デジタル大辞泉
「冷泉天皇」の意味・読み・例文・類語
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れいぜい‐てんのう‥テンワウ【冷泉天皇】
- 第六三代天皇。名は憲平(のりひら)。村上天皇第二皇子。母は皇后安子(藤原師輔の女)。天暦四年(九五〇)生後二か月で立太子。康保四年(九六七)父帝の崩御によって即位し、在位二年にして弟の円融天皇に譲位した。在位中に安和の変が起きている。御陵は京都市左京区の桜本陵(さくらもとのみささぎ)。天暦四~寛弘八年(九五〇‐一〇一一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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冷泉天皇
れいぜいてんのう
(950―1011)
第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子の生んだ広平親王を越えて皇太子となったので、元方は落胆のあまり病死し、天皇が物の怪(け)に悩み病気がちであったのは元方の怨霊(おんりょう)によるものとされた。こうしたことが原因で摂関が常置されるようになり、また安和(あんな)の変(969)も起き、天皇の第一皇子師貞(もろさだ)親王の立太子を急ぐ藤原伊尹(これただ)の策略により在位2年で皇太弟守平(もりひら)親王(円融天皇)に譲位した。陵墓は京都市左京区鹿(しし)ヶ谷(たに)の桜本陵。
[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代Ⅱ』(1959・東京大学出版会)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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冷泉天皇
れいぜいてんのう
[生]天暦4(950).5.24. 京都
[没]寛弘8(1011).10.24. 京都
第 63代の天皇 (在位 967~969) 。村上天皇の皇子。母は皇后藤原安子。名,憲平 (のりひら) 。康保4 (967) 年5月父天皇の死没とともに践祚,次いで即位。皇后は昌子内親王。病弱であったため,久しく絶えていた関白がおかれ,藤原実頼がこれに任じた。安和の変 (969) 以後摂政,関白が常置されることとなり,藤原氏が完全に政権を独占した。安和2 (969) 年8月皇太弟守平親王 (円融天皇) に譲位。陵墓は京都市左京区鹿ヶ谷法然院町の桜本陵。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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冷泉天皇 れいぜいてんのう
950-1011 平安時代中期,第63代天皇。在位967-969。
天暦(てんりゃく)4年5月24日生まれ。村上天皇の第2皇子。母は藤原安子(あんし)。父の死により18歳で即位。藤原実頼(さねより)が関白として後見し,左大臣源高明の左遷(安和(あんな)の変)後は,藤原氏の権力がさらにつよまった。在位2年余で譲位し,太上(だいじょう)天皇の尊号をおくられる。病弱で異常な振る舞いがおおかった。寛弘(かんこう)8年10月24日死去。62歳。墓所は桜本陵(さくらもとのみささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は憲平(のりひら)。
【格言など】年へぬる竹の齢(よはひ)をかへしてもこのよを長くなさむとぞ思ふ(「詞花和歌集」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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冷泉天皇
れいぜいてんのう
950.5.24~1011.10.24
在位967.5.25~969.8.13
村上天皇の第2皇子。名は憲平(のりひら)。母は藤原師輔の女安子。為平(ためひら)親王・円融天皇の同母兄。生後2カ月で皇太子に立てられたが,成長とともに資質の欠陥を現し,父帝を悩ませた。967年(康保4)父帝の死去により践祚。円融を皇太弟に立て,2年後に譲位したが,このとき長子(花山(かざん)天皇)が2歳で立太子した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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冷泉天皇 (れいぜいてんのう)
生年月日:950年5月24日
平安時代中期の第63代の天皇
1011年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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