デジタル大辞泉
「護王神社」の意味・読み・例文・類語
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ごおう‐じんじゃゴワウ‥【護王神社】
- 京都市上京区桜鶴円町にある神社。旧別格官幣社。和気清麻呂と姉の和気広虫ほか二柱をまつる。高雄山神護寺の境内にあった清麻呂の霊殿に対し嘉永四年(一八五一)孝明天皇が護王大明神の号を下し、明治七年(一八七四)現名に改称。同一九年現在地に移転。子育ての神として知られる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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護王神社
ごおうじんじや
[現在地名]上京区桜鶴円町
鳥居は烏丸通に東面する。祭神は和気清麻呂と姉の広虫で、藤原百川・路豊永を合祀する。もと別格官幣社。明治一九年(一八八六)一一月三日の天長節に皇居守護の神社として、神護寺(現京都市右京区)から現在地に遷座した(坊目誌)。社伝は文覚が神護寺を復興した折、護法神として祠を建てたのに始まるという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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護王神社 (ごおうじんじゃ)
京都市上京区に鎮座。和気清麻呂と姉広虫を主神とし,藤原百川(ももかわ),路豊永を配祀する。清麻呂は藤原仲麻呂の乱平定,道鏡追放,平安遷都などで功をあげたが,そのゆかりの神護寺に,平安末期文覚(もんがく)がその霊社を建ててまつっていた。1851年(嘉永4)になり正一位護王大明神の神号が宣下され,さらに明治になり,74年護王神社と改称,別格官幣社となった。86年蛤御門近くの現在地に移し,同時に孤児の養育などに励んだ広虫,また同時期に活躍した百川,豊永を配祀,のち1915年広虫を主神とした。例祭は4月4日,清麻呂の命日にあたる。
執筆者:鎌田 純一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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護王神社
ごおうじんじゃ
京都市上京(かみぎょう)区烏丸通(からすまどおり)下長者町に鎮座。祭神は和気清麻呂(わけのきよまろ)、和気広虫(ひろむし)で、藤原百川(ももかわ)、路豊永(みちのとよなが)を配祀(はいし)する。清麻呂は道鏡の野望を砕いたことで名高く、桓武(かんむ)天皇の信任が厚かった。初め高雄(たかお)山神護寺に清麻呂の霊社を設けたが、1851年(嘉永4)孝明(こうめい)天皇より護王大明神の神号、正一位の神階が宣下され、1874年(明治7)別格官幣社に列し、護王神社と称した。1886年、現在地に社殿を造営、遷座が行われ、広虫ほか2柱を配祀、1915年(大正4)広虫を主祭神に加えた。例祭(護王大祭)は4月4日。11月1日には特殊神事の亥子祭(いのこさい)が行われる。
[阪本是丸]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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護王神社【ごおうじんじゃ】
京都市上京区蛤(はまぐり)御門の西に鎮座。旧別格官幣社。和気清麻呂とその姉の広虫をまつる。1886年洛北高雄山から現地に遷祀。例祭は4月4日。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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護王神社
ごおうじんじゃ
京都市上京区に鎮座。元別格官幣社。祭神は和気清麻呂,和気広虫。例祭4月4日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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