デジタル大辞泉 「シドニー」の意味・読み・例文・類語
シドニー(Sydney)
カナダ、ノバスコシア州北東端、ケープブレトン島の都市。同島東海岸に位置する中心都市で、かつては鉄鋼業をはじめ、工業が盛んだった。近年は観光業が主で、大型クルーズ船が就航する。
翻訳|Sydney
オーストラリア南東部、ニュー・サウス・ウェールズ州の州都で、同国最古、最大の都市。大都市としてのシドニーの範囲は一定していないが、統計局の定義による面積1万2145平方キロメートル市街地人口は399万7321(2001)である。この市街地は、ポート・ジャクソン湾の南岸に位置する都心部(狭義のシドニー市)を中心に、北はホークスベリー川河口、南はボタニー湾の南岸、西はブルー山地の東麓(とうろく)にかけて広がり、38の地方自治体の全域あるいは一部にまたがる。さらに社会・経済統計用の統計地区として、44の地方自治体を包含する広義のシドニー都市圏(人口393万4700、1997)をさすことも多い。都市行政も複雑で、基本的な行政サービスを各地方自治体が行うほかに、都市計画、都市交通、上下水道など都市運営事業の多くは、それぞれの目的ごとの事業主体あるいは州政府機関によって広域的に行われる。
気候は西岸海洋性気候(Cfb)で、比較的温暖である。平均気温は最暖月(2月)が22.9℃で、ほぼ東京の6月に相当し、最寒月(7月)が12.2℃で、東京の11月に相当する。年降水量は1132ミリメートルである。
[谷内 達]
シドニーは、ニュー・サウス・ウェールズ州の中心都市であるとともに、メルボルンと並んで、オーストラリアの産業、交通、文化の中心都市であり、また同国の代表的な工業都市、港湾都市でもある。商工業従事者が集中しており、とくに金融・保険・不動産業従事者数は州の8割、全国の3分の1を占めている。工業生産額は全国の4分の1以上に達し、同国最大の工業都市といえる。ほとんどの工業業種がそろうが、とくに機械、化学、金属、紙・印刷などに特色がある。港湾は、都心部に接するポート・ジャクソン湾(狭義のシドニー港)と南部のボタニー湾との2か所にあり、その取扱い高は両港をあわせて州の海外輸出額の3分の2に達し、石炭、肉類、羊毛などを輸出する。また州の海外輸入のほとんどを取り扱い、輸入額は同国最大で、全国の約4割を占める。ボタニー湾北岸にあるシドニー空港(キングスフォード・スミス国際空港)は、国内航空路線網の中心であるとともに、同国最大の国際空港で、年間利用客数は1922万7387人(1997)にのぼる。
[谷内 達]
シドニーも世界の他の大都市と同様に都市問題を抱えている。都市問題の背景となるシドニーの特色の第一は、地価上昇と一戸建て持ち家指向の強さを反映して、住宅地が広大な郊外に拡大していることであり、下水道をはじめとする生活環境整備や遠距離通勤の問題を生じている。都心部への通勤では公共輸送機関(鉄道、バス)への依存度が高く、住宅地は鉄道に沿って延びている。第二の特色は、都心部および都心部に近く歴史の古い地区では、道路の狭さや建物・諸施設の老朽化などによる都市環境の悪化がみられることで、都市再開発が課題となっており、古い建物が取り壊され高層ビルや中高層マンションに生まれ変わりつつある。第三の特色は、東西に細長く延びるポート・ジャクソン湾およびその西から同湾に注ぐパラマッタ川によって市街が南北に分断されていることである。北部と南部とは橋と旅客フェリーによって結ばれているが、そのうち都心部に直結する鉄道・道路併用橋シドニー・ハーバー・ブリッジ(1932開通)はもっとも重要で、その8車線の道路は都心部に出入りする車で朝夕混雑する。
[谷内 達]
シドニーの歴史はオーストラリア最初の入植地(流刑植民地)として1788年に始まり、入植を立案した内務大臣シドニー卿(きょう)にちなんで命名された。1810年代にマコーリー総督によって現在の都心部にあたる市街地が本格的に建設され、流刑制度廃止(1840)ののち、1842年に自治体(市)となった。19世紀後半にはオーストラリア最大の都市の地位をメルボルンに譲りながらも人口が急増し、20世紀初頭以来同国最大の都市として現在に至っている。
