寺伝によれば、聖武天皇の勅願により天平年間(七二九―七四九)行基が開いたという。行基自刻の本尊木造聖観音菩薩像(県指定文化財)は秘仏とされ、「生身の御本尊」とよばれる。行基が彫刀を進めると、木肌から赤い血が流れ出て生身のようであったので、刀を擲ち、下半身を白布で覆ったという伝承がある。当地域は古代に雄族秦氏が居住していたところであった。寺蔵の宝亀五年(七七四)の大般若経奥書に「秦正月麿書写」とある。また、旧蔵の金銅聖観音像(現ボストン美術館蔵)の文永六年(一二六九)の銘文に「近江国依智郡之内松尾寺本堂奉安置之右志者、為願主犬上利吉並芳縁依智秦氏子孫繁昌現世安穏」とあり、金剛輪寺と秦氏に密接な関係があったことが想像できる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
滋賀県愛知(えち)郡愛荘(あいしょう)町松尾寺(まつおじ)にある天台宗の寺。山号は松峰山(しょうぶさん)。通称松尾寺。西明(さいみょう)寺、百済(ひゃくさい)寺とともに天台の湖東三山の一つ。近江(おうみ)西国第15番札所。741年(天平13)聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基(ぎょうき)が開創したと伝える。本尊聖観世音(しょうかんぜおん)は行基の作と伝える秘仏。嘉祥(かしょう)年間(848~851)慈覚大師円仁(えんにん)が登山して中興、天台宗となり学僧が参集したという。弘安(こうあん)の役(1281)に近江守護佐々木頼綱(よりつな)が戦勝を祈願し、役後に現在の本堂大悲閣(国宝)を建立した。確認される坊舎跡は80以上にも及び、盛時は大寺院であったが、1571年(元亀2)織田信長の兵火でほとんどの寺塔を焼失、その後、徳川家康、彦根(ひこね)藩主井伊直孝(なおたか)などにより復興された。三重塔(待龍塔)、仁天門、大行社本殿のほか、鎌倉初期の阿弥陀(あみだ)仏像など12体および銅磐(どうばん)が国の重要文化財に指定されている。桃山から江戸時代にかけての池泉回遊式庭園は近江路の名園として知られる。
[田村晃祐]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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