翻訳|Paul
初代のキリスト教の伝道者。生没年不詳。ギリシア語ではパウロスPaulos。
新約聖書中に彼の書いたとされる手紙が13収められているが,そのうち確実に彼のものと思われるものは,《ローマ人への手紙》,《コリント人への手紙》(第1,第2),《ガラテヤ人への手紙》,《ピリピ人への手紙》,《テサロニケ人への手紙》(第1),および《ピレモンへの手紙》の合計7である。《使徒行伝》の後半はパウロを中心にして書かれているが,必ずしも客観性を志した叙述ではない。新約聖書以外には,言うに足る資料はない。
イエスとほぼ同じころ,小アジア,キリキアの首都タルソ(タルソス)で,ユダヤ人の家庭に生まれた。律法に熱心なパリサイ派の一員として成人し,ユダヤ人でありながら律法をおろそかにするキリスト教徒を迫害したが,あるとき突然回心を体験し,それ以後とくに異邦人に福音を伝えるキリスト教の伝道者として活動した。当初はシリアのアンテオケ(アンティオキア)教会で伝道に従事し,いわゆるエルサレム会議(おそらく48年)ではアンテオケ教会の代表として,異邦人信徒に律法を守る義務を課そうとする動きに反対した。その後,やはり律法問題をめぐって,アンテオケ教会内で他のユダヤ人と衝突したため,独立し,主としてエーゲ海沿岸一帯に福音を伝えて(この旅行を通常《使徒行伝》の記述に従い,第1,第2,第3伝道旅行と呼ぶ),各地に教会を建てた。新約聖書中の彼の手紙の大部分は,伝道旅行の途上,これらの教会にあてて書いたものである。第3伝道旅行の後,彼はローマ経由でスペインにまで赴いて伝道する計画をたてたが,その前に以前エルサレム会議でエルサレム教会と交わした約束を果たすべく,自分の建てた異邦人教会でエルサレム教会のために集めた献金をエルサレムに持参したところを,彼の律法批判を快く思わないユダヤ人に捕らえられ,ローマのユダヤ総督に引き渡された。彼はローマ市民権をもっていたので皇帝に上訴し,そのため未決囚としてローマに護送された。ローマに着いてからの動静は明らかでないが,到着後まもなく(59年ころ),皇帝ネロによって処刑されたと思われる。
パウロは回心を経てキリスト教の伝道者となったが,それは彼がそれまで信じていたイスラエルの神を捨てたということではない。それまでとは違う仕方で神に仕えることになったということである。その点は〈人の義とされるのは律法の行いによるのではなく,信仰による〉との彼の言葉に端的に表れている。〈義とされる〉は元来法廷用語であって,神の法廷で無罪の判決を受けるとの考え方に由来する。律法はユダヤ教社会を支える規定の総体。ユダヤ人はその律法の中に神の意志が具体化されていると考えた。それゆえそれを忠実に守ることが,神から無罪の判決を受けるための前提条件であった。しかし,この生き方は,とくにそれが形骸化したとき弊害を生む。実際に律法の条項を守るのは個々の人間なので,人は結局自分に救いの保証を求める。そこからは自己過信または不安が生まれる。律法の条項を文字どおり守ることに全神経が集中するので,人を愛すると言っても,相手方は自分が律法を守るための手段にすぎなくなる。そこでは律法の本来の精神は見失われる。パウロは回心に際し,キリストにすべてをゆだねる生き方へと移ることにより,この生き方を去った。すなわち,神は人間を裁く強者として臨むのではなく,十字架刑で殺されることを甘受したキリストにおいてみずからを人々に現したと受けとったとき,パウロにとって自分の忠誠証明としての律法を守る生き方は過去のものとなった。
彼はそれゆえ,律法にすべてを託すユダヤ教の行き方に批判的であるが,神がイスラエルの民を見捨てたとはしない。かつてイスラエルの民を〈選民〉とした神は,彼らの不信仰にもかかわらず,彼らを選んだという事実に誠実にとどまるのであって,彼はそこにこそ救いの唯一の根拠があると考える。換言すれば,信仰によって義とされるという場合の信仰は,神の側の救いの決定を受け入れるということであって,そこには人間の決断が伴いはするが,それが最終的決定権をもつのではない。