都心部および周辺には多くの歴史的建造物が残っており、セント・ジェームズ教会、セント・メリー聖堂、ハイドパーク・バラックス(旧流刑者収容所、現裁判所)、旧造幣局、州議事堂、市庁舎、中央郵便局、総督官邸、古い建物と街路が残るザ・ロックス地区などが知られている。文化施設としては、特異なデザインで知られ大小四つのホールをもつシドニー・オペラハウス(1973完成)をはじめ、オーストラリア博物館、タロンガ動物園、図書館、美術館がそろっている。またシドニー大学(1850創立、同国最古)、ニュー・サウス・ウェールズ大学(1948創立)、マコーリー大学(1966創立)ほか多くの高等教育機関がある。市街地の北にクーリンガイ・チェイス国立公園、西にブルー・マウンテンズ国立公園、南にロイヤル国立公園があり、東のタスマン海に面したボンダイ浜、マンリー浜などは海水浴、ヨット、サーフィンなどで知られている。2000年にはオリンピック大会が開催された。
[谷内 達]
イギリスの詩人。ルネサンスの理想的宮廷人の典型。エリザベス女王の寵臣(ちょうしん)レスター伯Robert Dudley, 1st Earl of Leicester(1532/1533―1588)の甥(おい)として生まれる。オックスフォード大学に学び、ヨーロッパに遊学、ルネサンス文化に触れる。帰国後、新教徒の理想に忠実な政治家として活躍、宮廷の寵児となる。新教徒への援軍を率いてオランダに出征し戦死。このとき、瀕死(ひんし)の重傷を負いながら、水筒の水を傷ついた兵卒に譲るという逸話を残している。文学者としては、牧歌風の物語『アーケイディア』(1590)、初代エセックス伯の娘ペネロペ・デベルーPenelope Devereux(1562/1563―1607)への恋情を素材としたソネット集『アストロフェルとステラ』(1591)、道徳的見地から文学を批判するゴッソンStephen Gosson(1554―1624)の書物が機縁となって執筆され、英文学史上最初の重要な詩論と認められる『詩の弁護』(1595)などの著作を残す。
[藤井治彦]
『大塚定徳他訳『アストロフェルとステラ』(1979・篠崎書林)』
イギリスの政治家。2代目レスター伯の次男として、ケント州ペンズハーストに生まれる。ピューリタン革命期にはクロムウェルの独立派に属し、のち共和派。王政復古後、「国王殺し」(チャールズ1世処刑)の嫌疑を受け、ヨーロッパ各地で亡命生活を送る。帰国後、1683年のライ・ハウス陰謀事件で逮捕され、同年12月7日処刑された。ロバート・フィルマーの『パトリアーカ』を批判した彼の主著『政府論』Discourses concerning Government(1698)は、近代民主主義の思想的源流として今日的意義をもつ。
[今中比呂志]
『今中比呂志著『イギリス革命政治思想史研究』(1977・御茶の水書房)』
カナダ、ノバ・スコシア州東部、ケープ・ブレトン島北東部の大西洋岸の入り江に位置する商工業都市。人口2万6063(1991)。同州東部の商工業の中心で、近くに炭田があり、鉄鋼業や化学工業のほか、無線電子工学、自動車組立て工業も盛んである。1784年イギリス人が植民した。シドニー港は天然の良港で、モントリオール、ハリファックス、ニューファンドランドに定期連絡船が出ている。近郊のグレイス・ベイに重水工場がある。
[山下脩二]
オーストラリア南東部,ニュー・サウス・ウェールズ州の州都で,同国最古・最大の都市。人口426万(2005)。平均気温は最暖月(1月)21.9℃,最寒月(7月)12.3℃,年降水量は1205mm。市街地はポート・ジャクソン湾の南岸に位置する都心部を中心に38の地方自治体にまたがって広がり,市街地面積は東京特別区部の約2.4倍に達する。シドニーの歴史は1788年同国最初の入植地として始まり,当時のイギリス内務大臣にちなんで命名された。1810年代にマックオーリー総督により市街地が本格的に建設され,当時の建物の一部が今も都心部に残っている。42年に自治体(市)となり,20世紀初め以来同国最大の都市として今日にいたっている。
