皇后の日常生活をささえるために,それぞれの立后の際に設置された令外官。大夫,亮,大(少)進,大(少)属の四等官をもっていた。最初に皇后宮職が設置されたのは729年(天平1)に光明子の立后に際してである。このときの皇后宮職は四等官の下に史生,舎人,奴婢等を所属させていたほか,造仏所,掃部所,染所,浄清所,勇女所などの付属官司をもっていた。この皇后宮職は光明子が749年(天平勝宝1)皇太后となると紫微中台(しびちゆうだい)となり,やがて光明子とむすんだ藤原仲麻呂が758年(天平宝字2)の橘奈良麻呂の変以後権力を独占してからは,坤宮官(こんぐうかん)と一時名称を変えた。皇后宮職の管理する皇后宮の財源としては封戸と荘園とがあって,その経済的基盤をなしていた。皇后宮職はその後も立后ごとに設置され,大夫以下の官人が任命され平安時代以後も継承された。皇后宮職の宮内での所在地は,平安宮,平城宮のどちらの場合も明確ではない。
→中宮職
執筆者:鬼頭 清明
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[付属職司の変遷]
令制によると,皇后は太皇太后,皇太后とともに付属職司として中宮職(しき)を充てられ,大夫以下の官人が奉仕すると定めている。しかし聖武天皇の生母で皇太夫人藤原宮子に中宮職を付属させ,安宿媛の立后に当たって,新たに皇后宮職を設けて以来,平安時代中期までは皇太夫人に中宮職を,皇后には皇后宮職を付属させた。一時醍醐天皇の皇后藤原穏子に中宮職を付属させて令制に戻したが,一条天皇のとき藤原定子,同彰子を相ついで皇后に立て,皇后が並立するに及び定子に皇后宮職を,彰子に中宮職を付属させた。…
…令,弼,忠,疏の四等官22名がおかれた。もと光明皇后の意志の伝達,日常生活等を営むために729年(天平1)設置された皇后宮職を改称したものである。孝謙天皇の即位にともなって光明皇后が皇后から皇太后へかわったことに際してとられた措置であるが,紫微中台の長官(紫微令,後に紫微内相)に藤原仲麻呂が任命され,光明皇后との密接なつながりを官職上ももったことが注目される。…
※「皇后宮職」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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