口角の後外側にあり,くちびるとともに口腔前庭の外側壁をなす軟部の領域。哺乳類だけがもつもので,その他の動物にはこれに相当するものはない。一般に頰筋(きようきん)という筋肉を含んだ軟組織の板であるが,ほお袋という袋状の構造になっていることがある。霊長類では,ヒトもほおに少量の食物をほおばることができるが,ニホンザルなどオナガザル類のサルのほおは著しく伸縮性に富んでいるため咀嚼(そしやく)する前ここに食物をほおばると外側にふくらみ,かなりの量を蓄えることができる。また齧歯(げつし)類のうち,ハムスターのもつほお袋は空のときでも口腔に開く深い袋になっており,ここに食物を蓄えると外側へ大きくふくらむことができる。この袋の後端には腰椎の背側からおこる長い薄板状の筋肉が付き,つねに後方へ引っぱる仕組みになっている。南米産の大型齧歯類であるパカでは,頰骨弓が風をはらんだ帆のように異常に大きく発達し,その内側にできた空洞部に,口腔からつながるほお袋が収容されている。この場合,そこに食物を蓄えてもほおがふくらむことはない。他方,北米産齧歯類のホリネズミ類(ポケットネズミ,カンガルーラットなど)のほお袋は口腔とは関係がなく,ほおの外面がくぼんでできた,毛で裏打ちされたポケットである。食物を蓄えたり出したりするには,前肢の手を使う。これらのほお袋の態様はさまざまだが,いずれも,できるだけ早く多量の食物を取りこんでまず安全な場所へ移り,それからゆっくりかみ砕いて食べるように適応したものと思われる。
ヒトのほおでは,前内側のほうは上下のくちびるに続いているが,上下と後方とは明らかな境界なしに顔面の皮膚に続いている。ほおは外面が皮膚,内面が口腔粘膜で,その間に頰筋と頰脂肪体という脂肪塊をはさんでいる。頰筋はらっぱや笛を吹くのにも必要である。口腔の陽圧をつくる筋肉であるが,同時にものを吸うために,口腔の陰圧をつくるときにも必須の筋肉である。つまり哺乳類の乳児が乳を吸うために発達したものが頰筋であり,ほおという柔軟な壁であるといえる。
執筆者:藤田 恒太郎+藤田 恒夫
ほおは顔の大部分を占めるので,ときにはほおが顔を代表することもある。名は異なっても実体は同じというときに〈ほおは面(つら)〉といわれる。また,ほおは口唇の後方にあるために口,あるいは口もとと混同して意識された。ラテン語buccaは英語のcheekとmouthの両意があり,これにつながるドイツ語Backeも両意をもつ。同様にほおを意味するラテン語のgenaやmalaはその意味をもって現代語には残らなかった。医学用語にも残っていない。これに対してスペイン語ではmejilla(ほお)とboca(口)が分かれ,フランス語ではjoueとboucheが分かれ,イタリア語ではguanciaとboccaが分かれた。現代医学は通俗的なBackeよりもWangeを用いることが多い。cheekには〈あつかましさ〉の意があり,ラテン語の口osにも同じ意味がある。したがってQuo ore dicis?はHow have you the cheek to say?,すなわち〈どんな面でそんなことが言えるんだ〉となる。ラテン語buccaの語根buは〈呼吸する〉〈息を吹く〉の意で,buboはふくらみである。だからbuccaはふくらみをもたねばならない。柔らかく盛り上がる曲面がほおの本領である。
ほおの筋肉が収縮して表す感情にはいろいろあるが,ここでは笑い顔と泣き顔について簡単にふれることにする。ヒトだけが笑うのではなく,イヌも笑うとかサルも笑うとかいわれる。笑いの表情運動は威嚇が転化したものだとする説からみれば,チンパンジーやゴリラにも笑いに似た表情を読みとれるだろう。ヒトの笑いについては,呵々大笑から皮肉な笑い,微笑に至るまで,ヒトに生得的な感情表現としての筋活動がある。何を笑いの対象とするかに時代と文化の違いはあるとしても,また笑うヒトの性格により笑いに差があるとしても,その笑いがヒトのどのような感情を表現しているかは共通している。ヒトが泣くときにもいろいろな感情があるし,泣く表情も多様であるが,ある型の泣き顔が表す感情はやはり共通している。そして笑い顔と泣き顔とがひじょうに似通っており,その違いは泣くときには笑うときに使う顔面筋のほかに,特に鼻根筋や皺眉筋--苦悩の表情として主役を担う筋群--の収縮が目だつことだけである。
笑いの基本形態は嘲笑であり,その源は残忍な楽しみである。上に述べた笑いの表情運動は歯をむき出す動作--その意味は威嚇--と同一であり,チンパンジーなどは他のグループと接する際にこの動作をする。つまり攻撃的行為であり,自分が優勢に立つ場合には,やがて余裕をもって他の顔面筋は弛緩したままの笑いに発展し,劣勢に立つときは全顔面筋が恐怖にひきつって泣き顔になる。ヒトの笑顔はこうして確立した。だから笑いにはほとんどつねに笑う人の優越感が伴っている。もちろん,ピグミーの笑いのように朗らかな,何の悪意も見いだせない笑いもある。ヒトはいったん確立した笑いのしぐさを,他のユーモラスなものにまで用いることに成功した。だから笑い一般の性格は一様に言えないが,笑いの起源は,たとえばアメノウズメの舞を笑ったときの優者の嘲りを伴ったものにある。これに対して微笑,ほほ笑みはやや別の系統をたどっている。それは威嚇行為の減弱,裏を返せば親愛な感情の発生の表現に源をもつ。むき出そうとした歯は閉ざされた口唇内にあって見えないままであり,攻撃的感情に親愛感情が勝ってこれを抑制した表情である。アルカイク・スマイルとして話題にされる古代ギリシアの少女の微笑,仏像の微笑,その他モナ・リザの微笑に至るまで,すべてに共通する基本的情緒がこれである。
→口 →笑い
執筆者:池澤 康郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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