テネシー川流域開発公社Tennessee Valley Authorityの略称。1933年アメリカ合衆国においてF・D・ルーズベルト政権により、ニューディール政策の一環として設立されたテネシー川流域総合開発事業のための公社。第一次世界大戦期に連邦政府はマッスル・ショールズにテネシー川の水力発電を利用した火薬製造施設を建設したが、第一次世界大戦後ジョージ・ノリス上院議員を中心に、マッスル・ショールズの施設を整備、充実し、窒素肥料の生産などにより地域開発に活用すべきであるという政策提案がなされた。ノリスの提案は、政府の事業に反対する共和党政権の下では実現しなかったが、1933年にルーズベルト政権が発足すると、本格的な地域開発を意図したTVA法が成立した。
TVAは、七つの州にまたがる4万1000平方マイル(約10万6000平方キロメートル)の広大な地域で、ダム建設と発電、植林、土地保全、洪水防止、水運の改善、肥料工場の建設と農業の振興など、多目的の開発事業に取り組み、ニューディールの進歩的側面の象徴とみなされるまでになった。だが政府企業による事業はアメリカでは異例のことに属し、1937年同様の開発事業を他の地域でも興そうとしたルーズベルトの「七つの小TVA」法案は、保守化した議会の反対で成立をみずに終わった。TVAのダム建設は1951年までに20以上に上り、発電量は合計180億キロワット時に達したが、この間、電力コスト計算により電気料金決定の適正な基準を設け、民間電力会社に対する規則に寄与した。また民間電力会社の反対に対処しながら、それまで後進的状態にあったテネシー川流域に豊富な電力を供給し、その発展に寄与したが、とくに第二次世界大戦期の原子爆弾製造およびそれに続く核兵器開発には、主要なエネルギー供給源として重要な役割を果たした。電力需要の急激な増大に対応して、TVAの電力生産は第二次世界大戦後も伸び続けたが、しだいに火力発電への依存度が高まった。それに伴い1970年代には環境への悪影響を危惧(きぐ)する住民運動が起こり、施設拡張には環境保全の問題が考慮されるようになった。
[新川健三郎]
『D・E・リリエンソール著、和田小六・和田昭允訳『TVA』(1979・岩波書店)』▽『小林健一著『TVA実験的地域政策の軌跡――ニューディール期から現代まで』(1994・御茶の水書房)』
Tennessee Valley Authorityの略称。テネシー川流域開発公社と訳されるアメリカの公営企業体で,1933年5月,ニューディール政策の一環として設立され,今日なお存続している。その発端は,第1次大戦中に作られたのち放置された施設やダムの公的管理運営をめざすG.ノリスらの運動であった。F.D.ローズベルト政府はこれを総合的地域開発計画に改め,洪水調節,電力生産の多目的ダムを建設するとともに,植林,土壌保全あるいは河川整備,窒素肥料その他の化学製品生産を進め,漁業・鉱業・観光資源開発を行った。こうして地域経済振興,住民流出防止に努めたTVAは,地域社会教育計画をも展開し,ニューディールの進歩性の一代表例とされた。一方それは,安価な電力提供によって民間電力業を圧迫する〈社会主義的〉なものと非難され,〈小TVA〉といわれた他の河川流域開発計画の実現を阻止するという結果をもたらした。第2次大戦中,TVAは発電能力を拡大して原爆開発や軍需生産に利用されたが,その後さらに電力生産を拡大・多様化している。今日では42のダムによる400万kWに加えて,1500万kWの火力発電,850万kWの原子力発電を行っている。またその勢力範囲は400万住民のいる4.1万km2に及んでいる。近年TVAは環境保全にも力を注ぐようになったが,なお保護団体からは批判されている。本部はテネシー州ノックスビルにある。なお,TVA発足にたずさわり,理事長(1941-46)をも務めたリリエンソールDavid Eli Lilienthal(1899-1981)は,《TVA--民主主義は進展する》(1944)で,TVAの成立事情,組織,活動状況を記録し,アメリカの民主主義の新しい様相を明らかにした。
