国民精神作興詔書(読み)こくみんせいしんさっこうしょうしょ

改訂新版 世界大百科事典 「国民精神作興詔書」の意味・わかりやすい解説

国民精神作興詔書 (こくみんせいしんさっこうしょうしょ)

関東大震災直後の1923年11月10日に出された詔書で,教育勅語戊申詔書の流れをひき,当時の社会的・思想激動にたいして国民精神の振興を呼びかけたもの。〈国民精神作興に関する詔書〉の略称。第1次大戦以降大正デモクラシーの思想が広がり,震災直前には第1次共産党検挙が行われるという動きを,この詔書は〈浮華放縦ノ習〉〈軽佻詭激ノ風〉と激しい語調で非難し,〈質実剛健〉〈醇厚中正〉に立ち返り,国家の興隆を図れと国民を戒めた。これは民主主義社会主義の運動を抑圧して国体観念と国民道徳を鼓吹する思想統制と社会教化のための錦の御旗となった。詔書発布の直後に内務省社会局長官は主要教化団体の代表者と協議して1924年1月に全国教化団体連合会を発足させ,教化運動の連絡提携と教化網の整備にのりだした。時の第2次山本権兵衛内閣は虎の門事件で倒れたが,代わった清浦奎吾内閣は24年4月に文政審議会を設置し,教育界のほか政,官,軍,財など各界の有力者を委員として国民精神作興の具体策を審議させた。ここでは普通選挙治安維持法成立に対応して学校軍事教練,青年訓練,道徳教育などが議決され,青年教育の軍国主義化が企図された。これとならんで〈思想善導〉に重点をおいた社会教育機構が整備され,29年には文部省社会教育局が新設された。
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百科事典マイペディア 「国民精神作興詔書」の意味・わかりやすい解説

国民精神作興詔書【こくみんせいしんさっこうしょうしょ】

1923年11月10日に発布された〈国民精神作興ニ関スル詔書〉の略称。第1次大戦後の個人主義民主主義風潮社会主義台頭に対処し,関東大震災後の社会的混乱鎮静のため出された。教育勅語戊申詔書の流れをくみ,軽佻浮薄(けいちょうふはく)を戒め,質実剛健,醇厚(じゅんこう)中正を強調,以後国体観念と国民道徳を鼓吹する錦の御旗(みはた)となった。

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世界大百科事典(旧版)内の国民精神作興詔書の言及

【国体明徴問題】より

…すなわち,この国体論の第2の方向は共産主義運動を弾圧するための治安維持法(1925)のなかに,〈国体の変革〉という新たな罪を登場させているが,これに対して第1の方向は,社会秩序の混乱を国体意識の強化によって克服しようという動きを始めた。1923年の〈国民精神作興詔書〉をうけて開始された全国的教化運動は,すでに最初から,〈国体観念を明徴にする〉というスローガンを掲げていた。こうした二つの方向は,満州事変以後の戦時体制化の過程で,合体しながら攻撃的性格を強め,35年には,憲法解釈としての天皇機関説排撃を突破口として,個人主義,自由主義をも反国体的なものとして否定しようとする国体明徴運動をひき起こすこととなった。…

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