キリストによって新しい生の可能性を与えられたという理解には,彼の歴史理解も対応している。彼は黙示思想(黙示文学)の影響下に,キリストのできごとを終末の開始と受けとった。キリスト信仰は人間にとり初めから存在していた可能性ではなく,終末時になって初めて開かれた可能性である。他方彼は終末の完全な実現を近い将来に期待し,しかしそれまでは人間はなお不完全であるとして,信仰をもつことによりすでに完全の域に達したとするある種のキリスト者の生き方を批判している。
パウロにおいては,以上述べたように善行が救いを保証するのではないが,それによって倫理の問題がいっさい不問に付されるわけではない。キリストにより神との関係を修復された者は,他の人との関係を修復すること,つまり愛に生きることを期待されるし,その可能性は開かれたとされる。キリストにより与えられた自由は,彼によれば愛(他人に仕えること)への自由である。ただし,パウロの場合倫理の及ぶ範囲は,実際にはほぼ教会内に限定されている。教会は彼にとり,この世界の中でキリストの支配が現に実現している唯一の場である。したがって彼は信徒に対しそれに見合う日常生活を期待する。他方,教会外の世界に対しては,彼は伝道という形では大いに働きかけるが,それ以外の点でそれを直接関心の対象とすることは少ない。
信仰のみによって義とされるとするパウロの信仰理解は,後のキリスト教の歴史に大きな影響を及ぼした(たとえばアウグスティヌス,宗教改革)。彼の手紙が新約聖書の中で最重要視されることも少なくない。辛苦の中に行われた彼の伝道活動も,キリスト教会でしばしば模範とされた。他方,彼によってイエスの運動は観念化され,変質したとする批判もある。
→原始キリスト教
執筆者:佐竹 明
パウロの図像表現のタイプは,初期キリスト教時代でも最も早く成立したもののひとつで,面長で前頭部がはげあがり,先のとがったあごひげをたくわえる。持物は書物あるいは巻物,また剣。3~4世紀には,パウロとペテロを並べた肖像が,おもにローマ市で流行したらしい(メトロポリタン美術館蔵のガラス器断片,4世紀)。また同じころから,パウロとペテロがキリストから律法を受けとる〈律法の授与〉の図像が,ローマ,旧サン・ピエトロ大聖堂のモザイク(現存せず)やローマ,サンタ・コスタンツァ廟のモザイク(4世紀前半)などに多く表された。9世紀になると,《使徒行伝》や《パウロ行伝》にもとづき,多数の場面をもつパウロの生涯の物語図像が生まれる。《ビビアンの聖書》(846ころ)やシチリア島,モンレアーレ大聖堂のモザイク(1183以前)が知られる。近世以降では,デューラー《四人の使徒》(1526。右端がパウロ),ミケランジェロのバチカン宮殿パオリーナ礼拝堂壁画(1542-45),カラバッジョ《パウロの回心》(1600-01)などが有名。祝日は6日29日。
執筆者:浅野 和生
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キリスト教の使徒。ヘブル名はサウロ。小アジアのキリキア州タルスス生まれのユダヤ人。ヘレニズム文化の影響を豊かに受けたが、それ以上にユダヤ教の伝統の強い環境に育ち、パリサイ派の熱心な一員となった。ユダヤ人でありながら律法を軽視するキリスト教徒を許しておけず、迫害に乗り出したが、その過程で突然、人が救われるのは、律法を守るという自分の功績によるのではなく、キリストを信じて彼にいっさいをゆだねることによると悟って、キリスト教の伝道者となった。初めは主としてシリアのアンティオキアの教会を中心に活動。しかし彼の唱える律法からの自由の主張が全幅の賛成を得られなかったことから、独立して、主としてエーゲ海沿岸各地を巡回伝道し、異邦人を主体とする教会を建てた。