顧客からの反応をリードという。

出典 (株)ジェリコ・コンサルティングDBM用語辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「リード」の解説

リード〔オートバイ〕

ホンダ(本田技研工業)が製造・販売したスクータータイプのオートバイのシリーズ。1980年代初めから2000年代初めにかけて生産された。

リード〔生活用品〕

ライオンが製造・販売する調理用品のブランド名。調理用タオルペーパー、冷凍保存用バッグ、ホイルペーパーなどの商品がある。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

367日誕生日大事典 「リード」の解説

リード

生年月日:1806年6月30日
アメリカの法律家,外交官
1876年没

リード

生年月日:1848年3月16日
イギリスの哲学者
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のリードの言及

【ベーメ】より

…このためベーメの教えは,17~18世紀のドイツでは地下にもぐって敬虔主義の底流となり,またロシアでもおびただしいベーメの作品の翻訳がなされた。一方精神的に自由なオランダ,イギリスでは多くの有力な信奉者を見いだし,イギリスではJ.リードを指導者とするフィラデルフィア協会が設立され,ノンセクト,寛容を表明し,W.ロー,H.モア,W.ブレーク,コールリジ,そしてまたニュートンもベーメの影響を受けたといわれる。 ベーメの救済論は,神と魂との次元にとどまらず,神の誕生以前の〈混沌〉〈奈落の底〉へとさかのぼる壮大なビジョンに裏打ちされ,独特の官能的・絵画的・音楽的な文体によって,〈底なしの闇〉からの意志の誕生,しぶさ・にがさ・不安の輪などの欲の7段の梯子,ルキフェルの転落,宇宙の生成,アダムの栄光と悲惨,乙女ソフィアの逃亡,自然の汚染,第2のアダム・キリストの再臨,黄金時代への帰還という神の自己展開のマンダラが描かれている。…

【芸術教育】より

…古代ギリシア人にとって善と美とは原理的に同一のものと考えられ,それによって心身の調和のとれた理想的人間の形成をめざすカロカガティアkalokagathiaの思想による美的教育の考えがながくヨーロッパの精神形成史の底流をなしてきた。知育,徳育,体育とならんで美育という人間形成のしかたが昔から存在したように,教育課程全体を貫く編成原理として芸術が教育の基礎にならなければならないとする〈芸術による教育〉の思想などはこれであり,イギリスのH.リードらに代表される。この主張は,ある場合には,形式化した知育偏重,論理的教育への批判として提起され,また芸術の創造的機能のなかに記憶,想像,思考といった感性と知性の両面をふくむ形式陶冶的能力の伸長をもたらす存在として注目されたこともあった。…

【工芸】より

…美術の文様や様式を機械製品のデザインに応用したアプライド・アートの考え方なども,この間の混乱を物語る。広い視野のなかでいえば,W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントから,バウハウスの工芸教育,そしてH.リードの工業製品に関する著作まで,建築の分野とも関連しながら進められてきた近代ヨーロッパの工芸・デザイン運動は,〈機械生産のための新しい美的規準を考え出すこと〉(H.リード)がその目的であったといえよう。
[近代日本の工芸]
 〈工芸〉が漢語としてではなく,日本語として使われるようになったのは,明治になってからである。…

【リップマン】より

…ユダヤ系ドイツ移民のひとりっ子としてニューヨークに生まれた。1906年ハーバード大学に入学(同級生に《世界をゆるがした10日間》の著者ジョン・リードがいた),哲学を勉強し,社会主義に傾いたが,10年5月哲学者サンタヤーナの助手を辞してジャーナリストへの道を踏み出す。7月からはマックレーカーズの代表格L.ステッフェンズの取材を手伝った。…

【イギリス経験論】より

…通常は,とくにロックG.バークリーD.ヒュームの3人によって展開されたイギリス哲学の主流的傾向をさすものと理解されている。通説としてのイギリス経験論のこうした系譜を初めて定式化したのは,いわゆる常識哲学の主導者T.リードの《コモン・センスの諸原理に基づく人間精神の探究》(1764)とされているが,それを,近代哲学史の基本的な構図の中に定着させたのは,19世紀後半以降のドイツの哲学史家,とりわけ新カント学派に属する哲学史家たちであった。とくに認識論的な関心からカント以前の近代哲学の整理を試みた彼らの手によって,ロック,バークリー,ヒュームと続くイギリス経験論の系譜は,デカルト,スピノザ,ライプニッツ,C.ウォルフらに代表される大陸合理論の系譜と競合しつつ,やがてカントの批判哲学のうちに止揚された認識論上の遺産として,固有の思想史的位置を与えられたからである。…

【スコットランド学派】より

…正式にはスコットランド常識哲学学派Scottish school of common senseという。〈存在とは知覚されることである〉とのバークリーによる物質否定の論証や,ヒュームによる因果観念の否定という懐疑的結論によって哲学一般の基盤,とりわけ既成の教会の教義に及ぼすこの種の帰結の脅威を感じたT.リードは,デカルトやロック以来の〈観念〉を軸とする認識批判の方法をしりぞけた。彼はそれゆえに意識的な推論過程に先行する本能的な判断の価値に注目して常識を擁護した。…

【ダンチク】より

…白い斑入葉をもつ栽培品をセイヨウダンチクvar.versicolor Stokesという。 ダンチクの茎は非常に硬くなり,その光沢ある皮部はハンドバッグ等の編料にされたり,表皮下の厚壁組織の多い竹のような部分を削って作ったリードがクラリネットやサクソフォーンに一番適しているという(竹製のリードより道管が太く空気を通しやすい)。その他,琉球や中国南部では草ぶき屋根の材料とし,製紙料にもなりうる。…

※「リード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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