アメリカの詩人。5月31日、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれる。父は大工で、トマス・ペインの人権思想の心酔者。母はオランダ系移民の家に生まれ、陽気で自由な性格の女性。1823年、一家はブルックリンに移住したが家計は楽ではなく、ホイットマンは学業を中断し、自立を図る必要に迫られた。1836年には故郷に帰って教職につき、あるいは独力で週刊誌の発行を試みる。1840年の大統領選挙には民主党の側にたって運動し、これがきっかけで、翌年以後政治ジャーナリストとしての生活に入る。1846年にはブルックリンの民主党系新聞『日刊イーグル』の主筆となり、新しく合衆国に加わる地域はすべて自由州と認めさせるフリーソイル(自由な土地)運動を提唱した。しかし彼の所論は民主党保守派の怒りを招き、1848年に職を追われ、新たに結成されたフリーソイル党の機関紙『週刊フリーマン』の主筆になる。しかしその年の大統領選挙に敗れた衝撃から多くの党員が民主党保守派に転向し、そのため孤立無援となったホイットマンは翌1849年秋、読者への決別のことばを紙上に掲げて辞職する。
1850年代に入ると、彼は議会や政治家を風刺するエピグラムを発表するようになる。一方では乗合馬車の御者席のかたわらに座ってブロードウェーを往来し、民衆の活気を吸収しようと努め、あるいは家業を手伝いながら、読書と思索にふけった。つまりこの時期に詩人ホイットマンが誕生したといえる。現にこのころに書かれた詩には、すでに『草の葉』にみなぎる独特のリズムが聞かれる。
1855年7月、詩集『草の葉』が世に出た。わずか95ページ、12編の無題詩と長い序文を収めたこの匿名詩集は、従来の伝統詩型や措辞を無視して展開される伸びやかで大胆なビジョンのゆえに、単にアメリカだけでなく、世界の詩の流れに深刻な影響を与えた。初版『草の葉』の奔放無頼な世界は、第三版(1860)になると、新たに収められた『カラマス』などの詩群を通して、愛と連帯の理念が表面に押し出され、秩序と構成を備え始める。この変化の背景には、詩人がアメリカの未来についてしだいに危機感を深めていたという事情がある。初版では『ぼく自身の歌』など叙事詩的広がりを備えた詩を書いた彼が、第三版以後『はてしなく揺れる揺りかごから』のような優れた叙情詩を書くようになる。同じ危機感は論文『民主主義の未来像』(1871)にも濃厚に表れていて、南北戦争後のアメリカ社会の物質主義的風潮が批判され、「人格主義」の必要が説かれている。
1862年冬、従軍中の弟が負傷し、前線に駆けつけたことがきっかけになって、1863年以後ワシントンで役所勤務のかたわら病院で傷病兵の看護に献身する。合衆国が分裂の危機を切り抜け統一を守りえた経過と、苦痛と死に耐える若い兵士たちの姿を目の当たりにした経験を通して、ホイットマンの心にアメリカの未来への希望がよみがえった。1865年、南北戦争を素材とする小詩集『軍鼓のひびき』を出版、翌年にはリンカーン大統領への挽歌(ばんか)『先ごろ前庭にライラックが咲き』を含む続編を出版。1873年、突然中風の発作に襲われるが、当時ニュー・ジャージー州キャムデンに住む母の急病を聞いて駆けつける。母の死後もその地にとどまって療養に専念し、西部やカナダへ旅行できるほどに回復した。1882年には『自選日記その他』を出版、このころ文名ようやくあがり、国の内外から多くの訪問者が訪れるようになった。しかし体力の衰えも手伝って、しだいにペシミズムに傾き、1888年ふたたび発作に襲われ、1892年3月26日、肺炎を併発して死亡。
日本では没年(1892)に夏目漱石(そうせき)によって紹介され、民主主義詩人として、有島武郎(たけお)のほか白鳥省吾(しろとりせいご)、富田砕花(さいか)らの民衆詩派に大きな影響を与えた。
[酒本雅之]
『亀井俊介著『近代文学におけるホイットマンの運命』(1970・研究社出版)』▽『亀井俊介他訳『ウォルト・ホイットマン』(1976・研究社出版)』▽『杉木喬訳『ホイットマン自選日記』全2冊(岩波文庫)』
