日本大百科全書(ニッポニカ) 「普通選挙期成同盟会」の意味・わかりやすい解説
普通選挙期成同盟会
ふつうせんきょきせいどうめいかい
明治・大正時代の普通選挙実現を目ざす運動団体。1897年(明治30)7月に中村太八郎(たはちろう)、木下尚江(なおえ)らを中心に長野県松本で結成された。請願書の提出や多数の演説会を開催、1900年(明治33)には普通選挙同盟会と改称して普選の実行を期した。この間、1899年10月には東京に進出、運動の拡大を図った。会員が思想的立場や職業の相違を超え結集、またさまざまな団体と接触する同会は、普選運動において一貫して中心的存在となった。とくに日露戦争を挟む時期には、演説会を盛んに行い反藩閥勢力を結集する役割をも担ったが、大逆事件後の1911年5月30日、政府の弾圧により解体され、13年(大正2)、18年に再興が試みられるものの成功しなかった。米騒動ののち、滑川(なめりかわ)、仙台、名古屋、静岡で同盟会を名のる組織が結成されるなか、ようやく19年1月に普通選挙期成同盟会として活動を再開、3月には約1万人の民衆による普選デモを行った。同盟会はこののち20年ごろまで活動を続けたが、普選運動に労働組合、憲政会など新たな勢力が参加してきたため、運動に占める役割を低下させ、姿を消していった。
[成田龍一]
『松尾尊兌著『大正デモクラシーの研究』(1966・青木書店)』