起訴状に記載された犯罪事実をいう。犯罪の構成要件にあてはめて法律的に構成された具体的事実である。裁判所は、訴因変更の手続がとられないかぎり、訴因として記載されていない犯罪事実につき審判することはできない。すなわち、審判の対象は訴因である。訴因を逸脱して審判した場合は、「審判の請求を受けない事件について判決をした」(刑事訴訟法378条3号)として、絶対的控訴理由となる。起訴状には公訴事実を記載しなければならず(同法256条2項2号)、公訴事実は訴因を明示して記載することとされ、訴因を明示するには、できるかぎり日時、場所および方法をもって罪となるべき事実を特定して記載すべきこととされている(同法256条3項)。典型的には、(1)だれが(犯罪の主体)、(2)いつ(犯罪の日時)、(3)どこで(犯罪の場所)、(4)何を、だれに対して(犯罪の客体)、(5)どのような方法で(犯罪の方法)、(6)何をしたか(犯罪行為と結果)を特定して記載することとなる。
起訴状に訴因を記載する制度は、第二次世界大戦後の現行刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)において初めて採用された。旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)における起訴状では、単に犯罪事実を示すものとされ(旧刑事訴訟法291条)、その記載形式に厳格な規律は要求されていなかったため、裁判所は、起訴状記載の犯罪事実に拘束されないで、被告人の犯した罪を広く審判することができた。これに対して、現行法は、当事者主義の訴訟構造を採用し、被告人の応訴権を保障したので、旧法のような起訴状記載の方式は維持できないこととなり、訴因制度が採用された。訴因制度の意義は、第一に、訴因と訴因外事実との区別が可能となり(訴因の識別機能)、第二に、被告人としては防御活動を訴因に限定することができ(訴因の防御機能)、また、第三に、訴訟条件の存否について訴因を基準として判断できることである。たとえば、事物管轄の有無、告訴の有無などは訴因を基準として判断される。
[田口守一]
訴訟の進展過程において、起訴状記載の訴因と異なる事実が判明し、そのままでは裁判所によって訴因事実が認定される見込みがないと思われる場合には、検察官は訴因の変更を求めることができる。すなわち、裁判所は、検察官の請求があるときは、公訴事実の同一性を害しない限度において、起訴状に記載された訴因または罰条の追加、撤回または変更を許さなければならない(刑事訴訟法312条1項)。ただし、訴因変更には時期的限界があると考えられており、通常なされるべき時期に訴因変更の請求をせず、訴訟の最終段階に至って被告人の防御活動が功を奏した段階で、有罪判決を獲得するためにのみ訴因変更を請求するような場合は、権利濫用的な訴訟活動であるとして、訴因変更は許されないとされている。
訴因事実と証拠によって判明した事実が、どの程度に異なった場合に訴因変更の手続をとる必要があるかについては、その事実の変化によって被告人の防御権が一般的に不利益を受けるおそれがある場合とされている(通説・判例)。たとえば、犯罪行為の態様が変化する場合(強制わいせつ→公然わいせつ)、過失態様が変化する場合(クラッチペダルを踏み外した過失→ブレーキをかけるのが遅れた過失)などには訴因変更が必要となる。また、判例は、訴因変更が必要となるのは、審判対象の確定という見地から明示された訴因についてであるが、それ以外の事実であっても、一般的に被告人の防御にとって重要な事項について争点の明確化などのため明示することが望ましい事実が訴因とされた場合には、その事実と異なる事実を認定するには訴因変更手続を必要とするとして、訴因変更を必要とする範囲を拡大している(平成13年4月11日最高裁判所第三小法廷決定)。なお、公訴事実の同一性に含まれない新事実が判明した場合は、訴因の変更は許されず、現訴因については無罪が言い渡され、新事実については別訴が提起されることになる。
また、裁判所は、審理の経過にかんがみ適当と認めるときは、訴因または罰条を追加または変更すべきことを命ずることができる(同法312条2項)。これを訴因変更命令という。当事者主義をモデルとして訴因を審判の対象と考える通説からすれば、審判対象の設定はあくまで検察官の任務であり、裁判所は設定された訴因についてのみ審判することになるから、訴因変更命令は、たとえば検察官が不注意で訴因変更の請求をしないような場合についてのあくまで例外的な制度であると理解することになる。判例も、裁判所には、原則として訴因変更命令の義務はないが、例外的に、証拠上、起訴状に記載された殺人の訴因については無罪とするほかなくても、これを重過失致死という相当重大な罪の訴因に変更すれば有罪であることが明らかな場合には、訴因変更を促しまたはこれを命ずる義務があるとしている(昭和43年11月26日最高裁判所第三小法廷決定)。もっとも、裁判所が訴因変更命令を出しても、検察官がこれに従って訴因変更請求をしないかぎり訴因は変更されない。すなわち、訴因変更命令には形成力は認められない(通説・判例)。
[田口守一]
刑事手続上,検察官が裁判所に対して審判を求める具体的犯罪事実の主張。旧刑事訴訟法までは訴因の語はなく,当事者主義を徹底させるためアメリカ法の示唆を受けて現行刑事訴訟法に導入されたものである。同法は,起訴状に被告人の氏名,罪名のほか公訴事実の記載を要求し,その公訴事実は〈訴因を明示してこれを記載しなければならない〉と規定する(256条2項,3項前段)。こうして裁判所に対して審判の対象を明らかにする(同時に被告人側に防御の目標を示す)のである。換言すれば,ここにいう検察官による犯罪事実の主張である訴因が裁判所による審判の対象であることになる(訴因説と呼ばれる)。
