日本歴史地名大系 「願成就院跡」の解説
願成就院跡
がんじようじゆいんあと
現
行基が開いたと伝えられる古刹で、現在の願成就院に残る不動明王立像は、その胎内札銘によって文治二年(一一八六)五月三日に運慶が造立、檀越は北条時政であったことがわかる。同五年六月六日、源頼朝の奥州征討の成就を祈って立柱上棟された伽藍が「願成就院」と名付けられ、「本尊者阿弥陀三尊并不動・多聞形像等也」という(吾妻鏡)。建久五年(一一九四)三月二五日、鎌倉幕府は当寺で伊東祐親らの冥福を祈る供養を行い、七月二三日には寺の破損修理のため北条義時が下向している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報