身分制社会(読み)みぶんせいしゃかい(英語表記)ständische Gesellschaft[ドイツ]

改訂新版 世界大百科事典 「身分制社会」の意味・わかりやすい解説

身分制社会 (みぶんせいしゃかい)
ständische Gesellschaft[ドイツ]

広く解釈すれば,〈法の前の平等〉原則に立つ近代市民社会より以前の諸社会は,すべて身分制社会である。しかし,ふつうには,ヨーロッパ史上,ほぼ12~13世紀から18世紀末ごろまでの社会について,この呼称が用いられる。

この社会の構造的な特徴の一つは,それぞれの個人がなんらかの身分集団に属するものとされ,いろいろな身分が一種の階層秩序(ヒエラルヒー)をなしているところにある。大きく分ければ,聖職者僧侶),貴族,市民,農民という諸身分が一般的であるが,聖職者身分や貴族身分は,さらにその内部でいくつかの階層に編成されているのがふつうである。そして,おのおのの身分は独自の権利や名誉と結びつけられていたから,身分制社会は〈特権のシステム〉としての特徴をも示す。

 このような,いわば法制史的な意味での身分制社会は,10世紀ごろまでかなり流動的だったヨーロッパの封建社会が,都市や村落の形成・発展とともに,定住性を強めていくなかで,しだいにつくり上げられていった。戦士としての騎士身分と農民身分の明確な分離,市民身分の出現などは,その顕著な表れである。ヨーロッパの中世都市は,古代のポリスキウィタスとは異なり,農村地域とはっきり区別された特別の法領域であったから,聖職者や貴族など封建領主たる上位の諸身分に対しては,市民が農民とともに〈平民〉身分(フランスの〈第三身分〉)とみなされることもありえたが,法制上,市民は明らかに農民と別個の身分であった。ただ,イギリスにおいては,かなり早くから下級貴族たる騎士身分が,軍役代納金制の普及や傭兵使用の開始により,戦士の機能を失って地主化の道を歩んだため,ジェントリーという独特な名望家階層が形成された。しかもこのジェントリーは,生業のうえでも,血縁関係からも,都市の市民と密接なつながりをもつようになったので,イギリス議会の下院はジェントリーと市民の代表を合わせた〈庶民Commons〉から構成され,このことは,フランスやドイツ諸邦などに比して,イギリスの身分制社会がかなり流動的な性格をもっていたことを示している。

〈身分〉というものを,法制上の身分に限定せず,経済的見地より規定される〈階級〉と対置して広く考察するならば,身分制社会の特徴は,マルクス主義史家のいわゆる〈経済外強制〉のシステムに求められる。近代市民社会の内部における諸階級間の支配・従属関係は,原理上,あくまで経済的,物的なものであり,人的な支配を含まない。これに反し,前近代的な身分制社会では,領主・農民関係において典型的にみられるように,人的な支配・隷属関係が経済的な生産関係と分かちがたく結びついている(領主制)。もともとは自由な誓約団体として発足した中世都市においても,初期のギルドからしてすでに商人と手工業者の間には身分上の差別があり,やがて手工業者の同職ギルド(ツンフト)がそこから分離しても,それぞれの同職ギルドの内部構造は,親方,職人,徒弟という,身分制的なものであり(徒弟制度),ここでも経済外的な共同体規制が行われていた。

 身分制社会は,したがって,これを支配のシステムという意味で,権力の配分関係という見地から考察するならば,公的権力の私的な領有,より具体的には,権力の家産的把握によって特徴づけられる(家産制)。領主たる貴族の農民に対する人的支配が,家産的な裁判権の行使という形で現れるのは,その典型的な例であり,中世都市においても,市参事会や都市裁判所は,多くの場合,特権的な上層市民の門閥によって独占されるようになった。聖職者身分の場合には,世襲の欠如のゆえに家産制の概念は適用できないが,特権身分としての〈僧侶〉は,身分制議会の構成からもわかるように,事実上,領主裁判権の所有者たる高級聖職者を指すのであり,下級聖職者たる教区司祭のごときは,社会的にみればむしろ平民身分と本質的に変りはない。

 公権力を私的に領有する諸身分の〈特権〉は,その権力の下に立つ者との関係においては〈支配権〉であるが,上位の権力者たる君主との関係においては,身分的な〈自由権〉として現れる。モンテスキューは,《法の精神》(第1部第2編第4章)において,〈中間的諸権力〉は〈君主政体〉の本質をなしていると述べたが,貴族を筆頭とするこの〈中間諸権力〉こそ,身分制社会における〈支配権〉と〈自由権〉の主体にほかならない。一般にヨーロッパのアンシャン・レジームにおいて,上級官職の保有が平民身分の貴族への上昇を可能にした理由もそこにある。モンテスキュー自身が本来それに属していた高等法院のメンバーは,法制上は〈第三身分〉に含まれていても,社会的には〈法服貴族〉という〈中間権力〉を構成していたのである。プロイセンのそれのような,強力な絶対王政のもとでも,身分制社会はあくまで維持されており,ユンカーと呼ばれる地方貴族は,文字どおりの〈中間権力〉として,所領の農民に対する〈家産的裁判権〉を行使し,これを人的に支配していた。

身分制社会における支配の組織的中核は〈家〉であった。アリストテレスが《政治学》で述べているように,古代ギリシアのポリスにおいては,〈市民〉としての自由人は,自己の〈家(オイコス)〉の内部では,父として子どもを,夫として妻を,主人として奴隷を支配していた。中世から近世にかけての,ヨーロッパ身分制社会においても,貴族や市民の〈家〉の構造は,これと本質的に変わらない。そもそも封建的な領主支配自体が,拡大された家支配ともいうべき性格をもっており,他方またギルドの構成メンバーたる〈親方〉は,職人,徒弟を含む拡大された〈家〉の首長にほかならなかった。

 身分制社会における公的な権利の基礎は,家支配権であった。経営体としての〈家household,ménage〉の所有が,この社会における人間の自立性の前提なのである。したがって,農村においても,本来の〈農民〉身分は,小なりといえども自己の農地と家屋敷をもつ者でなければならず,住込みで働く奉公人や作男,また日雇いなどの農業労働者は〈農民以下〉の階層とみなされた。同じことは都市の下層民にもあてはまり,一般に近世の身分制社会は,どこでも,農民身分や市民身分の下に,〈身分以下unterständisch〉な細民ないし賤民Pöbelを従えているのがつねであった。いかに貧しくとも,市民身分や農民身分に属する者は独自の権利の主体と認められたが,賤民階層は身分制社会のメンバーとは考えられなかったのである。

 身分制社会は,支配・隷属という縦の人間関係とともに,同じ身分に属する権利仲間どうしの横の結合体としての社団corpsの形成を必然的に伴い,その意味では〈社団的社会société corporative〉と呼ばれることもある。そして,かかる横の社団的結合とのかかわりで,身分制社会はヨーロッパのアンシャン・レジームを特徴づける〈地域主義régionalisme〉と結びつくこととなった。革命以前のフランスにおいて,身分的諸特権やその土台たる地域慣習法の擁護者たる州高等法院が,地域主義の堅固なとりでとしての役割を果たしたのは,そのためである。フランス革命は,聖職者身分や貴族身分の封建的諸特権を廃止すると同時に,伝統的な都市,農村のあらゆる共同体関係をも破砕し,さらにこれまでの〈州pays〉を廃止して,まったく人為的に〈県département〉という行政管区を設置することにより,身分制社会をそのあらゆる局面において〈市民社会〉に転換せしめたのである。
身分制議会 →身分制国家
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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