〈訴因を明示するには,できる限り日時,場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない〉(同条3項後段)。たとえば,過失犯の場合には,単に〈漫然と〉との記載では十分でなく,違反した具体的な注意義務の態様・内容の記載までが必要である。もっとも,罪種によって明示の程度が異なることがありうる。最近では,覚醒剤関係事犯につき,犯罪・事件の特殊性を理由に,日時・場所・方法に関して幅のある記載を許容した判例が少なからず見受けられる。訴因が特定していなければ,起訴状は無効であり,公訴は棄却される(338条4号)。なお,実務上はほとんど行われることはないが,〈数個の訴因……は,予備的に又は択一的にこれを記載することができる〉(256条5項)。また,訴因は,1罪について1個として特定する必要がある(一罪一訴因の原則)。
検察官は,証拠の提出に先立って,または証拠調べの経過に伴って,起訴状記載の訴因の追加・撤回・変更(以下訴因変更という)を許可するよう裁判所に請求することができる(実務上は予備的追加の方法で行われる場合が相当ある)。訴訟は性質上浮動的側面をもつので,検察官の負担や被告人の利益等を考慮して,これを許したわけである。訴因変更の主体は訴追者としての検察官であって裁判所ではない。問題はどのような場合に訴因変更が必要であるか(訴因変更の要否)およびどのような場合に訴因変更ができるか(訴因変更の可否)である。
前者については一般に訴因明示に必要不可欠な事実に変化があれば訴因変更を必要とする(それ以外の事実の変化は被告人の防御にとって重要でないかぎり不要とする)と考えられている。ただし,実質的に事実が異なっても,訴因の一部分を認定するにすぎない場合(たとえば,強盗→恐喝,窃盗の共同正犯→窃盗の従犯)には,訴因変更は必要でない。これを縮小理論という。また,証拠提出前に訴因変更の許可を求める場合は,わずかな事実の変化でも訴因変更手続が必要とされる。
後者については,〈公訴事実の同一性を害しない限度において〉可能である(312条1項)。この限度をこえると,手続の法的安定性が欠けるので,別途に起訴するか追起訴するかの方法をとらざるをえない。逆に,判決が確定すれば,この範囲内で一事不再理の効力が働くことになる。判例は〈一方の犯罪が認められるときは,他方の犯罪の成立を認め得ない関係にある〉場合には〈両訴因は基本的事実関係を同じくする〉から公訴事実の同一性の範囲内に属するとの立場をとる(1954年の最高裁判決)。〈両訴因の非両立性〉という基準である。かりに,公訴事実の同一性の範囲内であっても,訴因変更が結審段階など著しく時機に遅れて請求された場合には許可されないことがある。なお,学説上,同一性問題のなかで公訴事実の〈単一性〉がこれまで多様に論じられてきたが,近時ではこれはいわゆる罪数論に従って処理されるべきで,同一性の問題ではないとする学説が有力である。
裁判所は,審理の経過にかんがみ適当と認めるときは,訴因変更を命ずることができる(刑事訴訟法312条2項)。訴因変更は,原則として書面の提出によってなされなければならない(刑事訴訟規則209条1項)。裁判所は速やかに変更された部分を被告人に(謄本の送達により)通知することを要する(刑事訴訟法312条3項,刑事訴訟規則209条2,3項)。被告人在廷の公判廷では口頭による訴因変更が許される場合もある(刑事訴訟規則209条5項)。
審判の対象は訴因であるから,次のような解釈論的帰結が導かれる。裁判所が訴因を逸脱した認定を行った場合には〈審判の請求を受けない事件について判決をした〉ことになり,絶対的控訴理由を構成する(刑事訴訟法378条3号)。法は裁判所に訴因変更命令の権限を与えたが(312条2項),訴因設定の主体はあくまでも検察官であるから,これは例外的な権限であり,一般的な義務ではない(判例は例外的にのみ訴因変更を促しまたはこれを命ずべき義務を認める)。裁判所が訴因変更命令を出すと検察官はそれに従わなければならないが,従わなかった場合には命令どおり訴因が変更されたことになるわけではない(命令にはいわゆる形成的効力はない)。以上は結論的に判例の認めるところである。
執筆者:三井 誠
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…公訴提起の効力は,起訴状に記載された被告人および犯罪事実にしか及ばない(これを〈不告不理の原則〉という)。公訴事実は,訴因を明示して記載し,訴因を明示するには,できる限り日時,場所および方法をもって罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。訴因は,検察官によって公訴提起の対象とされた犯罪事実であり,裁判所の審理判決の権限および責務はこれにより限定され,被告人にとっては防御すべき範囲が明らかになるという意味をもつ。…
…つづいて,裁判長は被告人に黙秘権のあることなどを告げたうえ,被告人および弁護人に陳述の機会を与える。その陳述においては,訴因,すなわち検察官の主張する事実に対する応答(罪状認否)が重要であり,これによって事件の争点が明確になる。この後,審理は本格的な段階に入り,証拠調べが始まる。…
※「訴因」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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