個人主義individualismという語は西欧で生まれたが,古くからある語ではない。個人という語の起源は古い。しかしトックビルによれば,アンシャン・レジームの時代には,個人は集団から十分に解放されておらず,したがって単独の個人を前提とする個人主義という造語は,フランス革命以後の近代になって初めて用いられるようになったのである。個人主義という語には多様な意味が与えられているが,どの場合にも含まれている成分として,人間の尊厳と自己決定という二つの要素を挙げることができる。人間の尊厳とは,個々の人間存在は,それ自体として何にもまさる価値をもつ,という価値観である。もう一つの要素である自己決定ないし自律とは,個人が周囲に依存しないで,ひとりで熟慮し,意思決定を行うのが望ましい,という価値観である。このように個人主義は価値概念であるが,すべての価値概念がそうであるように,認知的側面も併せもっている。個人主義においては,それは,個人が理性的存在である,もしくは個性的存在である,という認知である。そこでジンメルは,理性という普遍的な性能の保持者としての個人を尊重する量的個人主義と,ひとりひとりの個人がになっているかけがえのない個性を尊重する質的個人主義という,二つの類型を構成した。前者を啓蒙主義的個人主義,後者をロマン主義的個人主義と呼ぶこともできよう。啓蒙主義の思潮は18世紀のフランスで起こり,それに対する反作用としてのロマン主義は19世紀のドイツにおいて盛んとなったので,量的個人主義はフランス型,質的個人主義はドイツ型という類型化も可能である。しかしもちろん,カントのような啓蒙主義的なドイツの哲学者もいるし,シャトーブリアンのようなロマン主義的なフランスの文人もいる。
理性尊重,個性尊重のどちらの立場であろうと,個人主義は人間の尊厳を強調する。そしてまた,自己決定すなわち自律を重んずる。人間に普遍的な理性は,個々の特殊な集団がその成員に対して行う要請を吟味する。そしてこの特殊な要請が,普遍性の限定された形態であるにとどまらないで,普遍性から逸脱した方向へ向かうとき,個人の中の理性はこの要請を非合理的であると判定する。一方また,個性も別の意味で集団の枠を越える立場にある。すなわちひとりひとりの個人の個性は絶対的にユニークであって,個人は彼の発展過程の一局面においてのみ集団内の役割を遂行するにとどまるのだから,この持続性の立場に立って,その役割をどんなふうに遂行するかをみずから決定する権利をもつ。要するに,理性と個性はともに特殊的な集団の要請を拒否しうる個人主義の二つの立場なのである。
思想史をさかのぼると,個人主義思想の先駆けはストア派,エピクロス派,それに懐疑論者たちの賢者(哲人)の概念のうちに見いだされる。彼らはいずれも,この世の成りゆきにとらわれないことが,賢者の特権であるとみなした。この世の成りゆきは集団主義の価値観によって統制されているが,賢者はこの世に対して距離をおき,この世で望ましいものと思える事物の価値を相対化することができる。キリスト教の登場とともに,この世の相対化は神との関係の観点から行われるようになった。神との関係においては人間は単独の個人であり,この世の集団主義による拘束から自由であると考えられた。しかし賢者や初期キリスト教徒は,この世を相対化する視点を確保しただけで,この世での現実の営みに関しては集団主義の拘束に服していたのである。それゆえ,彼らの態度は個人主義の先駆形態であるにとどまった。
歴史が進行するにつれて,この世外の個人主義がしだいにこの世内の集団主義に浸透してくる。そしてついに,内外の区別が消失し,一つとなった世界が個人を至上とする価値によって支配されるようになる。この到達点を象徴するのはカルビニズムの神学思想である。なぜなら,カルビニズムにおいては,この世外的な僧院での禁欲の価値は否定され,この世内の世俗的な営みへの没頭が,神の栄光を増すただ一つの方法である,とされるにいたったからである。カルビニズムの到来が象徴する思想史の転換とほぼ時代的に重なって,社会史の転換が起こった。それは中世社会で強力であった中間集団,すなわち国家と個人の中間にある大家族,自治都市,ギルド,封建領主領,地区の教会などの集団が,しだいに自立性を失って,これらの集団に属していた個人がこれらの支配から解放されてきた,という転換である。中間集団からの個人の独立という転換と,思想史の上でのあの世的個人主義の世俗的世界への拡散という転換とが重なって,西欧の近代に個人主義が確立した。
日本の社会においては,個人主義が産業化や民主化の一原因となるまでにいたらなかったが,西欧の技術や制度を取り入れた近代化の結果として,個人主義は明治以降しだいに発展し,第2次大戦後定着する方向へ向かっている。しかし西欧社会のように個人主義が神聖な価値として信奉されている状況と比べると,日本社会においては集団主義の伝統が根強く存続している,と言える。
→エゴイズム
執筆者:作田 啓一
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一般に、社会もしくは国家と個人との対立を前提とし、個人の側に重きを置く立場が個人主義とよばれる。それは理論的には、実在するのはもろもろの個人であり、社会や国家はそれ自身としては実在性をもたず、個人の集合をさす名称にすぎないとする社会唯名論と立場を一にする。個人主義は、この意味では個人実在論であって、逆に社会の実在を強調する社会実在論に対立する。個人主義は、政治的には、個人は国家の制約を受けずに自由に個人的幸福を追求する権利があると主張し、国家はむしろ個人の幸福追求を保障し推進する役割を果たすべきであり、またそれにとどまるべきだ、と考える。つまり自由主義であって、経済活動のうえでは国家による干渉や統制を認めず、自由放任主義をよしとする。いっさいの国家権力を否定し、国家の廃棄を主張する無政府主義も、個人の幸福を主眼とする限りでは、個人主義の政治的一形態とみることができる。