執筆者:長沼 秀世
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…日本における河川総合開発のはしりは,すでに1938年に始まった河水統制事業に見ることができる。大正末期にダム技術の進歩に呼応して,発電ダムの出現,洪水調節ダムの提案があり,それらを受けてダムによる流水制御を総合的に施行しようとして開始されたもので,その開発思想としては,33年にアメリカ合衆国で開始されたTVAの影響も強かったと推察される。つまり,テネシー川で26ヵ所に多目的ダムを築き,水害対策,水運,農業開発,発電,レクリエーションなどの河川総合開発が始まっており,それを可能ならしめる技術も育っていたことが,日本の河川開発理念にも影響したと見られ,日本でそれが開花したのが1950年代であるといえる。…
…37年には有名な〈産業人口の分布に関する王立委員会(バーロー委員会)〉を設け,産業人口の適正配置とその方策を究明した(報告書は1940年議会に提出)。アメリカではニューディール政策の一環として,1933年NIRA(ニラ)(全国産業復興法)に基づき国土計画委員会を設けるとともに,代表的不況地域の一つテネシー川流域の総合開発のため,TVAを設立した。 こうした戦前の地域政策は,国内の低開発地域や不況地域の振興による国土の均衡ある発展という国土計画の基本的思想の形成に強い影響を与えた。…
… 多目的ダムによる河川総合開発が国際的に脚光を浴びたのは,1933年に始まるアメリカ合衆国のテネシー川開発であった。これはTVAによって実施されたもので,20以上の多目的ダムをテネシー川に築き,水害防止,発電,農業用水の開発のみならず,舟運やレクリエーション開発にも成功し,河川総合開発の偉大な先駆として高く評価された。戦後,毎年のように大水害にみまわれた日本において,戦時中に培われていたダム技術の進歩を基礎として,水害防止,食糧増産のための農業用水開発,さらには工業復興のエネルギー源としての水力開発を一つの多目的ダムによって行い,かつ一水系にこの多目的ダムをいくつか配置して,流域全体の開発を目ざす計画が立案された。…
…DVCは,流域内の農業基盤の安定と鉱工業の発展を目的として流域を総合的に開発しようとするものであった。アメリカ合衆国のTVAを見習った計画であり,その主要事業は多目的ダム,灌漑水路,発電・送電施設の建設であった。計画された四つのダム(ティライヤ,コーナール,マイトン,パーンチェット・ヒル)が完成し,そこから放流される水はドゥルガプル貯水湖で第2次調節のうえ,南北両岸の幹線水路へ分水され,下流のバルドマン,バンクラ地方の米作の拡大と安定化に貢献した。…
…第2次大戦のためその完成は47年になったが,このダムは洪水調節とともに発電用水力,農業用水開発をも目的とする,いわゆる多目的ダムであった。第2次大戦前における多目的ダムとしてはアメリカ合衆国ミシシッピ川水系テネシー川のTVAの事業が特に名高い。この事業は1933年に開始され,20以上の多目的ダム建設を核とし,洪水防御,発電,舟運などの目的を達し,テネシー川流域の総合開発に成功した。…
…この事業はコロラド川にフーバー・ダムを建設し,延長349kmものコロラド川水路を開削し,ロサンゼルスをはじめとする南カリフォルニア諸都市に最大毎秒42.48m3の水を供給する巨大なものであった。またアメリカ南部のテネシー川流域でのTVAによる河川総合開発事業はあまりにも有名である。 日本では,1957年の〈特定多目的ダム法〉,61年の〈水資源開発促進法〉〈水資源開発公団法〉(水資源開発公団),64年の新河川法などの制定を通じて多目的ダムを中心とする水資源開発が本格化する条件がつくられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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