心身に障害をもつ人びとにたいする教育の総称。児童・生徒に関しては,日本の場合学校教育法に規定されており,この教育を特殊教育special educationと呼んでいる(第6章)。以下,障害をもつ子どもにたいする教育を中心に述べる。
子どもの障害の種類や程度に応じて生じる特別な教育的ニーズspecial educational needsにこたえ,かつ各人の諸能力と人格のじゅうぶんな発達を促すことを目的とする。子どもの障害にはさまざまなものがあり,その程度も一様ではない。障害の種類の代表的なものとしては視覚障害,聴覚障害,肢体不自由,病弱・虚弱,精神遅滞(法律上の用語では精神薄弱),自閉症などがあるが,障害の程度も,重症・重度のものからごく軽度のものにまでわたる。それぞれの障害はそれをもつ個人に障害に応じた固有の困難をもたらす。たとえば聴覚障害の場合は,音声言語をはじめとする音の情報のとり入れがまったく不可能(全聾)であるか,種々の程度で制限(難聴)されるという困難が生じる。またこれに加えて話しことばの獲得と発達という面でも困難が伴う。障害児教育は,こうした困難を軽減したり克服したりすることを障害児各人のニーズとしてとらえて進められる教育である。聴覚障害児の教育を例とすれば,補聴器の装用訓練にはじまる聴能訓練,口話法などによる発語・発話訓練(言語指導)がその重要な内容となる。しかし障害児教育は障害児の障害の軽減,克服にとりくむにとどまらず,障害のない子どもたちと同様に基礎学力を身につけさせ,人間的な諸能力とゆたかな人格を形成することをも目的としている。その意味で障害児教育は通常の教育と無関係な特殊なものではなく,普通教育の一環として位置づけられる教育である。
盲学校,聾学校,養護学校のほか,障害児学級(学校教育法上は特殊学級)がある。養護学校には肢体不自由,病弱,精神遅滞の3種類にそれぞれ対応したものがある。また障害児学級は精神遅滞を対象とするものが圧倒的に多いが,言語障害学級,難聴学級,弱視学級,情緒障害学級など多様である。病院で入院加療中の障害児,障害児施設の収容児にたいする学級として病院内学級,施設内学級があるが,これらは大部分が養護学校の分教室として設置運営されている。また障害が重く,通学することが困難な児童・生徒にたいしては教師が居宅に訪問して指導する訪問教育があるが,この教育も大部分が養護学校によって進められている。
障害児の教育は,しかし通常の学級においても行われる。本来はその障害の程度からして上記の諸学校,学級において教育することが望ましいにもかかわらず通常の学級に在籍している例もあるが,若干の補助手段を講じれば通常の学級で教育可能な者についてはこれを積極的に推進することが必要である。こうした考え方と教育の形態を統合教育と呼ぶ。
なお文部省は1993年度から〈通級による指導〉という新しい形態をとり入れた。これは,通常学級の学習におおむね参加可能な障害児は通常学級に措置し,別に用意された〈通級による指導のための教室〉に週数時間通わせて,障害への対応,学習の補いをするものである。
障害児の教育が学校において行われはじめるのは18世紀中ごろのことである。もっとも古い歴史をもつのは聾教育であり,フランスのレペーCharles Michel,Abbé de l'Épéeが中心になって近代聾学校の原型をつくった。盲学校は,市場で興行師に使われていた盲人を見て盲教育に関心を抱いたフランスの啓蒙主義者アユイValentin Haüyによって,1784年パリに開設されたのが最初とされている。精神遅滞児教育にはじめて系統的にとりくんだのは,精神医学者P.ピネル,J.E.D.エスキロールの影響を受けたフランスのÉ.O.セガンであるが,彼によってパリに設立された〈白痴学校〉が世界最初の養護学校である。世界の障害児教育はその後,各国における義務教育制度の成立と発展に規定されながら進歩をとげる。
日本の障害児教育が発展するのは明治以降である。1872年(明治5)発布の〈学制〉には小学校などの他に〈廃人学校アルヘシ〉との記述が認められるが,即座にそれに当たるものがつくられた形跡は今のところ見当たらない。しかし78年には最初の盲啞学校として京都盲啞院(古河太四郎らによる)が設立された。また精神遅滞児教育についてはアメリカにわたってセガンの思想にふれた石井亮一が,東京の北区滝野川に開設した〈滝乃川学園〉を嚆矢(こうし)とし,肢体不自由児教育は1932年各種学校に類する小学校として設置された東京市立光明学校がその最初である。こうして日本の障害児教育は,そのいずれもが欧米の動きに約100年おくれて出発した。しかもこれらの学校ないし学校に準ずるものは,長い間わずかに点として存在したにすぎない。第2次世界大戦前に公的な学校制度として成立をみたのは盲学校,聾学校だけである。この2種類の学校は1923年の盲学校及聾啞学校令によって各道府県に設置義務が課せられ,その義務履行は戦前にほぼ完了した。障害児教育が本格的に発展するのは第2次世界大戦後であり,すべての障害児が義務教育の対象とされるのは79年,養護学校教育義務制の施行によってである。健常児に比べて,障害児が著しくその学習権,教育権を侵害されてきたことが明瞭であろう。公教育としての障害児教育はこうして最近になってその制度的完成をみたのであるが,96年5月1日現在,盲・聾・養護学校は975(917)校,児童・生徒数は8万6293(4万9138)人,小・中学校の障害児学級は2万2771学級,児童・生徒数は11万5300人となっている(( )内は義務教育段階)。
以上のように義務教育そのものの発展が日本では大きく立ち遅れてきたため,今後の課題も多面的に存在する。そのいくつかをあげておく。
(1)幼児教育 障害の軽減,諸能力と人格の発達にとって早期からの教育がきわめて有効であることは論をまたない。盲学校,聾学校,養護学校の幼稚部の増設,幼稚園に在籍する障害児の教育の充実を行うとともに,厚生省管轄の各種通園施設,保育所における障害児の保育も発展させ,基本的にすべての障害児が幼児期から教育ないし保育を受けられるようにする必要がある。
(2)後期中等教育 盲学校,聾学校,養護学校の多くは高等部を併設している。しかしとくに養護学校高等部は進学希望者の増加に対応しきれない状況にあり,多数の精神遅滞児,肢体不自由児,病弱児が中学部卒業後在宅生活を余儀なくされている。学校教育法では高等学校にも障害児学級を置くことができるとしているが,高校入試制度,高校教育の準義務化の動きなどとも関連して何らかの具体的措置がとられることが期待されている。
(3)高等教育 近年障害者の大学進学要求はしだいに高まっている。大学で学習中の障害者は,多いほうからみると病弱・虚弱,肢体不自由,聴覚障害,視覚障害の順となっているが,83年度には東京都立大学に日本ではじめて全盲・全聾の重複障害者が入学した。しかし教学条件の不備を理由に障害者の受験を許可しない大学・短大も少なくなく,文部省などの助成制度をはじめとして多くの面で改善が求められている。
(4)社会教育 障害者の社会教育は1970年代に入ってようやく一定の前進をみせはじめた分野である。具体的には公民館などにおける障害者青年学級の開設,聴覚障害者を対象とする講座,各種の成人教育への手話通訳などの配置,図書館における点字本の整備,対面朗読(リーディング・サービス)の実施などである。しかしこれらはまだはじまったばかりといってよく,社会教育関係職員の自主的努力によって支えられている状況である。今後,障害者の移動手段の確保,公民館などの社会教育施設の施設・設備の拡充,職員養成などを中心に改善が進められる必要がある。
執筆者:茂木 俊彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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