晩年、これらの教会からエルサレム教会にあてた献金を届けるためエルサレムに上京したところを、彼に対し批判的なユダヤ人に捕らえられ、ローマ総督に預けられた。ローマ市民権を行使して皇帝に上訴したためローマに送られ、まもなくネロ皇帝の下で殉教したと思われる。『新約聖書』には彼の手紙が収録されている。ただし、その一部は彼自身のものではない。「使徒行伝(ぎょうでん)」の後半は主として彼の活動を伝えるが、かならずしも史的に厳密ではない。彼の死後、その徹底した律法からの自由の福音(ふくいん)は、しばらくの間正当に理解されなかったが、その後アウグスティヌス、ルター、近年ではK・バルトなどに大きな影響を与えた。
[佐竹 明]
『G・ボルンカム著、佐竹明訳『パウロ――その生涯と使信』(1970・新教出版社)』▽『八木誠一著『パウロ』(1980・清水書院)』▽『佐竹明著『使徒パウロ――伝道にかけた生涯』(1981・NHKブックス)』
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?~60以後
原始キリスト教の伝道者,使徒。小アジア,キリキアのタルソス出身のユダヤ人でローマ市民権を持つ。初め熱心なパリサイ派のユダヤ教徒で,イェルサレムで法律学者ガマリエルの門に学び,キリスト教を迫害した。34年頃,ダマスクス付近で突然復活したイエス・キリストに接して回心,イェルサレムでペテロらと会見後,異邦人の使徒として各地で伝道した。ローマに至り,宣教の後,そこで殉教したと伝えられる。彼が各地の教会に書き送った手紙は,新約聖書の重要な部分を占めており,キリスト教の根本教理を解明するうえで重要である。アウグスティヌス,ルターなどの神学思想に大きな影響を与えた。
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…最初期キリスト教の使徒パウロが,小アジア西岸の大都市エペソ(エフェソス)の教会にあてて書いたとされ,新約聖書の中に収められている手紙。パウロは彼の第2伝道旅行(49‐52年,《使徒行伝》15:36~18:22)の最後にエペソに教会を設立した(52年ころ)。…
…パウロがガラテヤの諸教会にあてて書いた手紙。ガラテヤは今のトルコのアンカラを中心とする一帯であるが,前1世紀後半,ローマはそれに南接する地方を加えて属州ガラテヤ(ガラティア)とした。…
…ここまでの教会像は,おそらく他の宗教における〈教会〉と共通の面が多いであろう。 ここからさらに進んで,信仰の光の下にキリスト教独自の教会像を追求するとき,パウロによって描きだされた〈キリストの体corpus Christi〉としての教会との出会いが起こる。この教会像はパウロがキリスト教へと回心するきっかけになった信仰体験にもとづくもので,彼はまだキリストの教会を迫害していたとき,教会に対する迫害はそのままイエス・キリスト自身に対するものであることを啓示された(《使徒行伝》9:5)。…
… 原始キリスト教団が成立して以来,教徒はユダヤ教当局やギリシア都市の民衆などから迫害をうけた。ステパノの殉教や改宗前のパウロのキリスト教徒迫害などがすでに《使徒行伝》にしるされている。この時期ローマ帝国の地方総督はユダヤ教内の分派抗争的な,または熱狂的リンチによる迫害をむしろ好まず,改宗後のパウロなどを保護する者もいた。…
…後者のような考え方がはっきり表明されたのは,旧約偽典《第四エズラ書》においてである。パウロは《ローマ人への手紙》5章で,ひとりの人の罪がすべての人に及ぶことを集合人格corporate personalityの意味で述べ,かつ罪が罪として現れたのは律法によるのであり,モーセの律法が生ずる前は死のみがあったと述べている。アウグスティヌスは原罪を遺伝罪として語ることが多かったが,これは性交を原罪的なものとみなす考えと一致し,さらにまたマリアの無垢を強調するカトリック一般の考えにも連なっている。…