アメリカの動物学者。ボードイン・カレッジを卒業後、J・L・R・アガシーの影響で動物学を志し、ドイツに留学してロイカルトの指導を受けた。帰国後、東京大学動物学科の初代教授であったE・S・モースの推薦により、1879年(明治12)に同学科の第2代教授として来日、2年間日本の動物学の興隆にあずかった。後の同学科教授飯島魁(いいじまいさお)、東大農学部教授石川千代松(いしかわちよまつ)など、多くの動物学者が彼の影響を強く受けた。1881年アメリカに帰国後は、ハーバード大学比較動物学博物館助手、ミルウォーキー臨湖実験所長などを歴任、さらにウッズ・ホール海洋生物学研究所を創設、初代所長となった(1888~1908)。1892年からはシカゴ大学教授も兼任。動物学上の業績としては、ヒルの初期発生の研究、進化における自然選択説と突然変異の研究などがある。
[八杉貞雄 2018年8月21日]
アメリカの詩人。ニューヨーク州ロング・アイランドに生まれ,教育も満足に受けないまま11歳でブルックリンの法律事務所に雇われる。このころから文学を読むことの喜びを知り始めたが,翌1831年に新聞の植字工見習となり,以後ほぼ20年に及ぶジャーナリスト生活が始まる。奴隷制問題などをめぐって激しい抗争の渦中にあった当時のアメリカ社会の中で,ホイットマンは一貫して民主党進歩派の立場を守った。しかしニューヨークの民主党を保守派が支配するようになり,彼は職を失って,新たに結成されたフリー・ソイル(自由土地)党の機関紙《フリーマン》の主筆となる。だが48年の大統領選挙でホイッグ党の候補が当選したために,敗北の衝撃からフリー・ソイル党は総崩れとなり,ホイットマンも49年秋に辞職する。50年代前半は,政治ジャーナリストだった彼が詩人に転身していくいわば胎生の時期である。その具体的な過程をたどることは困難だが,彼がこの時期に政治家の裏切りや腐敗に憤激して書いた数編の詩が,すでにのちのホイットマン詩のリズムや詩法を予告していることから察しても,この転身の〈奇跡〉が政治世界での挫折と深くかかわっていることは確かである。
のちにアメリカ詩の源流の一つとされる詩集《草の葉》が世に出たのは,55年7月上旬であった。初版はわずか95ページ,著者の名前も見当たらず,冒頭におかれた長い序文に12編の無題詩がつづいていた。しかも文と文を複数個のピリオドがつなぐという独特の句読法が,この詩集の世界の独特な趣をいっそう強めていた。〈何ものも歩みをとどめえず,つねに混沌のままでありつづける溶岩の流れ〉というある研究家の評言どおり,いまや実現を断念した理念が,内攻し,屈折し,いわばそれ自体となって,〈拘束を受けず本来の活力のままに〉歌い出したのである。代表作である《ぼく自身の歌Song of Myself》の一節を引けば,〈ぼくをつなぎとめ押さえつけていた束縛(いましめ)がぼくを離れる……旅ゆくぼくの道づれはぼくの幻想〉なのであり,もはや現実世界の〈束縛〉にはとらわれず,〈ぼく〉は思いのままに〈幻想〉を繰り広げる。
ところが翌56年に出た第2版は,詩編の数が大幅に増えただけでなく,目次ができ,表題がつけられ,句読法も伝統的なものに変わる。〈本来の活力〉が奔放さをいささか弱め始めたしるしだが,この傾向は第3版(1860)にいたって歴然となる。たとえば新たに加えられた詩群《カラマス》と《アダムの子ら》は,いずれも愛欲の苦しさやせつなさを主題とし,あるいは抒情詩の代表作《はてしなく揺れ動く揺籠(ゆりかご)から》も,愛の対象を失った者の悲嘆とその意味を歌い上げて,新しい詩境を創出した。詩人個人の愛情の危機とともに,迫りくるアメリカ社会の分裂の危機が影を落としているのだろう。南北戦争の勃発は詩人を悲嘆の淵から立ち直らせ,《軍鼓の響き》(1865)詩群を書いて合衆国の未来のための奮起を呼びかけさせた。60年12月に弟が負傷したとのうわさを聞いてバージニア戦線に急行し,弟の傷は予想よりも軽かったがホイットマンはそのまま残り,やがてワシントンの病院に足しげく通って若い負傷兵たちの看護に当たる。リンカン大統領の死を素材とする挽歌《先ごろライラックが前庭に咲いたとき》(1866)に明らかなように,戦後のアメリカに寄せる詩人の危機感は並々でなく,とくに論文《民主主義の将来》(1871)は,物質主義の優勢を嘆き〈人格主義〉の必要を訴えた。73年に中風のため半身が麻痺してからは,ニュージャージー州キャムデンに引きこもり,徐々に高まる名声とはうらはらに絶望を深めていくが,死の床でも《草の葉》第9版刊行の努力を怠らなかった。日本では夏目漱石の論文(1892)を皮切りに,とくに有島武郎,柳宗悦ら白樺派を中心に広く親しまれてきたが,その受容はデモクラシーの預言者,民衆詩人などの側面にかたよりすぎたうらみがある。
執筆者:酒本 雅之
