ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェルディナント1世」の意味・わかりやすい解説
フェルディナント1世
フェルディナントいっせい
Ferdinand I
[没]1564.7.25. ウィーン
ボヘミア,ハンガリー王 (在位 1526~64) ,神聖ローマ皇帝 (在位 58~64) 。ハプスブルク家の出で,カルル5世の弟。 1526年婚姻関係を通じて,ボヘミアとハンガリー王位を獲得。ボヘミアでは,侵入するトルコ軍に備え,また君主政の強化に努めた。しかし,ルター派の闘争に巻込まれ,宗教問題を起して,反乱を招き,47年には武力でプラハを占領。イエズス会の秩序をボヘミアに持込んで,貴族と騎士をカトリックに改宗させようと試みた。 58年兄帝から正式に皇帝位を譲られたが,カルル5世がほとんどドイツに滞在しなかったため,実質的にはフェルディナントがドイツの王権を行使していた。 55年のアウクスブルクの和議は主として彼の努力の成果である。即位後領内カトリック勢力の回復に努める一方,プロテスタント諸侯との和解が政治的に必要なことをも感じて,アウクスブルクの和議の留保条項があったにもかかわらず,旧カトリック司教職をプロテスタントが管理することを許した。
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