軽海郷(読み)かるみごう

日本歴史地名大系 「軽海郷」の解説

軽海郷
かるみごう

かけはし川中流左岸平野部の軽海町を遺称地とし、それ以南の梯川上流域山間谷間一帯と支流仏大寺ぶつだいじ川下流域、滓上かすかみ川流域を含む中世郷。古代の軽海郷の郷域を継承する。嘉暦四年(一三二九)二月二二日鎌倉幕府が武蔵国金沢称名かねさわしようみよう(現横浜市金沢区)に常陸国北郡の寺領と相博で、闕所地となっていた軽海郷地頭職を寄進した(元徳二年閏六月日「中宮八院衆徒等申状案」・文和元年一一月一三日「実有称名寺領文書預ケ状」金沢文庫文書、以下文書名のないものは同文書)。称名寺は永徳三年(一三八三)までの約五〇年間当郷を支配した。残存する史料大部分はこの時期のものである。称名寺以前の知行について、年月日未詳の軽海郷知行次第によれば、承久の乱以前は頼高、以後は行忍が勲功により地頭職を得ており、行忍―業連―後家覚恵―実業と相伝された。行忍の一族の姓・名字は明らかでないが、「業」を通字としていることから、嘉暦四年五月日に新地頭へ軽海郷の田数・得分を注進した公文大江頼業はその一族とも考えられ(軽海郷公文大江頼業注進状案)、行忍らは大江氏の一族であった可能性が高い。また、元徳二年(一三三〇)閏六月日の中宮八院衆徒等申状案に、仁治(一二四〇―四三)頃賀光法橋跡の地頭職を継いだ河原左衛門尉定直が郷内の白山中宮八院末寺岩蔵寺以下の別当職や田畠を押領し、寛元三年(一二四五)の関東下知状によってその押妨が停止されたとあり、別に賀光法橋や河原定直にも一時地頭職が与えられていたことになる。

軽海郷の田数については、嘉暦四年五月日の軽海郷公文大江頼業注進状案に、府南ふなみ(国府の南に鎮座した加賀国総社、現石部神社)押領分が三六町五反五代以上(前欠のため合計は不明)、八院押領分が一一町七反二〇代、残田(地頭堀内・同門田・里百姓田など地頭の現実の知行分)が九町八反とある。この文書と同筆の断簡文書の中に「□□陸拾肆町捌反拾五代 正嘉元年実□□録定之」とあり、正嘉元年(一二五七)の前地頭による実検目録によれば、総田数は六四町八反一五代であった。この断簡文書から府南社押領田が三八町七反余であることがわかり、総田数との差四町六反余は仏神田などの免田や人給田であったと推定される。軽海郷は本郷と大野おおの村および河内かわちから編成されており(暦応三年八月二八日軽海郷年貢等進未注進状など)、河内には金平かなひら(現金平町)・岩泉(所在不明)塩原しおはら(現塩原町)・十二加滝(現沢町地内)・鱒上(所在不明)池城いけのじよう(現池城町)・はさ(現波佐羅町)岩上いわがみ(現岩上町)長原ながはら(現尾小屋町地内)・前谷口(所在不明)・よき滝(所在不明)江差えさし(現江指町)長谷ながたに(現長谷町)が含まれ、梯川上流の支流郷谷ごうたに川流域・三谷みつたに川流域および大杉谷おおすぎだに川の下流域に及んでいた。


軽海郷
かるみごう

和名抄」所載の郷。高山寺本に「加流美」、東急本・刊本に「加留美」と訓ずる。遺称地は現小松市軽海町、郷域はその周辺と考えられる。推定郷域内にまつ木谷きだに横穴群がある。長寛元年(一一六三)頃に原型が成立したとされる「白山之記」に、新宮を建立した僧として軽海郷松谷まつだにに住む如是房がみえる。さらに同書によれば、中宮八院のうち隆明寺を除く七院までが当郷の内にあった。当郷の東方、手取川の河谷は白山宮加賀馬場の領域であり、北方には加賀国府があった。


軽海郷
かるみごう

現真正町軽海一帯にあったとみられる美濃国国衙領の一つ。永享二年(一四三〇)一二月二五日の「御前落居記録」によれば、恒富入道・同庶子等跡の当郷地頭職について広橋親光は、祖父仲光が明徳三年(一三九二)拝領して知行していたと主張、「施行分明之上、細々奉公」が認められ、広橋領と裁許された。なお相手方大館氏は同地頭職について明徳元年拝領、一時広橋家に移ったが、応永一五年(一四〇八)に再び大館氏に返付されていたと主張していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の軽海郷の言及

【名子】より

…名子は妻子,眷属,脇の者,下人(げにん)などと並び称されており,主人の家の内部の存在で,その家父長的支配に属すべきものとされていた。しかし前記の薩摩国谷山郡の名子が馬や銭を保有し,鎌倉時代末の加賀国軽海(かるみ)郷の名子江四郎なるものが板を売りに市へ出かけるなどの例を見ると,その経済的地位は必ずしも低いものばかりではなかったようである。上記の名子江四郎は別の文書では江四郎名(みよう)として現れ,独立した年貢徴収の対象として把握されている。…

※「軽海郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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