デジタル大辞泉
「亀田鵬斎」の意味・読み・例文・類語
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かめだ‐ほうさい【亀田鵬斎】
- 江戸後期の折衷学派の儒者。江戸の人。名は長興。通称文左衛門。別号善身堂。井上金峨に学ぶ。漢唐の注疏と宋学及び徂徠学などを折衷する学風が寛政異学の禁にふれ、門人を失う。詩、書をよくし、特に書においては草書の名手として名を馳せた。著「大学私衡」「論語撮解」「善身堂一家言」。宝暦二~文政九年(一七五二‐一八二六)
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亀田鵬斎
かめだほうさい
(1752―1826)
江戸後期の儒学者。折衷(せっちゅう)学派。名は翼、のち長興(ながおき)、字(あざな)は穉竜(ちりゅう)、通称は文左衛門。鵬斎はその号で、善身堂とも称した。江戸・神田の人で、商家の出身。折衷学者井上金峨(いのうえきんが)に学び、博識で自由な学風で知られた。詩のほか書画をよくしたが、とくに書に優れ、草書では近世を通じての名手と評価される。寛政(かんせい)異学の禁(1790)では、江戸異学の五鬼の一人に数えられ、禁圧に強く抵抗したために、その門下生の仕官や昌平黌(しょうへいこう)入学を禁じる内達が出され、塾生は一時四散してしまったと伝える。晩年は詩と酒の生活であった。『論語撮解(さっかい)』『大学私衡(しこう)』『中庸弁義』『善身堂一家言』『善身堂文集』『鵬斎詩鈔(ししょう)』などの著作がある。
[衣笠安喜 2016年5月19日]
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亀田鵬斎【かめだほうさい】
江戸後期の儒(折衷)学者。江戸の人。名は長興(ながおき)。善身堂(ぜんしんどう)とも。井上金峨(きんが)に学び,荻生徂徠(おぎゅうそらい)の古文辞を排撃し,欧陽修(おうようしゅう)などの学に親しんだ。奇行で著名。寛政異学(かんせいいがく)の禁では節を曲げず,塾生を失った。書は三井親和(しんわ)に学び,一家を成した。著書《論語撮解(ろんごさっかい)》《大学私衡(だいがくしこう)》《善身堂一家言》等。
→関連項目山本北山
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亀田鵬斎
没年:文政9.3.9(1826.4.15)
生年:宝暦2.9.15(1752.10.21)
江戸中・後期の儒学者。折衷学派。名は長興,字は穉竜,通称文左衛門,号は鵬斎,善身堂。日本橋横山町の鼈甲商長門屋の番頭万右衛門の子として江戸の神田に生まれた。14歳で折衷学者井上金峨に入門し,安永の初めごろ私塾を開き徐々に名声を得たが,寛政異学の禁(1790)で「異学」の烙印を押され,「五鬼」のひとりに数えられて一時は門人が激滅し貧窮にあえいだ。しかしその後は書と詩文で再び名声を得たが,酒にひたる生活を送った。山本北山とは同年で親密であった。門人に東条一堂などがいる。著書は『大学私衡』『善身堂一家言』『黍稷稲粱弁』『侯鯖一臠』『鵬斎先生文鈔』『善身堂詩鈔』など多数。生涯にわたってしばしば転居を繰り返し,駿河台,馬喰町,下谷金杉などに住んだが,最後は下谷根岸の家で没し,浅草今戸の称福寺に葬られた。<参考文献>杉村英治編『亀田鵬斎』,倉田信靖・橋本栄治『井上金峨・亀田鵬斎』
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亀田鵬斎 (かめだほうさい)
生没年:1752-1826(宝暦2-文政9)
江戸後期の儒者。折衷学派。名は長興(興),字は穉竜,通称は文左衛門,号は鵬斎,善身堂。江戸の商家の生れで,井上金峨に学び,江戸の五鬼の一人に挙げられる。詩文や書もよくした。寛政異学の禁に抵抗して節を曲げず,ために塾生を失い,帰耕の賦を詠んで詩と酒の生涯を過ごした。著書に《善身堂一家言》《大学私衡》《中庸弁義》《鵬斎詩鈔》《善身堂文集》などがある。
執筆者:衣笠 安喜
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亀田鵬斎 かめだ-ほうさい
1752-1826 江戸時代中期-後期の儒者。
宝暦2年10月4日生まれ。井上金峨(きんが)にまなび,江戸で塾をひらく。生涯仕官せず,寛政異学の禁では,同門の山本北山らとともに反対し,下町儒者の巨頭と目された。文政9年3月9日死去。75歳。江戸出身。名は長興。字(あざな)は穉竜。通称は文左衛門。別号に善身堂。著作に「論語撮解」「大学私衡」など。
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亀田鵬斎
かめだほうさい
[生]宝暦2(1752).10.4. 江戸
[没]文政9(1826).3.9. 江戸
江戸時代後期の儒学者。名は初め翼,のち長興 (略して興) ,字は初め図南,のち遅龍,別号は善身堂,幼名は弥吉,のち文左衛門と称する。井上金峨に学び,二十余歳で塾を開く。程朱の学を宗とせず,寛政の異学の禁にあたり,異端の第1と目された。著作『善身堂一家言』『大学私衡』『中庸説』など。
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亀田鵬斎
かめだほうさい
1752〜1826
江戸後期の儒学者。折衷派
江戸の人。井上金峨 (きんが) に学び,20余歳で塾を開いた。蘐園学派を排し,朱子学を重んじなかったため,寛政異学の禁で異学者五鬼の第一にあげられた。詩文にすぐれ,書も巧みであった。
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亀田鵬斎 (かめだほうさい)
生年月日:1752年9月15日
江戸時代中期;後期の儒学者
1826年没
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