もともとは,一定の職業につかず遊んで暮らしている者の意であるが,ドイツ・フランクフルト学派の批評家W.ベンヤミンが19世紀の都市を考察するにあたって,重要なキーワードの一つとしてフラヌールflâneur(遊歩者)に注目したことをきっかけに,現代の都市論に欠かせぬ基本的な概念となった。ベンヤミンによれば,都市の遊民を描いたもっともはやい文学作品は,ポーの《群集の人》(1840)で,カフェのテラスからガス灯に照らしだされた街路を行き交うロンドンの群集を観察しつづける孤独な語り手の境位は,やがてポーの翻訳者でもあったボードレールの散文詩《群集》(1861)にうけつがれているという。ポーやボードレールが共鳴を惜しまなかった遊民は,健全な市民生活から疎外された周縁的人間であって,街路の群集というベールを透して,その向う側に明滅する都市の幻景をかいま見る。快適な私生活を保証するぜいたくなブルジョアの室内から追放されてしまった彼らにとって,街路こそはくつろぎを提供してくれる場所であり,あてどもない移動と漂泊が生活のスタイルとしてえらばれる。こうした遊民のイメージは,H.ミュルジェールの《ボヘミアン生活の諸情景》(1847。オペラ《ラ・ボエーム》の原作)でおなじみの貧しいが快活な屋根裏のボヘミアン芸術家とも重なりあう(ボヘミアン)。都市の生産的機能からへだてられている彼らが,都市の自意識をもっとも鋭いかたちで表現するところに,遊民という種属のアイロニカルな役割がある。しかも彼らは,ボードレールがそうであったように,娼婦や犯罪者など,都市のアンダーグラウンドに棲息する者たちのよき理解者でもあった。
日本では浅井了意の仮名草子《浮世物語》に〈世に捨てられたる余者なり。儒教には遊民の類と言へり〉とあるように,近世都市に流入した僧侶,芸能者,娼婦らを遊民としてくくりこむ発想があり,小説や演劇にもしばしば登場する。あるいは,のら者,逸民,無用者と呼ばれた近世の文人たちにも遊民の意識を認めることができる。たとえば,〈狂蕩(きようとう)〉を自称した上田秋成,〈無用之人〉の視点から,幕末の江戸を活写した《江戸繁昌記》の著者寺門静軒などは,日本における遊民の系譜に独特な位置を占めている。しかし,都市空間を遊歩する習俗が一般化するのは,立身出世を夢見て東京に集まってきた明治初期の知識青年,書生の登場をまたなければならなかった。楊弓場や牛肉店で天真爛漫(らんまん)に欲望を発散させる《当世書生気質》の書生たちであり,本郷から上野,湯島をめぐる円環コースの散歩を日課としている《雁》の医学生岡田がそれである。日露戦争後,高等教育をうけながら,働く場所がなく,不如意の生活を送っている〈高等遊民〉が社会問題となったが,この〈高等遊民〉に独自の思想的役割を与えたのは夏目漱石であった。〈職業の為に汚されない内容の多い時間を有する,上等人種〉として規定されている《それから》の代助が漱石の描いた〈高等遊民〉の典型であるが,代助のような文明批判をもたない《彼岸過迄》の田川敬太郎にかえって遊歩者のイメージが打ち出されている。漱石の同時代者で遊民の生活に徹したのは,東京の散歩記録《日和下駄》を書いた永井荷風であろう。また,震災後の東京風俗を好んで素材としたモダニズムの文学も一種の遊民の文学である。なお,1980年代に入ってから,《ぴあ》《アングル》などのタウン情報誌の流行を背景に,若い世代の間に〈ユーミンする〉という新語が生まれた。
執筆者:前田 愛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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