翻訳|Palau
基本情報
正式名称=パラオ共和国Republic of Palau
面積=459km2
人口(2010)=2万人
首都=マルキョクMelekeok(日本との時差=なし)
主要言語=パラオ語,英語
通貨=米ドルUS Dollar
西太平洋,ミクロネシアのカロリン諸島西端のパラオ諸島Palau Islandsが1994年に独立したもの。北のカヤンゲル島からバベルダオブ島,コロール島,ペリリュー島をへて南のアンガウル島まで一列に連なる。コロール島とペリリュー島の間には,日本人によってパラオ松島と名づけられた美しい小島が数多く存在するが,その大部分は無人島である。またアンガウル島の南には,ソンソロール,プルアナ,メリル(現在は無人島),トビの4離島がある。この4離島が行政上,パラオに含まれるようになったのはドイツ植民地時代以後で,パラオの伝統的政治組織には含まれていなかった。環礁であるカヤンゲル島と南方4離島を除き,安山岩系の火山島と隆起サンゴ礁から成る。高温多湿で年平均気温27℃,年平均降水量3700mmを記録する。5~10月は南西風,11~4月には北東風が卓越する。
人口の過半数は政治,経済,文化の中心であるコロール島に集まっている。住民はアウストロネシア語族に属するパラオ語を用いるパラオ人で,かつては二分原理を基礎とする複雑な社会組織を発達させた。とくにコロール島の大酋長アイバドールと,バベルダオブ島の東海岸マルキョク村の大酋長アルクライは,パラオ全村落を二分する二大連盟の長として権力を有していた。石製やガラス製の貨幣が重視され,戦争や結婚もその観点から行われた。母系を軸とする親族集団を有し,その親族儀礼は今なお重要である。
執筆者:青柳 真智子 16世紀にスペイン人に〈発見〉され,その後の1885年スペインがカロリン,マリアナ両諸島の領有宣言をした。しかしスペインは米西戦争(1898)に敗れ,99年両諸島をドイツに売り渡した。第1次大戦でドイツが敗れると,日本がミクロネシアの委任統治国となり,行政の中心である南洋庁をパラオのコロール島に置いた(南洋委任統治領)。島民には学校で徹底した日本語教育が行われたため,現在も60歳くらいから上の人は日本語が話せる。漁業,熱帯農業など産業的にも繁栄し,日本統治の要となる諸島であった。第2次大戦でペリリュー島は日米の激戦地だった。
戦後はアメリカ施政権下の国連信託統治領となった。1981年1月,独立を前提にパラオ諸島だけの自治政府が発足し,国名も正式名称としてパラオ共和国(ベラウ)とした。その際〈非核憲法〉を制定し,世界的注目を浴びた。近隣のミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と同様に,アメリカと自由連合協定Compact of Free Association(外交と防衛権をアメリカがもち,15年間経済支援を行う)を結ぼうとしたが,憲法の非核条項をめぐって島民の意見が分かれ,83年から何度も住民投票が行われた。結局,アメリカに限っては非核条項を適用しないという憲法修正を行って,94年10月1日,自由連合協定が発効,独立した。初代大統領には父が三重県出身で日系のクニオ・ナカムラが選ばれた(1996年再選)。94年12月,国連に加盟した。
15年間で約5億ドルにのぼるアメリカの財政援助をもとに経済的自立を図ろうとしている。ホテル,レストラン,マリン・スポーツといった第3次産業に将来性があり,日系資本も進出している。観光客,ビジネス客は年間約4万人。日本からは季節チャーター便があり,日本政府は漁業,給水,配電などの経済協力を行っている。2006年首都をコロールからマルキョクに移転した。
執筆者:青木 公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(大迫秀樹 フリー編集者/2015年)
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