哲学のうえでは、古代ギリシアのプロタゴラスのように、客観的で普遍的な真理は存在せず、真理は各人にとって相対的であり、その限りで主観的であるとする相対主義や主観主義の主張が個人主義に属する。また存在するのは自意識のみであり、他人をも含めてすべては自意識の観念にすぎないと主張するイギリスのバークリー(1685―1753)の独我論も、個人主義の一つの現れといえよう。
倫理学のうえでは、個人の幸福が何に求められるかによって、個人主義の諸形態が区別される。私利、私益としての幸福だけを追求し、その際他人の幸福をいっさい顧みない個人主義は、いわゆるエゴイズムであり、利己主義であって、道徳的には悪とされる。また幸福がもっぱら自己の快楽に置かれるならば、それは快楽主義もしくは享楽主義としての個人主義である。ドイツの哲学者シュティルナー(1806―56)の「唯一者」の思想は、いっさいは唯一者としての自我の所有として享受されるべきであると説く点で、この種の個人主義の代表といえる。なお、古代ギリシアではエピクロスが個人主義的快楽主義を主張したとされているが、エピクロス自身は何者にも心を乱されることのない境地(アトラクシア)に個人の幸福を認めたのであって、個人主義者ではあっても、単なる快楽主義者からは区別されなければならない。
他方、個人の幸福は究極にはその個人の人格の完成にあるとする人格主義もまた個人主義に数えられる。その場合でも、人格の完成が、人間の諸能力の調和的発展によって可能であるとする見方もあるし、他人にはない独自の個性の発揮によって可能であるとする個性主義的な見方もある。また、人格の完成は道徳的人格の確立以外にないとするカントの見方は、倫理的個人主義とでもいえよう。こうした人格主義とは別に、他人と代置不可能な個人の実存とその自由を重視する実存思想にも、ある意味では個人主義の名称を与えることができよう。
日本では、夏目漱石(そうせき)に『私の個人主義』(1915)という講演がある。彼はこの講演で、イギリス留学中に「自己本位」の思想に達したと語り、個性の発展を図る個人主義を説くが、しかし「自己の個性の発展を仕遂(しと)げようと思うならば、同時に他人の個性をも尊重しなければならない」とする。個人主義は「道義上の個人主義」でなければならず、「もし人格のないものが無暗(むやみ)に個性を発展しようとすると、他人を妨害する」結果になる。彼はまた「常住坐臥(ざが)国家の事以外を考えてはならない」といった偏狭な国家主義を批判するが、前述の個人主義が真の国家主義と矛盾しないことも主張する。なぜなら、国家存亡の際に、「人格の修養の積んだ人は、個人の自由を束縛しても国家の為(ため)に尽すようになるのは天然自然」だからである。漱石のこうした考えに、ヨーロッパの個人主義の反映をはっきりみることができよう。
[宇都宮芳明]
『デュウイ、タフツ著、久野収訳『世界の大思想277 社会倫理学』(1966・河出書房新社)』▽『『漱石全集11 評論・雑篇』(1966・岩波書店)』
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社会の基礎に個人を置き,個人の独立と活動の自由を尊重して,国家・社会の統制や集団の束縛を斥ける考え。近代ヨーロッパにおいて,一方では集団主義が貫かれていた中世封建社会の解体による社会の変化,他方ではルネサンスの人間解放,宗教改革におけるカルヴァン主義の登場などの意識的変化を受けて発展し,近代市民社会の基本原理となり,自由主義を育成した。その後,大衆社会状況においては個人主義が政治への無関心を助長するなど,その弊害も指摘されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…日常用いられている意味では,エゴイズム(利己主義)とは自己の欲望の充足あるいは利益の追求をもっぱら念頭において行動し,その行動が他者や社会一般に及ぼす迷惑を考慮に入れない態度を指す。エゴイズムという語は個人主義individualismという語と同じ意味に用いられることもある。しかし個人主義という概念は自律autonomyの要素を含むと考えるなら,エゴイズムはしばしば個人主義ではない。…
…錬金術的な世界にあったR.ボイルのような人物も,原子論の論理に強くひかれた。それは,人間社会を〈個人individual〉のふるまいの総和としてとらえ,また,個人の働きを政治や倫理,さらにプロテスタンティズムの場合のように,宗教においてさえ根源とするような個人主義が急速に発達しつつあった17世紀後半のヨーロッパの状況と決して無関係ではない。ギリシア語に由来するatomとラテン語のindividuus(individualの語源)とはまったく同じ意味,すなわち〈分けられないもの〉であることに留意しよう。…
…むしろそれは,〈協同団体主義corporativism〉として理解されなければならない。欧米近代の〈個人主義individualism〉と二元的に対比されるような全体主義holismなのでは決してない。 現実の日本人は,集団の中でそれぞれに独自の意思を押し通そうとする欧米型の個体的自律性を示さない。…
※「個人主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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