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京都市右京区嵯峨にある臨済宗天竜寺派の寺。正称は覚雄山大福田宝幢禅寺。1379年(天授5・康暦1)足利義満が春屋妙葩(しゆんおくみようは)を開山に迎え,この地に宝幢(ほうどう)寺を開創し,さらに寺内に妙葩の塔所として開山堂を建立したところ野鹿が群れをなして現れたことから鹿王院と称したという。宝幢寺は京都十刹の第5位に列し,多くの荘園をもち,室町前期には寺勢も盛んだったが,応仁の乱で荒廃し,鹿王院だけが残った。江戸前期の寛文年間(1661-73)酒井忠知が寺名を鹿王院として堂宇を再興し,以後天竜寺に属した。寺宝中,夢窓国師画像,明兆(みんちよう)筆の釈迦三尊及三十祖像,元画の出山釈迦像,梵芳筆の蘭石図,後醍醐天皇宸翰消息,夢窓疎石筆臨幸私記などは重要文化財。
執筆者:藤井 学
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京都市右京区嵯峨(さが)北堀(きたぼり)町にある臨済(りんざい)宗天竜寺派の寺。覚雄山(かくゆうざん)と号する。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1380年(天授6・康暦2)足利義満(あしかがよしみつ)が春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を開山として興聖(こうしょう)寺を創建し、寺後に開山堂を建てて鹿王院と称したのに始まる。寺はのち宝幢(ほうどう)寺と改称し、1385年(元中2・至徳2)には京都十刹(じっせつ)の第五位に列したが、ついに廃絶となり、1667年(寛文7)鹿王院のみ再興された。本堂には運慶の作と伝える本尊釈迦如来像および十大弟子像など、また舎利(しゃり)殿には源実朝(さねとも)が宋(そう)から将来したと伝える仏牙舎利(ぶつげしゃり)を安置する。そのほか、絹本着色夢窓(むそう)国師像二幅、絹本墨画出山釈迦像、紙本墨画蘭石(らんせき)図、夢窓疎石(そせき)筆『臨幸私記』などの国重要文化財を蔵する。
[平井俊榮]
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