アメリカの動物学者。メーン州出身。苦学してボードン大学を卒業し(1868),ボストンの高校の副校長在任中にドイツへ留学した。1875年ライプチヒ大学のロイカルトRudolf Leuckartのもとで学び,78年に帰国。翌年E.S.モースの推薦を受けて東京大学に着任し,2年間動物学を教えた。佐々木忠次郎,岩川友太郎,飯島魁(いさお),石川千代松は彼の教え子である。離日後ナポリの臨海実験所でドールンA.Dohrnに師事し,その後ハーバード大学助手,ミルウォーキーの臨湖実験所所長,クラーク大学教授,シカゴ大学教授を務めた。またウッズホール海洋生物学研究所の所長も兼務し88年の創設から11年間同研究所の基礎固めに努力した。
彼の動物学への寄与は次の3分野に大別することができる。(1)発生学 ヒルの初期発生について行った細胞系統の研究は,この分野における先駆的論文で,彼の同僚であるウィルソンE.B.Wilson,コンクリンE.G.Conklin,リリーF.R.Lillieらウッズホール海洋生物学研究所のメンバーによってその研究は継承された。(2)進化論 ダーウィンの自然淘汰説をド・フリースの突然変異説やアイマーTheodore Eimerの定向進化論といかに調和させるべきかを模索した。(3)動物行動学 ヒル,両生類有尾目の動物,ハトの行動を研究することにより本能と知能の起源を解明しようとした。彼はこの研究を通して固定行動型fixed action patternの存在を認め,N.ティンバーゲンやK.ローレンツによって確立された固定行動型の研究の先駆をなした。また本能は進化するものと考え,いかにも発生学者らしく下等動物から高等動物へ至る系統的研究を強調した。
執筆者:小川 真理子
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(磯野直秀)
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1819~92
アメリカの詩人,ジャーナリスト。詩集『草の葉』(1855~92年)は伝統的な詩法を退け,自由詩によって強烈な個性の表出と民主主義の賛美をうたったもので,アメリカ詩の源流をなす。南北戦争後は社会の物質主義的風潮に危機感を募らせる。
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…彼に親炙(しんしや)したソローは,エマソンの説を自ら森の中の生活によって実践,その記録《ウォールデン》(1854)で物質主義化したアメリカに警鐘を鳴らした。またホイットマンは詩集《草の葉》(初版1855)で,あらゆるものの中に聖なるものを見るエマソン思想を発展させ,アメリカとアメリカの人間の生命を力強くうたった。この間,超越主義の仲間に一時は加わりながらもピューリタンの伝統に立つところの多かったホーソーンは,《緋文字》(1850)などによって人間の心に秘められた罪の意識の諸相を探り,心理のひだを象徴的に描いた。…
…アメリカの詩人ホイットマンの詩集。1855年に出た初版はわずか12編の無題詩から成る95ページの本だったが,以後版を改めるごとに新しい詩が加えられ,最後の第9版(1892)には402編が収められている。…
… また近代文学の大家たちの男色傾倒は壮観というほかない。プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。…
…奴隷解放論争において特徴的なことは,リンカン大統領も含めて解放論者の側に,自由,正義,人道への訴えはあっても民主主義への訴えが必ずしもなく,むしろ奴隷制擁護論者の側に,アリストテレスをまねた,自然的優者間の自由・平等体制としての共和主義と民主主義という主張がみられたことである。しかし,民主主義の国民的理念化の努力は南北戦争後も続けられ,W.ホイットマンの《民主主義の展望》(1871)を生み出すこととなった。ホイットマンは,R.W.エマソン,H.D.ソローらいわゆる超越主義者(トランセンデンタリズム)の影響を受けながら,自由,平等,自治などに加えて,真の人格の発展,絶対的良心,愛のある同僚精神などを民主主義の精神原理の中に加え,この理想主義的民主主義概念を,南北戦争によって社会原理としては破産にしたピューリタニズムに代えて,新しい統一アメリカの理念にしようとした。…
※「ホイットマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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