重要産業統制法(読み)ジュウヨウサンギョウトウセイホウ

デジタル大辞泉 「重要産業統制法」の意味・読み・例文・類語

じゅうようさんぎょうとうせい‐ほう〔ヂユウエウサンゲフトウセイハフ〕【重要産業統制法】

昭和恐慌下、産業合理化のため重要産業カルテル化を強めるために制定された法律。昭和6年(1931)公布。同16年失効。

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改訂新版 世界大百科事典 「重要産業統制法」の意味・わかりやすい解説

重要産業統制法 (じゅうようさんぎょうとうせいほう)

1931年4月1日に公布された〈重要産業ノ統制ニ関スル法律〉の略称臨時産業合理局(1930年6月設立)の立案によるもので,昭和恐慌下,産業の不安定な状況をカルテルの強化・統制をはかることによって克服しようとしたものである。全文10条からなるが,その根幹は,統制委員会の議を経ることによって,カルテルの統制を未加盟者にまで強要することができるという権限政府にあたえた第2条にある。同法によって政府の指定した重要産業は34年5月までに紡績製鋼製紙セメントなどの24産業に及ぶが,実際に第2条が発動されたのは,34年のセメント製造業の1例にすぎなかった。しかし,この法律は国家による大企業統制への端緒となったといえる。これを機にカルテルは主要産業分野に拡大していき,同時に工業組合法も1931年4月2日に公布されて,中小工業の統制も強化された。なお,重要産業統制法は36年に改正・強化され,トラストもその対象となり,やがて戦時統制経済に吸収されていった。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「重要産業統制法」の解説

重要産業統制法
じゅうようさんぎょうとうせいほう

昭和恐慌下の競争激化を背景に商工省臨時産業合理局の主導で制定された産業組織立法。正式名称は「重要産業ノ統制ニ関スル法律」。1931年(昭和6)4月公布。加盟者およびアウトサイダーに対し協定への服従を命じる助成規定と,関連産業・消費者に不利益を及ぼす協定の変更・取消しを命じる公益規定からなる。立案時には恐慌対策の面が強かったが,景気回復とともに公益規制の重要性が増した。実際に発動した例は34年のセメント業のみだったが,同法を背景とした行政指導によってカルテルの設立・維持を助成する一方,その価格政策を適正な方向に誘導した。36年5月,トラストを適用対象に追加するなど内容を強化して施行期間を5年延長したが,第2次大戦時の経済統制進展によりその使命を終えた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「重要産業統制法」の意味・わかりやすい解説

重要産業統制法
じゅうようさんぎょうとうせいほう

1929年恐慌に端を発する世界的不況のなかで重要産業部門におけるカルテル結成を強力に推進することを目的に制定された法律。 31年4月1日公布,8月 11日施行。産業合理化政策推進をになった商工省の方針と,政府の介入により競争を制限し価格低下に歯止めをかけようとする企業の利害が一致して成立したが,独占資本の市場支配力を強化しようとするものではなく,企業に適正利潤の確保を認め,低廉かつ豊富な供給を実現しようとするものであった。しかし強制カルテル規定やカルテル行為規制の規定を含み,国家の経済過程への介入を促す側面があり,1930年代の巨大企業の興隆の一要因ともなった。

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百科事典マイペディア 「重要産業統制法」の意味・わかりやすい解説

重要産業統制法【じゅうようさんぎょうとうせいほう】

昭和恐慌に対処するため,重要産業のカルテル結成を助成してその統制に当たるとともに,独占に伴う弊害を取り締まるために制定された法律(1931年)。戦時統制経済への下敷の意味をもち,国家総動員法による戦時体制の進展に伴い,1941年失効。

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旺文社日本史事典 三訂版 「重要産業統制法」の解説

重要産業統制法
じゅうようさんぎょうとうせいほう

1931年に産業合理化政策の一環として公布された法律
浜口雄幸内閣は昭和恐慌に対処するため,重要産業のカルテル結成を助成してその統制にあたった。戦時統制経済の先がけとなった。

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世界大百科事典(旧版)内の重要産業統制法の言及

【カルテル】より

…1907年以後の不況期には,紡績業以外の産業でも製紙,製糖,製麻,製粉,マッチなどの産業でカルテルの結成をみたが,その後は鉄鋼,石炭などの重工業部門でもカルテルが結成されている。とくに大正末期から昭和初期にかけて〈重要輸出品工業組合法〉〈輸出組合法〉〈重要産業統制法〉などのカルテル助長法が制定されたこともあり,昭和初期には重要産業分野をはじめ多くの産業でカルテルが成立した。
[規制政策]
 カルテルは,最適規模に達しない過小規模企業を温存させ,また需要構造の変化や技術進歩への対応を遅滞させるなどの弊害をもたらすおそれが大きく,カルテルに対してはほとんどの国でなんらかの規制が行われている。…

【カルテル法】より

…その後,昭和恐慌を経て第2次世界大戦に進む過程で,より強力なカルテル助長政策に根ざすカルテル法がつぎつぎと制定された。そのうち31年の〈重要産業ノ統制ニ関スル法律〉(略称,重要産業統制法)は,日本の産業を全般的に国家権力によってカルテル化し,統制することを目的としたもので,統制服従命令規定(2条)によりアウトサイダー規制がなされた。具体的には,統制協定(カルテル協定)参加者の2/3以上の申請のあることを条件に,主務大臣が当該産業の公正な利益の保護と国民経済の健全な発展のために必要があると認定した場合には,統制協定の加盟者および非加盟者に対し,協定に従うべきことを命じうるという形式をとっている。…

【事業者団体】より

…また法的整備の面では,1884年の同業組合準則,90年の産業組合法の制定により中小企業者の組織化が図られるとともに,同年の商業会議所条例,97年の重要輸出品同業組合法の制定により大企業者の組織化が図られた。その後,第1次大戦後の恐慌のもとで生産制限の色彩が濃い重要産業統制法が1931年に制定された。さらに38年の国家総動員法に基づいて41年重要産業団体令が制定され,やがて戦時体制のもとで事業者団体は国家による産業統制の下部機構となった。…

【統制経済】より

…その後,昭和恐慌下で国家の経済への介入は多分に不況対策的な契機によるものとなり,産業合理化運動のなかでも企業統制による一定の効果が期待された。1931年4月に制定された重要産業統制法は,この時期の典型的な統制法規であり,同時に制定された工業組合法とともに,強制カルテル化という独占的組織の強化によって不況の克服をはかろうとした。類似の立法はイタリアやドイツにもみられたが,日本はむしろその先駆をなし,このような企業統制の強化は,やがて半官半民の形態をとる多くの国策会社の設立にもつながる。…

※「重要産業統制法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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