高田神社(読み)たかたじんじや

日本歴史地名大系 「高田神社」の解説

高田神社
たかたじんじや

[現在地名]都万村都万

高田山の西麓に鎮座する。旧村社。中世には高田大明神と称した。祭神は国常立尊。神社創建後まもなく作成されたと推測される年月日未詳の高田大明神青表紙縁起(社蔵)によると、至徳二年(一三八五)当時都万院の一分地頭であった都万(佐々木)頼清が中心となって造営したもので、当時この地域に道場を構え活発な活動を展開していた時宗の聖たちが大きくかかわっていると考えられる。同四年六月には時宗四条派の本山金蓮こんれん(跡地は現京都市中京区)の五代浄阿が高田大明神の夢想神託の発句をもって千句連歌・百首和歌を興行し、これを受けて二条良基が四条道場金蓮寺に臨席、同二三日に千句連歌を関白し、百首和歌を出題したという。

高田神社
たかたのじんじや

[現在地名]舞鶴市字上安 中イナキ

天清てんせい川の右岸山麓に鎮座。祭神は建田背命。「延喜式」神名帳の加佐郡高田神社に比定される。旧村社。

当社の鎮座地は洪水社殿の老朽化などで度々その位置を変えた。社伝によれば、古代には大内おおうち宮知みやち里とよばれた、現在の字倉谷くらたにと字上安うやすとの境にあたるくいつぼの辺りにあったという。その後延宝九年(一六八一)七月九日伊佐津いさづ川の氾濫で倉谷村前堤が決壊し堂社が流出したので、御神体を鈴木すずき神社(祭神天鈿女命)のある上安村のミセヶ谷に移して同座奉斎された。

高田神社
たかたじんじや

[現在地名]江戸崎町高田

台地北側にあって、杉の巨木が茂る。祭神は熊野神王櫛御気野命・伊邪奈岐命・伊邪奈美命・撞榊厳霊天疎向媛命・菊理比売命・速玉之男命・事解之男命・菅原道真。旧郷社。

社伝によれば、承平年間(九三一―九三八)の創建。平将門の乱の時、朱雀天皇は熊野の神を当地に移して乱の鎮定を祈らせ、寛治年間(一〇八七―九四)勅願所となったという。源頼朝は、奥州征討に当たって戦勝を祈願し、平定後東条とうじよう庄五〇〇町を寄進したと伝える。

高田神社
たかだじんじや

[現在地名]古川町太江 神垣内

下太江しもたいえ扇状地扇頂にあり、太江・杉崎すぎさき集落を展望する。祭神高魂神。旧郷社。「延喜式」神名帳の荒城あらき郡五座のうちにある。「三代実録」貞観九年(八六七)一〇月五日条では従五位上を授けられている。しかし「斐太後風土記」は式内高田神社は古川町と古川下町との間、字高田の神屋敷にあったとし、太江の高田神社はもと白山社で、文化年中(一八〇四―一八)京都吉田家の者に欺かれ、古そうな板額や石碑を建て昔からのものだと称したと断定している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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