岩鼻(読み)イワハナ

デジタル大辞泉 「岩鼻」の意味・読み・例文・類語

いわ‐はな〔いは‐〕【岩鼻/岩端】

岩の突端。突き出た岩のはし

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日本歴史地名大系 「岩鼻」の解説

岩鼻
いわばな

[現在地名]坂城町南条 鼠

弘治三年(一五五七)五月一二日、長尾景虎は坂城を攻めてこれを焼き、次いで岩鼻を攻めてこれを破った(別本歴代古案)。この山嶺の虚空蔵山こくぞうさん城も、この頃しばしば上杉・武田両軍の争奪点となっていた。

岩鼻は断崖が下の千曲川に突出し、昔は下を通れなかったので、鼠宿ねずみじゆく村の南側から山腹へ登り、崖の上を通って下塩尻しもしおじり集落(現上田市塩尻)へ降りた難所であった。

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百科事典マイペディア 「岩鼻」の意味・わかりやすい解説

岩鼻【いわはな】

群馬県高崎市の南東部,利根川支流烏(からす)川の左岸にあり,かつては上野国群馬郡のうち。江戸時代には中山道が通る水陸交通の要地で,1793年幕府代官所が設置される。岩鼻代官所の管轄領域は群馬郡・甘楽(かんら)郡・緑野(みどの)郡など上野国8郡にわたる5万8700石余に及んだ。1805年創設の関東取締出役は同代官所を拠点に上州を取締った。1865年木村甲斐守が新規関東郡代として着任すると管轄領域は上野一国と武蔵国5郡にまで拡大。1864年の天狗党の乱では代官所付猟師鉄砲隊が追討中枢となった。1868年の官軍下向に際し,代官所詰農兵銃隊取立計画が挫折,主だった役人は江戸に逃走して代官所は崩壊。同年旧代官所の支配地域をほぼ引き継いで岩鼻県を置き,1869年には吉井藩を併合するが,岩鼻県は同年廃止されて第1次群馬県が成立

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改訂新版 世界大百科事典 「岩鼻」の意味・わかりやすい解説

岩鼻 (いわはな)

上野国(群馬県)群馬郡の代官陣屋所在地。1590年(天正18)徳川家康の関東入部以後前橋藩領,村高264石余。1749年(寛延2)酒井氏転封後は幕府領,93年(寛政5)岩鼻砦跡に関東代官の陣屋が設置された。初代代官は吉川栄左衛門と近藤和四郎,配下に手付・手代・書役・地役人などがいた。陣屋の規模は4.6ha,周囲に堀をめぐらし,中に役所と役人住宅があった。支配区域は上州3郡・武州6郡,最高時には50万石に達した。代官所は旗本領や代官支配領の警察力の不十分さに対応したものであり,北関東の守りとして中山道と利根川の交通の要所固め,無宿の取締りや百姓一揆の鎮圧に大きな役割を果たした。1805年(文化2)関東取締出役の制度ができたときも,その中心的な場所となった。1868年(明治1)1月,江戸に向かう征東官軍通過のさい,代官所の役人はすべて逃亡し代官所は崩壊し,同年6月同陣屋跡に岩鼻県庁が設置された。1957年,65年高崎市に編入。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩鼻」の意味・わかりやすい解説

岩鼻
いわはな

群馬県高崎市街地の南東部の一地区。旧岩鼻村。烏(からす)川左岸にあり、1880年(明治13)陸軍の岩鼻火薬製造所が設けられ、1963年(昭和38)その跡地に日本原子力研究所高崎研究所(現、量子科学技術研究開発機構高崎量子応用研究所)ができた。1974年には県立近代美術館、1979年県立歴史博物館が静かな森に囲まれて開設された。国道17号が通じる。

[村木定雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩鼻」の意味・わかりやすい解説

岩鼻
いわはな

群馬県南部,高崎市南東部にある地区。旧村名。 1957年高崎市に編入。寛政5 (1793) 年に陣屋が設けられ,明治1 (1868) 年には代官所跡に岩鼻県庁がおかれた。烏川左岸の静かな農村であったが,国道 17号線沿いに工業化,住宅地化が進んでいる。

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