…しかし,〈十二使徒〉はルカまたはルカ時代(80年代~90年代)のキリスト教の理念であって,史的存在ではない。またルカによれば,原始教会がまずエルサレムに成立し,ここから,エルサレム教会に対するユダヤ教徒の迫害を契機に,その際律法と神殿に対する批判のゆえに殉教したステパノのグループ(いわゆる〈ヘレニスタイ〉)に担われて,福音がサマリア,シリアへと宣教されていき,それにまずペテロが,次いでパウロが加わって,福音はエーゲ海周縁諸都市から遂にはローマにまで達した(60ころ)といわれる。このような福音宣教の経過は,大筋において史実に合致するが,エルサレムからローマへというキリスト教の直線的展開の描写には,〈エルサレム中心主義〉に傾くルカの傾向が強く出ていて,必ずしも史実と一致しない。…
…最初期キリスト教の使徒パウロが,53‐55年にかけてギリシアのコリント(コリントス)にある教会にあてて,彼のいわゆる第3伝道旅行(《使徒行伝》18:23以下)中に小アジアのエペソ(エフェソス)から書いた手紙群。新約聖書には第1と第2の二つの手紙が収められているが,とくに第2の手紙は複数(おそらく5通)の手紙をのちの編集者がひとつにまとめた可能性が強い。…
…最初期キリスト教の使徒パウロが,ローマの属州アシアの中西部の小都市コロサイの教会にあてて書いたとされる手紙。新約聖書に収められている。…
…再臨を時間的未来におく未来的終末論と空間的に現在におく現在的終末論とがあるが(前者はユダヤ教の黙示文学に,後者はヘレニズム宗教思想に関係する),再臨を非歴史的な超越におきかえる〈他種への移行〉は退けられる。パウロはコリント教会で,〈われわれはすでに復活して知者となっている〉と称する人々に出会い,これと対立して信仰の〈中間時性〉をつよく自覚するに至った。そして信仰とならんで愛と希望を中間時の倫理とし,苦難をもって来たるべき復活の序曲とした。…
…その前後の個所から,神の国の秘義(ミュステリオン)は世の初めから隠されていたが,キリストのことばとわざによってキリスト者には啓示された事実であることが明らかにされている。パウロはこの秘義が,父のもとに隠されていた救いの計画であり,キリストによって啓示され,使徒によって宣教された神の国であり,キリストのうちにあって皆が一つになって実現される教会がこれを現していると見ている(《ローマ人への手紙》16:25~26,《コリント人への第1の手紙》2:7,《エペソ人への手紙》1:9~10,3:5~9,5:32,《コロサイ人への手紙》1:25~27など)。このような聖書に基づくキリスト教の秘義は,古代の密儀宗教が盛んな時代にあって,その中で共存し,それを克服しながら独自の秘義の神学と典礼の実践として形成されていった。…
…その中核にはイエスが選んだとされる十二弟子(十二使徒)がいたとも考えられるが,十二弟子そのものの歴史性を疑問視する学者もいる。しかしパウロの《コリント人への第1の手紙》15章5節以下が示している最初期の宣教の要約は,実際にはイスカリオテのユダを欠いて十一人となっていたはずの弟子グループをそのまま〈十二人〉と表示することによって,それがすでにきわめて早い時期に固定化されたひとつのまとまりを意味していたことを暗示していることは注目すべきである。使徒たることの条件は,イエスの復活顕現の証人であることであったと思われるが,上掲の宣教の要約はその証人として〈十二人〉〈五百人以上の兄弟たち〉そして〈ヤコブおよびすべての使徒たち〉に言及している(15:5~7)。…
…日本語では通常〈和解〉で代表させている。パウロは《ローマ人への手紙》3章21節以下で,イエスの信仰が救いの源であり,その死は完全なしかたでの〈なだめの供え物〉であったという。教会において罪の赦しはさまざまのしかたで具体化されるが,これをまったく物化することはできない。…
