出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
水戸市常磐(ときわ)町にある庭園。1665年(寛文5)水戸藩2代徳川光圀(みつくに)がこの地の緑丘御殿山の地に西湖(さいこ)を設け、高枕亭(こうちんてい)をつくったのに始まる。その後170年以上たった1841年(天保12)5月中旬に、9代斉昭(なりあき)が新しく経営に着手し、翌年7月に完成した。このときに好文亭(こうぶんてい)や楽寿楼(らくじゅろう)などが設けられ、現状のようになった。もともと平庭としての眺望を目的とした風景園であるから、外景も取り入れ、千波湖(せんばこ)を庭の泉水に擬し、長堤をつくって並木を植え、梅林や竹林、楓(ふう)樹林をあつらえ、さらに箕川(みかわ)を入れて新川を設け、これにヤナギ、カエデ、ヤマブキなどを植栽して自然景観を楽しんだ。民と「偕(とも)に楽しむ」の意で名づけられたこの庭園を、斉昭は庶民の遊園として開放し、公園の先駆け的思想を打ち出した。好文亭前の大刈込みや石組(いわぐみ)以外は、自然風景を主体とした意匠で、他の日本庭園とは大いにその性格を異にしている。常磐公園の名称で国の史跡・名勝に指定されている。
[重森完途]
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茨城県水戸市常磐町にある公園。1842年(天保13)水戸藩主徳川斉昭が開設した。千波湖をのぞむ台地上に好文亭,奥御殿などを設け,約150種,1万株といわれる梅樹があった(現在は約60種3000株)。広場は練武に,好文亭は望楼に,梅園は飢饉と軍旅の用にあてることを意図している。また園内にある斉昭自筆の〈偕楽園記〉碑には,〈余暇に休養する場,また衆と偕(とも)に楽しむ場としてこの園を造る〉と述べられている。1922年常磐公園として国の史跡・名勝に指定された。面積約13万8000m2。
執筆者:河原 武敏
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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