香取(市)(読み)かとり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「香取(市)」の意味・わかりやすい解説

香取(市)
かとり

千葉県北東部に位置する市。2006年(平成18)、佐原市(さわらし)、香取郡小見川町(おみがわまち)、山田町、栗源町(くりもとまち)が合併して成立。市名は香取郡の郡名による。市域の北部を利根川が東流し、流域に水田地帯が広がる。南部は北総台地の一角で山林畑地が優越する。利根川の南岸を国道356号、JR成田線が走り、同線香取駅からJR鹿島線(かしません)が分岐。南西―北東方に東関東自動車道、国道51号が貫通し、成田市とを結ぶ東総有料道路が南部を走り、東関東自動車道の佐原香取インターチェンジがある。かつて北部域には海が入り込み、香取海、香取流海などと称された内海となっており、北総台地との縁辺部には良文貝塚(よしぶみかいづか)、阿玉台貝塚(あたまだいかいづか)(ともに国指定史跡)などの縄文遺跡や古墳群が広く分布する。古代、大和政権の東国経営の前進基地として香取社(香取神宮)が創建され、のち、同社は下総(しもうさ)国の一宮とされた。中世には香取海で「海夫」とよばれる漁民集団が「おみかわの津」「つのみやの津」「さわらの津」などを拠点に活躍。戦国期には千葉氏一族の国分氏が矢作(やはぎ)城、粟飯原(あいばら)氏が小見川城などに割拠した。江戸時代は幕府領や旗本知行の村が多かった。1654年(承応3)利根川の流路が銚子(ちょうし)へと変えられると、北部の低湿地帯の干拓が進んだ。また奥羽地方の物資を銚子から江戸へ運ぶ利根川舟運が開けると、佐原河岸と小見川河岸は周辺地域の物資の集散地として繁栄。市場や酒造業などで栄えた佐原町のにぎわいぶりは、里謡で江戸のそれと比べられるほどであった。なお小見川町は小見川藩の城下町でもあった。市域の下総台地には、幕府が経営する佐倉七牧のうちの油田(あぶらた)牧と矢作牧が設定されている。

 現在の基幹産業は農業。水郷地帯は、かつて田舟を使って農作業していたが、第二次世界大戦後、乾田化された。伊能忠敬(ただたか)旧宅(国指定史跡)や13棟の県指定有形文化財を含む、佐原市街の香取街道沿いと小野川沿いに十字型をなす商家の町並みは、重要伝統的建造物群保存地区。佐原本宿が祀る八坂神社の祇園(ぎおん)祭と同新宿が祀る諏訪(すわ)神社の祭礼には山車(だし)がひかれ、両社で演じられる佐原囃子とともに佐原の山車行事として国指定重要無形民俗文化財で、2016年にユネスコの無形文化遺産に記載された。香取神宮には国宝の海獣葡萄(かいじゅうぶどう)鏡や数多くの宝物がある。観福寺は、川崎、西新井とともに日本三大厄除弘法大師に数えられ、寺宝の釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観世音菩薩の4体の金銅製懸仏は国指定重要文化財。境内には伊能忠敬や国学者楫取魚彦の墓がある。伊能忠敬記念館所蔵の「伊能忠敬関係資料」は国宝に指定されている。府馬(ふま)の大クスは国指定天然記念物。香取神宮や水郷一帯は水郷筑波国定公園の指定域。面積262.35平方キロメートル、人口7万2356(2020)。

[編集部]


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