…あるツァディクは,神の事を学びにきたハシッドに食器を磨くことを教えた。カバラハシディズム(5)キリスト教 キリスト教神秘主義の源泉は新約聖書とくにパウロやヨハネの信仰におけるキリスト体験にある。それはパウロの場合,イエスの死を死に,イエスの生を生きるという体験であり,聖霊によってキリストと〈同じ像に化〉せられることであった。…
…このように聖霊のできごとが歴史を超えているとともに歴史的・人格的核をもつとされたことは,キリスト教における霊の理解の特徴である。それゆえ,パウロは《コリント人への第2の手紙》3章6節で律法と福音の相違を〈文字と霊〉の対立で表したが,グノーシス的なマルキオンのように旧約律法を悪霊のしわざとはいわなかった。パウロはまた霊の賜物の多様性を認め,異言や病気の癒(いや)しもその一つとしたが,愛をもって最大のものとし,これを教団における終末待望の歌の主題とした(《コリント人への第1の手紙》12~13)。…
…390年ころ成立し,ラテン語で書かれている。全14通のうち8通はセネカにより,6通はパウロによって記されているが,最後の2通は後代の付加であると考えられる。これらの手紙の主要関心はキリスト教によりもむしろ修辞学にあり,パウロの文体が洗練されるべきことが述べられる。…
…16世紀初頭にオスマン帝国の支配下に入り,現在にいたっている。使徒パウロの生誕の地として有名。アダナとともに農産物(綿花,小麦,ゴマなど)と鉱物資源(銅,クローム,石炭など)の取引の中心地で商業活動が活発である。…
…この書は罪を神の前での絶望,反抗と呼び,神と人間との根源的関係の齟齬(そご)と規定したが,この規定はS.フロイトやユングにおいても顧みられている。 聖書では,パウロが《ローマ人への手紙》5章にいうように,律法以前の罪,律法の下での罪,恩恵の下での罪が区別される。これは先に述べた罪の身体的,行為的,精神的の3段階に応じるといえる。…
…パウロによる2通の手紙の総称。《第1の手紙》は,50‐52年にパウロがギリシアのコリントスに滞在中,マケドニアのテサロニケ(テッサロニケ)教会にあてて書いた新約聖書中最古の文書である。…
…新約聖書中《牧会書簡》と呼ばれる手紙群の一つ。パウロから彼の弟子であり有能な協力者であったテトス(パウロの《コリント人への第2の手紙》8:6,8:23)にあてて書かれた個人的な手紙の体裁をとってはいるが,《テモテへの手紙》と同様に,パウロにはない用語法や文体,思想,背後の教会の組織制度および状況からして,真正のパウロの手紙とは考えない学者が多い。グノーシス的異端に対して〈健全な教え〉が強調され,道徳的・倫理的教訓が,福音の直説法に基づくことなしに一方的に強調される。…
…新約聖書中《牧会書簡》と呼ばれる手紙群に属し,第1と第2の二つの手紙からなる。ともにパウロから彼の愛弟子であるテモテにあてて書かれた個人的な手紙の体裁をとっているが,パウロにない用語法や文体,思想,さらに背後に予想されるのちの教会の状況などからして,真正のパウロの手紙とは考えられず,多くの学者は2世紀初めの成立と考えている。パウロの真正の手紙の持つ信仰義認論にもとづくダイナミズムはまったく失われて,道徳的・倫理的教訓に満ちており,グノーシス的異端を視野に入れつつ〈健全な教え〉が強調される。…
…教父たち(テルトゥリアヌス,ヒッポリュトス,オリゲネスなど)によってその存在が証言されていたが,1894年に発見されたコプト語の〈ハイデルベルク・パピルス〉によってその内容が明らかになった。パウロと女性伝道者テクラの宣教活動を描く《パウロとテクラの行伝》と,それまで別の文書と考えられていた《パウロの殉教》およびパウロの《コリント人への第3の手紙》とを含むと考えられている。テルトゥリアヌスによれば,2世紀末に小アジアの教会の長老によって執筆されたが,彼はそのことのゆえに職を追われたとされる。…
…バルナバとは〈慰めの子〉を意味するあだ名。回心後のパウロを導き,エルサレムの使徒たちにも紹介した(《使徒行伝》9:27)。シリアのアンティオキア教会の設立に尽力した。…