メルボルンとならんでこの国の産業・交通・文化の中心都市である。工業生産額が全国の4分の1以上を占める同国最大の工業都市で,機械,化学,金属,紙,印刷をはじめ多くの業種が集まっている。港湾は都心部に接する地区(シドニー港)と南部のボタニー湾にあり,合わせて州の海外輸出額の3分の2,同輸入額のほとんどを取り扱い,石炭,肉類,羊毛などを輸出する。ボタニー湾北岸のシドニー(キングズフォード・スミス)空港は同国最大の国際空港である。文化面では大小四つのホールをもつシドニー・オペラハウス(1973完成)をはじめ,オーストラリア博物館,タロンガ動物園,図書館,美術館がある。またシドニー大学(1850創立,同国最古),ニュー・サウス・ウェールズ大学(1948創立),マックオーリー大学(1966創立)がある。三つの国立公園に囲まれ,東岸のボンダイ・ビーチ,マンリー・ビーチなどは海水浴,ヨット,サーフィンなどで知られている。ポート・ジャクソン湾でへだてられた北部と南部とは橋と旅客フェリーで結ばれるが,とくに都心部に直結するシドニー・ハーバー・ブリッジ(1932開通)は朝夕混雑する。
執筆者:谷内 達
イギリスの詩人,作家。名門貴族の家柄に生まれ,深い古典の素養を積み,かたわら,ヨーロッパ各地の宮廷で新しい文芸や言語の知識にみがきをかけた。帰国後はエリザベス女王宮廷の華とうたわれる。政治面ではプロテスタント政策の推進者となり,文芸面ではルネサンス人文主義のイギリスにおける開花をうながした。詩人エドマンド・スペンサーや,哲学者ジョルダーノ・ブルーノと親交を結んだのもこのころである。ほかの文人たちにとっても強力な理解者であり保護者であった。彼自身も詩才にめぐまれ,ステラ(〈星〉の意)なる仮名の女性に対する,アストロフェル(〈星を愛する者〉の意)のとどかぬ思慕を歌ったソネット集《アストロフェルとステラ》(1580-84作,91刊)は,イギリスにおけるペトラルカ風恋愛ソネット大流行の口火を切った。散文としては,牧歌郷アルカディアに流れついた2人の王子の恋物語《アーケーディア》(1590)があり,ルネサンス牧歌文学(パストラル)の重要な作品。さらには文芸全般に対するピューリタン側からの非難攻撃にこたえた《詩の弁護》(1595)は,詩の効用や本質を論じて,イギリス批評文学の出発点となった。ヨーロッパの戦場に奮戦し,戦死したとき,みずからの最期の飲水をかたわらの無名の一兵士に譲ったという美談が生まれたのは,文武両道に秀でたこの宮廷人がいかに理想化されていたかを物語る。
執筆者:川崎 寿彦
イギリスの政治家。第2代レスター伯の次男。ピューリタン革命中は議会軍に参加し,共和制を支持して1652年国務会議の議員となったが,クロムウェルが護国卿に就任するとこれと対立,クロムウェルの死後スウェーデン公使となる。王政復古後亡命,77年帰国を許され,反国王活動を展開したが,83年ライハウス陰謀に荷担したとして処刑された。死後1698年に出版された主著《統治論》は民主主義政治論の古典のひとつである。
執筆者:浜林 正夫
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…西斜面はとくにゆるやかで,中央低地に連続する。東部高地の古生層にも西部台地の先カンブリア層に次いで金属鉱床の発達が見られ,またクイーンズランド中部およびニュー・サウス・ウェールズ中部の堆積層には主として古生代末期(二畳紀)に形成されたボーエン炭層およびシドニー炭層が見られる。さらにビクトリア東部の第三紀層では褐炭の埋蔵が知られている。…
…面積80万1600km2,人口617万(1996)。州都はシドニー。年降水量は海岸部(1000mm以上)から北西部の内陸(200mm以下)へと順次減少する。…
… 散文の分野では,おびただしい量の宗教的著作と歴史編纂,航海記録と並んで,ホメロス,プルタルコスなど古典の翻訳が盛んにおこなわれる一方,現実社会の諸相を風刺的に描くパンフレットや,自然と人生の諸問題を哲学的に省察する文章も,多くものされた。また,華麗な文体で書かれたジョン・リリーの恋愛物語《ユーフュイーズ》やフィリップ・シドニーの牧歌的ロマンス《アーケイディア》はイギリス最初の小説として,1611年に公刊された《欽定訳聖書》とともに,文学史上特記さるべき地位を保っている。詩の分野では,絵画的描写と音楽美にあふれたエドマンド・スペンサーの長大な寓意叙事詩《神仙女王》が名高いが,ソネットをはじめとするさまざまな詩形の短い抒情詩も流行した。…
※「シドニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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