…新約聖書では光は比喩と実体との両方でいわれる。パウロはコリント教会で神秘宗教と対決したさい,光を神秘とする考えを排して,キリスト再臨における新しい創造と復活のできごとに結びつけた。《ヨハネによる福音書》ではイエスは〈世の光〉であり,昼間働くといわれる。…
…パウロが,第2伝道旅行に際して建てたピリピ(フィリッピ)の教会にあてて書いた手紙。第3章以外は第3伝道旅行のときエペソ(エフェソス)で獄中にあって書いたと思われる。…
…現存するパウロの真正の手紙のうち唯一の個人あての手紙。第3伝道旅行に際しエペソ(エフェソス)から書いた。…
…神が〈即位〉したことにより,平和,幸い,救いの支配する,それまでとは質的に異なる新しい時代が始まる,それがここでいう〈よい知らせ〉の内容である。 新約では〈福音〉は主として福音書(《ヨハネによる福音書》を除く)とパウロに出る。福音書ではそれはイエスの語った言葉の中で使われることが多いが,二次的に持ち込まれた場合が多く,彼自身がこの語を用いた確証はない。…
…しかし新約聖書は,イエスの復活はそれらとは異なって,まったく新しい生命への甦りの〈初穂〉であったと主張する。その最古の証言は,パウロの《コリント人への第1の手紙》15章3節以下に記されている初代教会の宣教の短い要約であり,福音書に記されている実体的な復活の詳細な描写の成立は,福音書成立がかなり遅い時期であることからしても明らかなとおり,それに後続するものであろう。注目すべきことに,パウロは上掲の個所で,みずからの〈内に〉啓示されたイエスの復活のできごと(《ガラテヤ人への手紙》1:16)を,他の使徒たちが体験した復活のイエスとの出会いのできごとと同一視している。…
…新約聖書中の《テモテへの手紙》(第1と第2)および《テトスへの手紙》の三つをさす語。ともに使徒パウロが自分の弟子にあてて個人的に書いたという体裁をとり,牧会上のことがらを扱っているというので,このように総称されてきた。しかしパウロにはない用語法や文体,思想,背後の組織制度などからして,パウロの真正の手紙とは考えられず,大多数の学者によって2世紀初めのものと考えられている。…
…前218年に,ローマ人によって征服された。後58年ころ,現在セント・ポール湾と呼ばれている湾岸にローマに赴く途中のパウロが漂着してここに3ヵ月滞在したといわれている。 4世紀以降はビザンティン,バンダル,ゴートなどの侵入を受け,870年にはアラブの支配下に入った。…
…この含意は,近代哲学において,対象意識と自己意識という意識の両方向の根源的統一を一種の道徳意識としての良心に求める考え方として展開されるが,この良心という統一的意識は実は(行為の統一として実現されるべき)人格の統一の現象形態であった。良心としてのsyneidēsisという語の最古の用例はデモクリトスに見いだされるが,ストア学派以外で近代的良心概念にとってとくに重要なのは新約聖書,とくにパウロ書簡における用例であり,それは神のことばに対する恐れの内面化と解されうる。これはルター,カルバンを経て,とりわけ近代イギリスにおけるモラル・センスmoral senseの理論(すなわち公平な内的傍観者の理論)やカントにおける内的法廷としての良心の概念というかたちで,近代的な人格の〈自律〉という思想のうちに継承され,さらにはハイデッガーの実存思想における良心の呼び声という概念のうちにも生き続けている。…
…パウロが第3伝道旅行の終り近く,コリント(コリントス)から,まもなく訪ねる予定の未知のローマ教会にあてて,いわば神学的自己紹介として書いた手紙。それだけにそれは比較的詳細かつ体系的に,彼の信仰理解の核心を提示している。…
※「パウロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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